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​山城の弓張月

​・後書き・


 ――――Opening&Image:SAKURA by 嵐

 ――――Ending:SAKURA by 嵐 & tears(full version) by lisa


 2022/01/02 0:33初稿・完。後書き初稿。

 2022/01/07 20:33校正・完。後書き校正開始。


 こんにちは、ひなつけいです。

 まずは、長文読破、お疲れ様でした! 数十日に渡りここまでお付き合い下さいましたこと、感謝です!

 01/02現在、総文字数、十七万文字。

 鬼滅二次書き始めてから、最長記録です。これから校正入るので、恐らく二十万文字近く行きますね…うほ。(01/07現在。…いきませんでしたww)


 今回、また、嵐に戻ってきました。

 やっぱ嵐だよ、嵐。鬼滅書くには、びた。と嵌まる歌が多くて、聞いていると落ち着きます。

 SAKURAでモチベを上げつつ、時にSEEDの「THE BRIDGE」から厳選して、そこに「暁の車」をプラスした編集アルバムで、今回は乗り切りました。嵐だけでなく、だいぶSEEDの曲には暁闇(ぎょうあん)関係、救われています。tearsも、その一つです。

 第八話以降、書き上げるまで聴いていた曲がSAKURAとtearsのエンドレスバージョンだったので、こういう紹介になりました。

 毎回こうして曲を紹介しているのは、皆さんにも、聴きながら読んでいただけたらと、日夏の勝手な願いがあったりするからです。迷惑千万ww


 そう言えば。

『暁闇に落つ』の、第八話の・弐・。巌勝(みちかつ)さんの心情風景は、「暁の車」をエンドレスで聴きながら書いていました。

 毎回物語を書くときは、「これだ!」と嵌まった曲をエンドレスにして、どっぷり浸かって集中します。なので、ドライブ中などにお世話になった曲がかかると、物語を連想します。もう、ドラッグです…。ヤッバイ。

 中でもSAKURAと暁の車は、きっとこの先何年も忘れられない曲の一つになるだろうと思われ。いや、暁の車はSEEDの頃から好きな曲なので、SAKURAが割り込んできた形になりますが。。。

 因みに、梶浦(かじうら)由記(ゆき)先生の作品です。暁の車。

 鬼滅の刃でも、おなじみになりましたね。



 さて。

 前置きが長くなりました。弓張月(ゆみはりづき)やその前後のお話。

 格別長くなりそうです。よかったらお付き合い下さいませませ。



 実に、四十日の格闘でした(プロット構成期間を除く。純粋に書いていた期間)。

 間、サイトを作るのに五日ほど離れた時間があるので、正味一ヶ月です、弓張月にかかった時間。

 サイトを作ってからは心身共に解放された感があって、めっちゃスピード上がりました。書きたいことを気兼ねなく書くって、やっぱり大事だと痛感。

 小説に限らず、やりたいことやるべきだと思います、人間。うん。


 弓張月を書き始めたのは、十一月二十三日でした。

 この頃日夏は鬱憤(うっぷん)が溜まっていたのと、とある面倒に、自身が面倒になって自棄(ヤケ)になったのとが重なっていた時期でした。弓張月の第壱話が相当思い入れ深くなり、これでもか。これでもか。と、春野宮(はるのみや)に絶叫させた思い出があります。

 第壱話だけで結構な日数が実はかかっていまして、ここを何度も書き直している内に、気付いたんですよね…。


「ああ。双子。書きたいこと、叫びたいこと、もう殆ど…書き尽くしたな」

 と。


 実はこの頃、物書き辞めようかと思い始めていました。

 卒業、です。


 どっぷり一年も浸かっていれば…それも一つの主題(この場合『継国(つぎくに)兄弟』)を追いかけて書き綴っていれば、叫びたいことも次第になくなる。

 プロではないんです、あくまで趣味で書いている訳ですから、別に外の評価は関係ないし、売れる物を書く必要だってない。割り切っていて、書きたいことを書き綴ってここまで来てしまった訳なので、

「弓張月を書いたら、もう、終わりかも。春野宮があと残り、全て、語ってくれる」

 って、気付いたんですよね。

 それで、「ああ。もう、いっか」が、頭を過ぎった訳です。



 だけど、継国兄弟が好きで。

 たまらなく好きで。

 今は一番で、家族だったり職場だったり、そんな日夏と話をしてくれる訳です。てか、その代わり皆の萌も聞かされる訳ですが(日夏の嵐好きは、この職場の、更に十歳年上のばばさまの影響によるw強者(つわもの)伝説は割愛w)、そんな日々が愛おしくて仕方がない訳です。

「叫びたいことがたとえなくなったとしても、書きたい気持ちはまだ続くんじゃ?」

「書いている内に、やっぱりこんな風にも思うって、また叫びたくなるんじゃ?」

 そういう迷いもまたあって、鬱々(うつうつ)と考え込むこともしばしば。

 そうして、とある場面から戦うことを辞めて、逃げる方を選びました。

 それが、サイト。

 そうして、

「好きなものは好きだ」

 と、叫べるようになった訳です。

 そう言う気持ちまで他人に否定される覚えはない。

 ただただ、「好きだ」って言っていられたら幸せな訳で、原点に戻ったとも言えます。

 そうして今に至り、弓張月の土台が出来上がっていきました。


 第壱話は春野宮にとっても、日夏にとっても、とても苦しいことばかりで、縁壱(よりいち)さんに救われました。やっぱり彼は温かい人だなあと改めて思ったり。

 第参話に入る頃にはさっぱりとした心持ちでいられたので、春野宮の弓矢もぶれることなく、前を向いたままラストまで走り抜きました。彼の精神力には全くもって、感服します。


 死に向かって生きるしかなかった少年ですが、日夏はこの子、凄い好き。

 縁壱さんは最初から出来上がった完璧な人なので、こういう人に(ある意味兄上もそう)惹かれてしまうんだろうなあ…とか、途中道が逸れそうにもなり。まあ、逸れたんですけどww そんな部分はそのままに進め、最後に纏めました。

 一線を越えることはなく、互いの背中を預けて駆け抜けた二人に、天晴(あっぱ)れと拍手を送りたいです。


 そんなこんなで、弓張月は、いろんな想いを日夏的には抱えてはいたものの(よこしまなのも含めて)、暁闇ほどには双子の辛さには捕まることもなく、清々しい思いでエンディングを迎えた作品です。


 今、暁闇の頃のプロットを読み返すと、面白いことに、春野宮は、巌勝さん派寄りのキャラクターで組み立てられていました。

 産まれた当時はもっと卑屈なキャラで、巌勝さんへの憧れが憎悪に変わる柱の一人として、メモが残っています。

 縁壱さんとの心の触れ合いなんて一切なくて、何がきっかけで今の形になったのか…それがどこにも、記されていません。

 あるときひょこ。っと、出てきたお人柄のようです。春野宮。卑屈キャラの後のキャラメモには、もう、『山城の弓張月』が記されていました。多分、暁闇を書き進めていく内に、固まっていったキャラなのだと思います。


 暁闇を書き終えた頃、人物伝については、梗岢(きょうか)と春野宮だけは絶対に。通して書きたいと思っていました。

 それが叶って、今は大満足です。

 一つ、年輪を重ねられた気がします。鬼滅二次。

 いよいよ暁闇関係、これで終わりかな。


 と。最初はね。

 思っていましたねww

 何しろ卒業を意識していましたからね。



 あれから…。



 十一月二十三日。

 書き始めてすぐの頃、

「これを描いたら卒業しよう。だから、悔いのないように書き綴って終わりにしよう」

 そう思っていた志(こころざし)は、二言目だけ活かして終わりを迎えました。

 この先も、書きながら、また、悩んだり悔やんだり。苦しいこともあるのだろうけど、好きな気持ちがある間は、やっぱり綴っていきたいです。二人のこと。

 本当に、表現できるって、素晴らしいことだと思います。

 春野宮と一緒に走って来られたことが、とても幸せで、日夏の誇りです。



 長くなりました。


 ラストにもう一つ。

 ここで本作品について。ネタバレに移ります。

 余韻を残して終わりたいという方は、こちらでブラウザバックを推奨します。

 ここまで読んで下さって、本当に。ありがとう…!

 またきっと、次の作品でお逢いしましょう!

 ぺこぺこ♪
















縁壱さん:

「構いませんかね?

 …参りますね」
















 実は、書こうかどうしようか、迷いましたが…この作品は日夏にとって一つの節目なので。記しておこうと思います。


 春野宮の夢見とは違う物語の流れになった、最後の場面。

 …雪之丞(ゆきのじょう)が残り、春野宮が地下通路に向かったシーンですね。あそこは、『暁闇に落つ』のあの場面そのものに合流しました。

 が、シークレットこと第九話。

『弓張月の第九話:落日の縁壱さん』は、『暁闇での第九話:落日の縁壱さん』とは、異なる結末を迎えました。

 もちろん、原作からも、です。


 …さて。ここで。

 皆様、「歴史の修正力」という言葉をご存じでしょうか。

 ドラマ、「仁(じん)」での有名な言葉です。

 日夏はこれを、弓張月の第八話までは、踏襲しました。



 もし、夢見通りに春野宮が最初から本陣に残っていたとしたら。

 一つ。

 春野宮は、途中で巌勝さんの苦しみやその想いに再度気付いて、寄り添い、彼の逆鱗には触れることなく、討ち取る事になります。

 或いは。

 一つ。

 縁壱さんは無惨(むざん)様を討ち取り、春野宮の目の前で、巌勝さんは、塵となります。


 それが、弓張月の、春野宮が本懐を遂げる、別のプロットでした。


 だけども、「歴史は必ず元に戻そうと修復する」=「物語の内容は、必ず原作通りになる」を、この作品…『山城の弓張月・第八話』までは、実行していきました。


『もし』


 この言葉は、とても大きな魅力です。

 だけども、春野宮には、春野宮の生き様があったので、それを全うさせる方を選びました。そうして最後、鬼狩りとしての道を外れた春野宮の想いは、縁壱さんが少年に対して胸に秘めていたのと同じで。

『シークレット』

 が産まれました。

 縁壱さんが、「春野宮の心の全てに気付く方」を取ったわけです。


 まあ。

 この物語は、春野宮×縁壱さんの話でしたから、縁壱さんに、春野宮に対しての、憎しみを抱かせて終える方を選べなかった、とも言えるかな。

 縁壱さんの事ですから、たとえ一時は憎しみが芽生えたとしても、昇華させてしまうとは思います。それでも、彼があれ以上苦しむのを見るのは、ちょっと…違うと思った。&そこまで弓張月の話を長くする必要も、ない。とは言え、縁壱さんの心を昇華させないまま終われば、彼は、「ずっと憎しみを抱いて過ごしたのか?」「そうして寿命を全うすることになっちゃったのか?」と、悲しい問題が読者側に発生してしまいます。


 一方。


 縁壱さんに、戦国期、無惨様を討たせる方も、選べませんでした。

 そもそも、原作の彼の精神は、あの時点では未熟だと思います。人生観や倫理観は、その能力故に達観している部分はありましたが、人としての精神力は、未熟。巌勝さんとはここがそもそも逆なわけで、あのすれ違いが生じてもいると思っています。

 その彼が、あそこで無惨様を討てるとは、ちょっと…考えにくかった。

 縁壱さんの精神力を、まず、引き上げる必要があるわけです。そして、その役目を、春野宮は背負っていた。


 そうして、あの結末が、選ばれました。



 私たちが生きられる時間軸は、本来一つキリ。ですが、春野宮は未来を信じて死に、その最期のシーンは、夢見と違う現実を引き寄せていた。

 巌勝さんの未来を変えるには、あと、一歩だった、と、いうわけです。


 春野宮には、「運命(さだめ)」を変える力まではありませんでした。

「運命(さだめ)の子」という訳です。あくまでも。



 だけど。

 全ての理を超越した存在、縁壱さんになら。

 と。言うわけ…ですね。



『もし』

 の物語を書くのは、日夏はあんまり好んではいません。原作を大幅に改変することになるので。

 ですが、登場人物が百人いるなら、物語の結末やルートも本来それだけの数あるわけで。物語を紡ぐ側としては、その中の一本をたぐり寄せて描いているわけです。


 吾峠先生の作品がとても好きだし、縁壱さんの原作の『解答』も、双子大好きの根本に直結するもの。やっぱり好きです。

 しかし、春野宮の『答え』と『願い』は、違った。

 不快な思いをされた方々には大変申し訳なく思いますが、春野宮の想いに沿った終焉を、シークレットでは迎えさせて頂きました。

 どうか、ご容赦頂けましたら幸いです。

 そしてこれもまた、兄上及び双子救済の一つの方法だと、今では思います。


 ひたすら、思うことや伝えたいことは、春野宮に叫ばせました。そこからまた何か一つでも、皆様の心に残るものがあれば。書き手冥利に尽きるものはありません。


 そして、最後に。


 春野宮が市松(いちまつ)達に残した言葉。

「人は、人として生き、人として死ぬことを矜持としている」

 これ、行冥(ぎょうめい)さんの言葉です。

 日夏は「鬼滅の刃」という作品の中で、この言葉が一番好きです。なので、ひたすら未来を願い、己とも鬼とも戦い続けた春野宮に、叫ばせてあげたかった。

 作品としては当然、行冥さんの言葉あっての春野宮の言葉な訳ですが、時間軸としては、春野宮の願いが未来に届いたと受け取って頂けたら。嬉しい限りです。



 それではまた。

 ここまでお付合い下さいまして、本当にありがとうございました。今ある全てを詰め込むことが出来て、悔いのない、作品を残すことが出来ました。二次ですけどww

 ひたすら、最後までお付き合い下さる皆様に感謝です。

 本当に、ありがとうございました!

 きっと次の作品で! お逢いできましたら幸いです。


 2022年。

 皆様にとって、素敵な一年になりますように。祈りを込めて。


 ぺこりん♪

​ひなつけい 拝

・後書き・: テキスト
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