第四話:兄と弟
・参・
「剡(えん)、どうして? 山車(だし)を引いていたんじゃなかったの?」
春野宮(はるのみや)達は一旦、比較的人波の薄い場所に身を移した。
後から付いてくる側近(そっきん)達に一礼をして、剡寿丸の正面にしゃがむ。
剡寿丸が少し残念そうに教えてくれた。
「今年はきぼうしゃがたくさんいてね、城下の子供たちにゆずったの」
「そうだったんだ…偉かったね! 確かに、山車の綱だって長さが限られているものね」
「うん…」
「来年は牽けるといいね。そうしたら、僕、一番に剡の名前呼ぶからね!」
「本当!?」
にっこりと笑みを零していった春野宮に、剡寿丸の表情が明るくなった。
「本当!」
「わあ…!」
ありがとう! と飛びつく剡寿丸を、春野宮は笑顔で抱き留める。そのまま抱きかかえて立ち上がると、縁壱(よりいち)を見上げた。
「師匠、剡も一緒にいい?」
「私は構いませんが…」
と、縁壱は後ろに控える家臣二人を見遣る。
彼らは申し訳なさそうに一礼をした。
「大丈夫そうですね。人も多いですし、そのまま行きましょうか」
「ん! で、何買うの?」
「そうですね…たこ、ですかね」
「蛸?」
師匠もつまみかあとぼやくと、縁壱はやんわりと首を横に振って、
「凧です」
「たこ…凧? 正月に揚げる、あの、凧?」
「ええ」
「え~~~!? 季節外れだよ、あるわけないじゃん」
「……凧がいいんです」
顔色一つ変えずに真顔で言った縁壱を、春野宮はしばし見つめ、
「師匠ってさ…時々譲らないよね。家もそうだったし」
「家はまた別の話でしょう」
「けど稽古の時とかさあ。頑固なとこあるよね。巌勝(みちかつ)そっくり!」
「!」
縁壱が微かに目を丸くした。
次いで、「そうでしょうか…」と消え入るような声で言ったのに、春野宮は思い切り頷く。
通りを見渡して「そんな物あるかなあ」と呟く春野宮の後ろで、照れたように口を噤んだ縁壱を、抱っこされた剡寿丸がじぃっと見てきた。
視線を交わして、縁壱が「内緒です」と言うように照れを隠して口元に人差し指を当てたのを、春野宮は知らず。
「絶対ないよ~、そんなの。もう少し季節が後なら出てくるかも知れないけどさあ」
「…たこあげしたいの?」
剡寿丸が言った。
「あ、うん。師匠がね、凧欲しいんだって」
「よりいち、凧ほしいの?」
「ええ。四角い凧なら何でもいいんですが…」
「何ちゃっかり形まで指定してるの! 凧その物がさあ!」
「たぶん、あるよ?」
「「え?」」
剡寿丸が首を傾げながら言った。
「おしろでね、かみとうろうをたのんでるお店があってね」
降ろして。と言った剡寿丸を、春野宮はそっと降ろす。
「紙灯籠…!」
春野宮は縁壱を見た。二人同時に、顔が明るみを帯びる。
紙灯籠と言えば、和紙を扱う専門店だ。これは期待できる。と、二人表情で会話して、春野宮は、手に手を繋いだ剡寿丸を見た。
「こっち!」
とことこと走り出した剡寿丸の後を、二人はしっかり付いていく。
「助かる! 剡寿丸!」
「えへへ!」
すっかり機嫌の直った剡寿丸に、一層、春野宮達は笑顔になったのだった。
「毎度! ありがとうございましたあ!」
店主一同出迎え送り出してくれた愛宕(あたご)の和紙老舗の面々に、剡寿丸が無邪気に手を振った。幼いながら、既に顔なじみのようだ。
後ろで縁壱も礼を言いながら深々と頭を下げた姿に、
「すっごい嬉しそう! 師匠」
言わずにはいられなくなった。
縁壱は相変わらず柔らかな笑みを浮かべただけだったが、それだけで十分だった。剡寿丸すら、
「よかった! よりいち、よろこんでくれて」
「ええ。剡、ありがとうございます。助かりましたよ」
「いつでも言ってね!」
照れた様子ながら、得意げになった剡寿丸には、縁壱もたまらなくなったのだろう。幼子の頭を撫でると、愛おしさが溢れるようだった。
そんな表情を見れば、春野宮も、嬉しくなる。
「お手柄だったね、剡!」
抱き上げた彼に頬を寄せると、剡寿丸も幸せそうに身を寄せてきて、ついつい、抱く手に力が入った。
「だいぶ時間が経ってしまいましたよ。そろそろ急ぎましょうか」
縁壱の言葉に、春野宮も頷く。
付いてきていた家臣の二人も、「そろそろ」と剡寿丸に声を掛けたが、春野宮は、
「僕たち、これから煉獄家(れんごくけ)の給水所に行くんだ。待ち合わせしてて。剡、そこじゃ駄目なの?」
「それなら…」
と互いに目配せしてから頷いた彼らに、「良かった」と声を掛ける。
「じゃ、急ぐから。剡、おんぶにしよう。一旦降ろすね!」
「いいの?」
「いいよ」
「やったあ!」
春野宮が膝をついて背中を見せながら言うと、剡寿丸が飛び乗ってきた。
隣で縁壱が小さな笑みを零すのを感じながら立ち上がる。一度剡寿丸を弾ませて背負い直すと、沿道に踊り出た。出店に群がる人の波より、こちらは若干緩い。
軽快に人混みを掻き分けていく。と、剡寿丸が「はやい~!」と感嘆の声を上げた。
追いかけてくる家臣二人は息も絶え絶えだが、祭はそろそろ最高潮、お開きになってしまう。
「遅くなりました」
煉獄家一同が休憩する場所まで辿り着くと、縁壱が言った。
「父上!」
「お。剡! 良かったな、はるたちと一緒だったのか」
「うん! 来年は、ぼく、だしひくんだ!」
降ろすと、剡寿丸が「ありがとう」と一礼をして後、惣寿郎(そうじゅろう)に駆け寄った。聞いた言葉に春野宮は縁壱と顔を見合わせると、くすりと笑みを零した。
「なんじゃ縁壱、凧かいな」
「また珍しい物見つけてきたね? 時期じゃないのに」
翁(おきな)、雪之丞(ゆきのじょう)の言葉に、春野宮が溜息を吐く。
「剡がいなかったら見つからなかったと思うよ?」
「なんだ、剡寿丸のお手柄か」
神々廻(ししば)の言葉に、「そ!」と春野宮が笑う。
惣寿郎が肩に、その小さな勇者を担ぎながら、
「まだ間に合うな…」
満天の星を眺めて言った。星の位置から時刻を割り出したようだった。
「何? 何が間に合うの?」
問いかけると、
「里でも見えるぞ。花火」
「え! 花火が上がるの!?」
「ああ。今年は洛西(らくぜい)だけじゃなく、京(みやこ)の四方で上げることになってるから、里の広場からでも見えるな」
柱達は顔を見合わせた。
即座に、
「神々廻さん、走れます?」
樽を一度見遣ってから言った縁壱の問いかけに、
「行ける! 行こう。皆で見られるならその方がいい」
「はる! 帰っちゃうの?」
剡寿丸の言葉に春野宮が傍に寄って、手を掲げた。
幼子が両手を伸ばして、春野宮に触れる。
「またすぐ逢えるよ、剡。弓、ちゃんと稽古しとくんだよ? 折角的に当たるようになったんだから。ね?」
「はいっ!」
「うん!」
「よし、じゃ、戻ろうか!」
雪之丞の一声に、皆が荷物を抱え直す。
神々廻は軽々と酒樽を担ぐと、大きく一度頷いた。
柱達は一息に、飛翔する。
「行っちゃった…」
「剡。俺も一旦里へ戻る。任せても大丈夫だな?」
漸く合流した剡寿丸の側近を見ては笑顔になり、惣寿郎が言った。
二人はまだ膝に両手を当てて激しく上下に息をしているが、剡寿丸が頷く。
「うん! 大丈夫。父上、おつとめおつかれさまです!」
「剡…」
惣寿郎は片膝を付き、降ろすと剡寿丸の頭を撫でる。そうして強く抱き締めて、
「ありがとう、剡。お前は俺の誇りだ。宗家を頼んだぞ」
「はい!」
暫くは片手に剡寿丸の手を繋いで、家臣団に指示を出した。
祭の終わりは何時でも淋しいものだ。山車(だし)や神輿(みこし)を仕舞いに戻る側近達一人一人に声を掛けた後、惣寿郎は、今一度剡寿丸に後を頼むと、遅れて飛翔した。
里の警備を任された風柱は、最近流行(はやり)の手持ち花火を持って、広場へやってきた。後には飄々(ひょうひょう)とした夢柱(ゆめばしら)と、仏頂面の宵柱(よいばしら)が続く。
夜の里は、明るさこそ昼には断然劣るが、人並みは変わらない。鬼退治が夜中なら、人の営みも夜型になるというものだ。
「この辺りでいいかな~」
里の中央広場まで行くと、視界が開けた。
他にも何人か毎の集団がちらほらとあった。思い思いに、夜の時間を楽しんでいるようだ。
獲物を携えた柱三人に、驚いて場所を空ける者もいた。だが、義政(よしまさ)がそれに応える様子はない。勝手に場所を決めると、準備をし始めた。
「…」
巌勝は、天を見上げた。
今宵は月がない。星が満天に輝いていた。目に映る星空は、任務で見る空と全く異なっているように思えた。
結局、「暇だ」と誘い出してきた義政は勝手に遊び始める。付き合いのいい龍洞(りゅうどう)の笑い声が重なって、巌勝は、二人の方に目をやった。
側の石に腰掛けると、知らず、笑みがこぼれた。
警備担当ならしっかりしろと、屋敷を訪れた二人には怒りも呆れもあったものだが、喉元過ぎればなんとやら。だ。
『久方ぶりだ。こんなに穏やかな夜は…』
一頻(ひとしき)り遊ぶと、義政が、眼前にどっかりと腰を落とした。
「はぁ~! 満足!」
余程、置いてけぼりを食らったことが、納得いかなかったらしい。
後ろ手に付いて、足を放った。思わず、笑ってしまう。
その間に、龍洞が、座す石の後ろに回って来、「邪魔するよ」と言いながら、残る半分に腰掛けてきた。
背に背が当たり、龍洞が寄りかかってくる。
一瞬、巌勝は、急に縮んだ距離に肝を冷やした。こんなに誰かと近い距離は、そうそうなかった。
『…』
が、意外にも悪い気はしない。同じく背を預けると、ふ…と、気が、楽になった。
『なんだ…』
湧いた感情に動転した。落ち着かず、立ち上がろうかと前屈みになると、
「うおわっ!」
背もたれのなくなった龍洞が石から転げ落ちそうになり、義政が呵々(かか)大笑した。
「あ、すまん」
咄嗟に言うが、
「態(わざ)とか?」
龍洞の目が細くなった。その惚(とぼ)けた表情がおかしくて、
「いや、あ…いや、そうかもな?」
いつもとは違う答えを用意してみる。
龍洞は、
「ま。いいけど」
気にするでもなく笑った。
その表情(かお)に、何か、何処か、安堵した。張り詰めていた何かが、緩む気がした。それが『答え』であることを、直感する。
だが、
『何の?』
それが、分からなかった。何でこんなことを思ったのかも、分からない。
混乱しかけて口元に手を当てたとき、
「あ! みんなあ!!」
声変わり前の、特徴的な春野宮の声が夜空に響いた。まさかの声だ。今宵は明け方まで、彼らは戻らないものだと思っていた。
空耳か? と、声の方を向く。
春野宮が、猛烈な勢いで駆け寄ってきていた。見れば、惣寿郎以外の柱達も、何やら手に土産を沢山持って、走り寄ってくる。
神々廻に至っては肩に酒樽を担いでおり、目が飛び出るかと思った。
「お前ら! なんで…」
義政が立ち上がった。
いち早く辿り着いた春野宮が、満面に笑みを浮かべて言う。
「惣寿郎が、里でも見られるぞ! って!」
「え? 何を?」
更に問いを返した時、
「!」
空に響いた轟音に、吃驚して皆、見上げた。
「わぁ…!」
義政が興奮気味に目を輝かせる。
大きな尺玉が、皆の頭上に金色の花を咲かせていた。枝垂れ桜のように、糸を引き星空に蕩けて消えていく。
「里でも見える…これか」
一瞬で心を奪われ、巌勝は呟いた。
「ホントだよ! すげぇな!」
「たまにはこんな夜もいいものだね」
義政と龍洞も、笑顔になって言った。
次々と、夜空に大輪の花が咲く。その度に、身を震わす大きな音に心の臓が跳ねるが、まるで、童心に帰るようだった。
「兄上」
縁壱が声を掛けてくる。
「ん」
そちらを向いたとき、巌勝は、彼が手にしていたものを見て、
「お、ま…。あははは!」
珍しく笑声を立てた。
皆がこちらを見て驚いたようになる。
春野宮が言った。
「巌勝ぅ、探すの大変だったんだよ? 師匠はこれがいいって、もう、ほんっと! 譲らないし」
「…そうか」
脳裏に幼い頃の様が浮かんだ。遠く見つめた眼差しに、縁壱が、
「いつかまた、一緒にできたらいいなと思いまして」
「この歳でか?」
「ええ」
手渡された四角い凧を見、
「仕方ないな…」
呟いた。
「ま。その時は、お前が皆を呼んで来いよ?」
「えっ」
「やった! 僕、凧揚げしたことないー! 正月になったらやろうね! 巌勝、師匠!」
「はいはい」
「儂(わし)らからもじゃ」
と、翁が言い、神々廻が担いできた酒樽を眼前に置いた。大きな音が辺りに響く。
「年代物だぞ?」
神々廻が言うが、
「流石にそれは持てないだろう…」
「んじゃ! みんなで開けようぜ!」
義政が言った。思わず彼を勢いよく見て、
「お前は飲めないだろ! 任務中!」
すかさず言うと、皆が笑った。
とは言え、そのままにしておくのも無粋だ。
どうしたものかと翁を見ると、
「ふぉふぉふぉ!」
ひょい、と、翁は袂から枡を出した。
巌勝はくすくすと、口に手を当てて笑う。
「抜け目ないな!」
「流石翁!」
皆が笑いながら、枡を受け取る。
彼らの勧めで、巌勝が、刀の柄で酒樽の蓋を割った。
「だいぶ遅くなったが、宵柱誕生記念じゃ」
「九人揃ったね! 『柱』の画数だって、お館様が言ってたよ?」
「そうなんだ? 俺、もう一人増やしてキリのいい数揃えるのかと思ってた」
肴を広げて用意しながら言った雪之丞に、義政が、「俺も俺も」と笑う。
花火をもつまみに、酒を酌み交わし始めた仲間達を何処か遠くに見るようにして、巌勝は、瞼を伏せた。
『…このまま、俺は…』
眉間に皺が寄る。
不意に、龍洞が言った。
「今は…護りたいよ。里も。皆も」
瞼を押し上げて、彼を見る。再び夜空の大輪を見上げた龍洞に、
「俺も。好きだな。この里」
雪之丞も言った。
「護りたいよね! そうして鬼のいない世の中を、作るんだ!」
「そうだな、俺たちが」
「やらなければ、だな」
「「「!」」」
背後から野太く響いた声色に、皆、一斉にそちらを向いた。
「惣寿郎! お帰り!」
春野宮が飛びつく。
皆が声を立てて笑った。
惣寿郎は一度天を見上げて、
「良かった。間に合った!」
ふう、と一息ついた。
皆は、愛宕から舞い戻った炎柱をも輪に加え、肩を並べる。
それきり黙って、夜空を眺めた。
刹那の花が、咲いては散ってを繰り返す。
『……』
巌勝は、そこに、ただ一人、剣戟の花火を重ね見ていた。