top of page

第四話:兄と弟

・壱・

 里へ来て、二度目の春がやってきた。

 あれからもう、夢も見ない。自身の末期はあれで確定してしまったのだろうかとも思うが、まだ、希望は捨てていなかった。

 柱が漸(ようや)く九人、揃ったのだ。

『ここからだ。きっとここから、歴史は始まる。無惨(むざん)を倒して、変えるんだ。全てを…! 皆がお疲れ様って。言えるように…!』

 春野宮(はるのみや)は、一層、鍛錬と任務に励んだ。

 足を引っ張るような輩も、巌勝(みちかつ)のあの一件があってからめっきり減った。柱達もそれぞれの役目に集中できるようになり、里では柱稽古が組まれることも珍しくなくなった。

「はる。今年は少し、里の春は遅いようですね」

 任務から帰投して、縁壱(よりいち)が辺りを見渡しながら言った。

「ホントだね…、桜と菜の花が一緒に咲くの、珍しいんじゃない?」

「ええ…。綺麗ですね…」

 縁壱が珍しく、清々しい面をしていた。

 そんな横顔が、春野宮には、とても嬉しい。

 本陣への報告を終えると、二人はその足で稽古場へと向かった。途中、惣寿郎(そうじゅろう)及び炎(ほのお)麾下(きか)の面々ともすれ違って、後で稽古を共にすることを約束する。もはや日常だった。

 賑やかな稽古場の中央で、武器の異なる柱が刃を交える。

 炎麾下ばかりでなく、今では隊士達の人だかりができるのも、普通の光景になってきた。

 縁壱との手合わせの立ち合いは、何時(いつ)でも惣寿郎だった。が、今日は、戻るまでに時間がある。

「少し早いですが、馴らしましょうか」

「いいね! やろう、師匠」

「はい」

 鍛錬に暇(いとま)は無い。縁壱は話しかけられれば、相手が誰であろうと丁寧に教え込んでしまう。そうして勇気ある一人が話しかけると、我先にと、後に続く隊士達に、あっという間に囲まれてしまうのだ。

 手合わせするなら、群がる前に。

 それもまた、日常のようになった。

「…っく!」

 が。肝心の日柱(ひばしら)からは、昇柱(のぼりばしら)は、未(いま)だに一本取れずにいた。

「遅くなった! おわ! もう始めてるのか、早いぞお前ら!」

 惣寿郎が袂(たもと)を襷掛(たすきが)けにしながら駆けてくるのを横目に見る。

「遅いよ惣寿郎! 勝負着いちゃうよ!」

「わははは! 粘れ! はる!」

「余裕ですね? はる?」

「だ~~~~!」

 日輪刀から繰り出される火の車――灼骨炎陽(しゃっこつえんよう)をすんでで避ける。耳元で、空気と後れ毛の焼ける音がして青ざめた。

『駄目だ、やっぱり全部軌道を読まれる!』

 放つのは、風を切るほどの瞬足の矢だ。だが、縁壱は軽快な足捌きで避けていく。

『それも、下手すると矢を放つ前から何処を狙っているか、分かるみたいだ』

 思考が巡る間に、再び距離を狭めてきた縁壱の斬撃を、後方へ舞って避ける。宙で半回転するところで、

『何を見て判断してるんだろう? …試してみるか』

 矢筒から一矢を抜いて番(つが)えた。景色はまだ、逆さまになったままだ。

「!」

 縁壱の眉がぴくりと動いて、瞳が揺らぐ。

『やっぱり目で、何かを見てる。それは間違いない』

 腕か、指か、矢か、弓か。

 判断する前に、縁壱がまた迫ってきた。一先(ひとま)ず矢を弓から離し、空を蹴って体勢を整える。

「っ! 容赦ないね!」

「当然です」

 刃がひゅっ! と、眼前で音を立てる。

「貴方は逃がすと厄介ですからね。何処までだって空を駆け昇ってしまう」

 にこりともせず言い放つ縁壱の口調は穏やかだ。いつもと変わらぬ声色が、刃を交えているときだけは、尚更(なおさら)おぞましくもある。

 身長差と身軽さを最大限に活かして、春野宮は、回避に専念した。距離を取らねば、弓を番えられない。

「平家物語を再現するなよ、はる! 弓矢は与一公(よいちこう)、体捌きはまるで船を渡る義経公(よしつねこう)だな!」

「…他人事(ひとごと)だと思ってえ!」

「まだ喋る余裕がありますか、はる」

「ああああ」

「あははは!」

「惣寿郎ってば!」

 惣寿郎の、まさしく火に油な発言に乗ったことを後悔する暇も無い。

『師匠の剣戟のお蔭でこればっかり、巧くなるんだもん! もう!』

 良くも悪くも、情けなくも有難くも、体捌きは誰にも負けない自信ができた。

『だけど、それだけじゃ勝てないんだ』

 十分な間を取って、もう一度矢を番えた。

 見えているモノ。

 躯全体か、空気(流れ)か? 或いは、呼吸か。

『いや…呼吸は違う。まだ一部の鬼狩りにしか使えないんだもの。鬼を一撃で屠る師匠の強さ…何か僕たちには見えない物を、見ているはず』

 珍しいことではない。春野宮はそう思った。

 自分が夢で未来を先読みするように、縁壱が、その目で何か別の物を見ていたとしたって、不思議ではないのだ。そして、それを謀(たばか)らねば文字通り、一矢報いることなどできない。

 春野宮は、呼吸を紡ぎ弓矢を引き絞った。

『『今度こそ』』

 仕留める。

 互いに思った声が重なった、気がした。

 引き絞った矢を呼吸と共に放った、その時、

「っ!」

 縁壱が目を丸くした。

「やった!」

 言うより早く、二矢目…いや、正確には、放ったと見せかけて弦だけ弾き音を響かせたその一本を、即座に引き絞り懐を狙った。

 呼吸を紡がず、筋力と集中だけでだ。

 迅速の矢が、迫る。

 だが、縁壱は、

「やりますね!」

 避けきれないと悟り、即座に、

「幻日虹(げんにちこう)!」

 技で回避した。

「あ~~~~! もう!」

「そこまで! か…全く鬼だな、縁壱は」

 地団駄を踏んで叫ぶ耳に、立ち合った惣寿郎が腰に両手を当てて溜息交じりに吐き捨てる。

「ホントだよ! もうやだもうやだ! 全っ然、当たんない!」

「いや、はる、縁壱じゃなければ、五、六回は死んでる、相手は」

「だあああ」

 春野宮は頭を抱えて天を仰いだ。

「嬉しくない! 師匠を撃ち落としたいの!」

「あははは」

 俄に、辺りの緊張が解けた。

 二人の手合わせに魅入っていた面々が、こぞって息をしたのだ。

 あっという間に感嘆の息やら興奮した感想やらが稽古場には飛び交って、傍に寄ってきた縁壱が、

「お疲れ様でした、はる。また一段と手強くなりましたね」

「今は嫌味に聞こえるぅ…」

「ふふ。兄上とも何度か稽古しているのでしょう? 義政(よしまさ)から聞きましたよ」

「だあもうそうだけどさ! 双子揃って強いんだよ、どっちも打ち落とせないんだからあ!」

「はる…」

「ああもう。ごめんなさいっ! 師匠、手合わせありがとうございました!」

「いえ、こちらこそ。はる、ありがとうございました」

 共に頭を下げて一礼をする。

 ぱっと見には分からないであろう縁壱の表情も、春野宮には、今では手に取るように感情が読み取れるようになった。

 相手は、とても素直なのだ。

『能面みたいなんて、下級隊士達は言うけど。師匠は打てば、ちゃんと響く太鼓を持ってる』

 きっとそれは、惣寿郎も等しく感じていることなのだろうと、思った。

 次第に日常と変わらぬ稽古場の姿に戻っていくところへ、その彼の鴉が舞い降りてくる。

 春野宮は縁壱と共に、一人と一羽を見遣った。

 報告を受けた惣寿郎は、

「そうか! やったか…!」

 満面の笑みになった。

 思わず縁壱を見上げると、彼もこちらを向いて視線を合わせた。そうしてもう一度、一緒に惣寿郎を見た姿を思うに、彼にも、理由は分からなかったのだろうと思える。

 惣寿郎は、鴉に何やら返事をした後、こちらを向いた。

「梗岢(きょうか)」

「…梗岢?」

 初めて聞く名前だ。

「ああ…翁(おきな)の屋敷で寝泊まりしている、雷の後継者ですよ」

 縁壱が補足してくれた。

「兄上が剣術指南をしているんです。翁と一緒に」

「へえ!」

 惣寿郎が続いた。

「彼はまだ己(つちのと)だが、昨夜仁和寺(にんなじ)へ、巌勝・義政と異能退治の初陣(ういじん)に出てな」

「うっそ! 己で?」

 頓狂な声を上げて言うと、近くにいた者数名が振り返った。

 話に耳を傾け始める。

「ああ。無事、討ち果たしたようだ」

 あんぐりと口が開いた。

 異能の鬼は、たとえ柱であっても、縁壱位外単独ではまだ討ち取れない。今の鬼狩り達の当面の退治目標である上級の鬼だ。『血鬼術(けっきじゅつ)』と呼ばれる不思議な力を使い、対等に向かってくる。

『だからこそ、異能退治には念を入れて、僕なんかでも師匠の援護に入るのに…!』

 それこそ、今朝方一体、退治してきたばかりであった。

『いくら義政と巌勝が一緒でも、己で…!』

 よもや、退治したのは柱二人ではないのか? そうも一瞬思ったが、軽く首を振る。

『あの翁が認めた後継なんだ。階級に惑わされると痛い目見るかも』

 小さく溜息が出た。

『後進は育っているのか…巌勝や義政達が見守る隊士達の中にも』

 縁壱が言った。

「名は、確か…波々伯部(ははかべ)梗岢(きょうか)、でしたね」

「ああ」

『波々伯部!?』

「雷霆(らいてい)の名に違わず、瞬足が売りですよ、はる」

「師匠…」

「躯全体を弓のように撓(しな)らせて回避する貴方とは対照的に、足が全てだと聞きました。義政に匹敵するようです」

「そんなに速いんだ…」

「鍛えようによっちゃ、超えるかも知れんな。呼吸もちゃんと会得してるし」

「そっか…うかうかしてらんないってことだね! 柱…この春からは、入替え制になるんでしょう?」

「そう言うことだ。頼んだぞ、はる」

「惣寿郎は、はるの弓がお気に入りのようですね」

「俺ばっかりじゃなくて、息子もだからな!」

 なんとも言えず縁壱を見上げると、彼は柔らかな笑みを湛え、惣寿郎も、快活な笑みを零した。



 その夜、春野宮は、縁壱の屋敷の門戸を叩いた。

 夕餉の後片付けをしているところで、灯りが点いたからだ。

 すぐに戸口に出てきた縁壱は、

「はる。どうしました」

「今日、任務お休み?」

「ええ。変な時間に目が覚めてしまいました」

「そうだったんだ、…どう? 気付に。あ、いや、もう一度寝るなら寝酒かな?」

 春野宮は頭の大きさほどの酒樽を掲げる。

「いいですね。たまには」

 柔らかな笑みを浮かべた縁壱の表情に、胸を撫で下ろした。

 招かれるままに軒を潜り囲炉裏(いろり)の傍へと上がると、枡を用意し始めた縁壱の後ろ姿を眺めた。

「ねえ…師匠」

「はい」

 囲炉裏の左手へ腰を落ち着ける。そこが、二人一緒にいた時の自分の席だった。

「今日さ、雷の後継者の話したでしょう?」

「ええ」

 枡を手渡され、中腰になって受け取り一つずつ炉端(ろばた)へ置いた。

 縁壱はそのままお勝手の方へと向かい、水甕から水を掬うと丹念に手を洗う。そうして糠(ぬか)に手を突っ込むと、胡瓜と大根を取り出して切り分けた。

「あ、まだ作ってたんだ。師匠いない時、どうしてるの?」

「…聞きますか、そこ」

 顔を見合わせ、無言になった。

 春野宮が笑い出すと、縁壱も微かに首を傾ける。

 皿に載せて戻ってくると、縁壱は、

「火。焚かなくて大丈夫ですか? 寒くないですか、はる」

「うん。大丈夫。ありがと!」

「はい」

「あ、でもさ。熱燗(あつかん)用意しながらでもいいね、結構量あるよ? これ」

「なるほど。そうしましょう」

「手伝うね!」

「ありがとうございます」

 徳利(とっくり)とお猪口(ちょこ)を取りに行った縁壱の代わりに、火を起こし始める。

「で。どうしました? 梗岢さんの事ですね」

「あ、うん」

 ここでの火起こしは、もう、お手の物だった。

 煌々(こうこう)と燃え上がる炎を見ながら、丁寧に炭を組み立てていく。先に準備を終えた縁壱が鉢に水を入れて持ってきてくれ、春野宮はその間に、酒を徳利へ移し替えたのだった。阿吽(あうん)の呼吸だった。

 縁壱も漸く席に着く。鉢を炭台へ置き、徳利を中心に備えると一息ついて、春野宮は口を開いた。

「波々伯部って話してたよね、昼間」

「ええ」

「もしかして、山城(やましろ)に程近い、丹波(たんば)の波々伯部一門の…?」

「そのようです。どうも…一族の生き残りだそうで」

「え?」

「半年ほども前、翁が連れて帰ったようです。偶々(たまたま)任務帰りに通った場所で、大きな戦があったそうで…あまり詳しいことはお伺いしませんでしたが、細川家(ほそかわけ)の内紛(ないふん)だったようですよ」

「やっぱり…! てか、内紛!?」

 春野宮は、悲鳴に似た声を上げた。

 心配そうに、じっと縁壱が見つめてくる。

「波々伯部一門は、細川家の忠臣だったんだ」

「そうでしたか…」

「内紛に巻き込まれて、きっと…。姉上がいたなら、そんな事にはならなかっただろうに…!」

「あの時の、姉君ですか? 昴(すばる)さん…」

「うん。姉上は摂津(せっつ)細川家に嫁いでいたんだ。あれから二年…きっと色々、変わっちゃったんだね…」

「山城は今、政局が不安定なようです。翁が一旦大和(やまと)へ帰参しているように、もし、貴方が…」

「ううん」

 春野宮は面を上げて、縁壱を見た。

 酒樽を手にして、彼に勧める。

 縁壱が礼を言いながら枡を手にしたのに、並々と注いでいった。

「僕はもう、山城へは帰らない。帰る時があるとするなら、無惨を倒した時だ」

「はる…」

「姉上に誓ったんだ。絶対、鬼のいない世の中を作るって」

 春野宮は自身の枡にも注ぐと、それを掲げた。

「ええ、ええ…そうですね。そうです。きっとこの手で、糾して見せましょうね」

「うん!」

 二人は、交わした枡の中身を一息に喉奥へ押しやった。

 もう一つ。春野宮には聞きたいことがあったが、

『それは、またにしよう。僕が師匠の足元にも及ばないことは、明白なんだ。もっともっと、腕を上げてから…!』

 断念した。

 そうして春霞の漂う宵を、二人静かに言葉を交わして過ごす。

 その脳裏で、春野宮は、

『波々伯部梗岢…。関わるのは辞めておこう。細川家の内紛に巻き込まれたとなると、僕は、彼にとって、政敵に当たるかも知れない。はっきりするまでは、うん。こっちがその気じゃなくたって、万が一ってことも…』

「はる。…おやおや」

「姉上……」

 横たわったその身に、暖かな日差しが注ぐようだった。

 知らず、掛けられた布団に包まると、穏やかな寝息を立てて深い闇に堕ちていく。

 頭にかかる掌が、とても優しくて、愛おしく、大好きだった。

第四話・壱・: テキスト
bottom of page