第参話:宵闇の侍
・参・
観音寺(かんのんじ)へは、翌・明け方に着いた。
人の足だ、それでも早い方なのだが、出迎えた住職はげっそりと窶れていた。
取り纏める義政(よしまさ)が様子を質すと、昨夜のうちにもまた鬼が出たらしく、村一つ挟んだ更に北西、丹後(たんご)との境の山里が、襲われたことを知った。
朝食などの丁重な持て成しと、仮眠をと部屋を案内してくれる寺の者に礼を言って、義政達は取り敢えず一息ついた。
宛がわれた寝室で、三人は、付近の地図に印を付けていく。聞いた、鬼の被害に遭った場所をだ。
「結構範囲、広くない?」
春野宮が言った。
「丹後と丹波(たんば)、境目付近が中心だけど、…但馬(たじま)だよね? 領土(ここ)」
とある場所を指し示して言うと、巌勝(みちかつ)が唸った。
「竹田城(たけだじょう)の辺りだな。丹波に程近いが…。依頼の機宜はこんなに間が開くものなのか」
初陣(ういじん)の巌勝には、まだ、流れは把握出来ていない。
「いや」
と、義政は、首を横に振るとなるべく丁寧に、鬼退治の一連の流れを話すことにした。
「鬼が出たら、割と早く早馬が飛んでくる。対処の早い寺院だと、自分たちで何とかする一方で、里にも京(みやこ)の統括を通して話があったりするんだ。里の斥候(せっこう)や鴉(からす)だけでは拾いきれないからな」
「ふむ…」
「だから、里から離れれば離れるほど、到着が遅れて被害が大きくなったり…、自分たちでなんとかし終えた後に到着した、ってことも、実はあったりする」
「なんとかし終えた、って、寺社が鬼を退治できたりするのか」
「ああ。日の出まで耐えて戦いを引き延ばすか、猩々(しょうじょう)緋鉱石(ひこうせき)で出来た武器があれば。追い返す場合が殆どだから、最悪、別の場所から、同じ鬼と思える二度目の依頼が舞い込むことも稀にある」
巌勝が絶句した。
如何に侍達より剣技に優れた鬼狩りでも、まだ、鬼と対等に戦えるだけの技量や、機動力、対応力はないことを知った様だった。
「ここは京からも近いし、おかしいよね」
二人の会話が途切れたところで、春野宮が話を元に戻す。
「考えられるのは、二つか…?」
義政が口元に手をやりながら言った。
「三国に跨がる被害状況だ。一つは、何処が責任を取るかで揉めて遅くなった。もう一つは、早馬(はやうま)は出していたが、それを妨げる何かがあった。それこそ、その鬼が喰った、とかな」
「後者はなくない? もし出していたとしたら、僕たちの到着に怒りそう。遅すぎるって」
「確かに」
「…もう一つある」
巌勝が言った。
「鬼が一匹ではない場合だ」
「「え?」」
二人の声が揃った。義政と同時に視線を投げると、彼が言う。
「依頼は一つでも、鬼が一匹とは限らんだろう」
そう言ったことはなかったのか? と言葉が続き、春野宮は頷いた。
「なかった。思い込んでた、一匹だって。鬼は基本、群れないから」
「そうか…」
義政も頷いた。
「生き残りがいなければ村の消滅は、戦や獣、鬼の仕業か分からず一緒くたにされる。鬼の姿を見た者が証言しない限り…」
「被害が近い場所なら、一匹で推測、換算されるだろう。鬼にとっては好都合じゃないのか」
「ねえ。まだ時間あるし、時期を聞いてみない? 場所だけじゃなくてさ」
「それはいい。時系列を整えればまた何か分かるかも知れないな」
春野宮と巌勝は即座に立ち上がり、地図を手にした義政が一瞬遅れて立った。軽く二つに折りながら、
「行こう!」
駆け足で、本堂へ向かう。
「やはりな」
「すごいや巌勝!」
「これは…間違いなさそうだな、二体いるぞ」
本堂の脇で、住職から時期を聞きながら書き込みつつ、三人は声を上げた。
一方は丹後から丹波へ、
一方は但馬から丹波へ、
数日置きに均等に、被害状況が上がってきていた。
「鬼の生態は俺にはまだ全く分からないが」
と、巌勝が地図を眺め、描かれた数字を換算しながら言う。
「決まった日数で移動しているところを見ると、数字で…まあ、鬼のことだ。朝を迎えた数とか太陽が昇った数だろうな。そういったので連携を取るしかないんだろう」
「なるほど、確かにそうだ。鎹鴉(かすがいがらす)のような連絡手段もなければそこまでの知能もないってことか」
「きっと互いの縄張りを侵さないようにしてるんだね、領土の境目が分かれ目なんだ」
「と言うことは、だ」
巌勝がにやりと笑った。
「二体同時に仕留めよう。一体ずつ叩いて異変を知られ姿を隠されても、二度手間になる」
「え。そんなこと出来るの?」
「何か策があるんだな? 巌勝」
「ああ」
巌勝は、思うところを地図を指し示しながら二人に告げた。そうして、
「住職。頼めるか?」
問いかけると、彼は「もちろんです!」とそれまでになく明るい表情(かお)で頷いて、本堂を後にした。
春野宮は義政と顔を見合わせて、満面の笑みになる。二人は同時に、
「「面白くなってきた!」」
と、腕を捲った。
巌勝も口角を上げて一つ首を縦に振ったのを見、春野宮は、しっかり頷き返した。
「日が暮れてきたね」
村の中心、小さな水車小屋に身を潜めた春野宮は、傍の二人に声を掛けた。格子の枠から漏れ入る光はすっかり橙色になって、山を渡る烏の声が聞こえる。次第に、虫の音も深みを増してきた。
場所は、丹波、丹後、但馬。三国に跨がる山の麓の村だ。
丁度、丹波の福知山(ふくちやま)城、丹後の宮津(みやづ)城、但馬の有子山(ありこやま)城、三点を結ぶ正三角形の中心部に当たる。依頼のあった観音寺は福知山城主と尤(もっと)も懇意だったが、残る二つの城主も知らぬ仲ではなく、鬼狩りの提案に快く協力をしてくれたのだった。
夜の帳が辺りを漆黒に染め上げていく頃、ぽつり。ぽつりと、小屋から小さな灯りが漏れ始めた。炊事や湯炊きの湯気が立ち上り、暖かな人の営みが辺りの雰囲気を和やかにする。
小屋からその様子を見ていた三人は、一層、息を潜めた。
やがて、
「ここは俺の縄張りだ!」
「違う! 俺の縄張りだ!」
大地を震わす低い二つの怒声が聞こえた。三人はそっと小屋の戸を開け、音を忍ばせ早足で、声のする広場へと向かう。その間にも二匹の鬼の言い争いは続き、次第に醜い罵声を伴い始めた。何事かと言うように、そこかしこの小屋から人が出てきたが、皆、甲冑(かっちゅう)を着ている。
「うわあああああ! 鬼だ、鬼だああ!」
一人が叫びながら、法螺貝(ほらがい)を鳴らした。
「あはは!」
思わず義政が笑った。
春野宮も、
「本当に腰抜かしたんじゃないよね、真に迫りすぎ」
「いやあれ、楽しんでるだろ。準備開始から半月、何処も被害が出なかったんだ。鬼狩りに対する信頼の証だよ」
「そか!」
言う間に、一個師団――福知山からの援軍だった――が争う鬼二匹を囲み、長槍(ながやり)を大地に何度も打ち付け鼓舞(こぶ)し始めた。
武士らの荒い気性はやがて一つに纏まって、ドン! ドン! と大きな音を打ち鳴らす。何事かと二匹が背中合わせに辺りを見遣った時には、円陣の中央に囲われていた。
「…」
巌勝だけが真顔だったが、それは、初陣であったことも影響していたかも知れない。春野宮は剛弓を手に取ると、
「行くよ、巌勝。思い切り踏み込んで! 僕が援護する、絶対守るから!」
「はる…!」
「よし! 行くぞ、巌勝!」
「ああ!」
義政、巌勝が円陣の一角から踏み込み斬り込むと、一斉に歓声が上がった。
春野宮は高揚に身震いすると、すぅ…と夜風を取り込んで、天高く飛翔した。
「空(そら)の呼吸 弐ノ型 円天氷鎚(えんてんひょうつい)!」
「はる…!? お前、もう…!」
義政が吃驚して空を振り抜く。
空に舞った春野宮の弓矢が、二匹を捉える。引き絞る弓は大きく撓り、まるで月が膨らんでいくようだ。
鏃に春霞の冷気が糸を引いて集まる。見る間に引き絞る一本の矢の周りに複数の銀糸の矢が現れ、互いに糸を引きながら連なって、屋根に滴る氷柱(つらら)のようになった。
目を見張った巌勝が、思わず、
「呼吸? あれが、御館様が仰っていた…」
「ああ。っくしょう! はるの方が先に会得(えとく)したのか! それも天気そのものを作ってんじゃねーかよ!」
義政が「負けねえ!」と歯軋りをする。抜刀し鬼の正面に出る間に、春野宮の矢はまるで多段斬りのように、二匹の鬼めがけて降り注いだのだった。
憤怒と激烈な痛みに大声を散らしながら、二匹が身悶える。
右の一体めがけて走った義政と、それをちらりと見た巌勝が左に向かい、互いに刃に力を乗せた。
義政の剣刃(けんじん)から巻き起こる風は、巌勝の「遅れは取らぬ」という、強固な意志を引き出し技量を高めたようだった。
「綺麗…!」
落下しながら見下ろしていた春野宮が、思わず呟く。突進した巌勝の振り翳した刃から零れるように月輪(がちりん)が溢れ、水琴(すいきん)のような音を奏でたのだ。
それは、須臾(しゅゆ)の間のことであった。
未だ荒削りな剣技と体幹では、技は刀に乗り切らない。春野宮が地上に舞い降りる頃には、月は消えた。
それでも、思う。
『本物だ…! 巌勝は、やっぱり師匠の兄君なんだ!』
呼吸の基礎を知らなかった時の自身と、同じ現象だと思った。
『きっとコツを教われば、すぐにでも…!』
一撃で仕留めた義政に対し、巌勝は、一度、鬼の振りかぶった腕を刃で受け止めた。
「くっ…!」
力任せに弾き、返す刀で胴を薙ぎ払う。
『ぎゃあああ!』
叫びもんどり打って、鬼は、その場から転がり逃げようとした。
「はる! 牽制!」
言わずもがな、咄嗟に春野宮は一矢を番(つが)えており、
「空の呼吸 参ノ型 飛天影縫(ひてんかげぬ)い!」
天に向かって放つ。
放たれた矢の方向に、義政が一瞬、「え?」と言う表情にはなった。が、瞬く間に驚嘆に変化する。
驚いていた刹那の間に、鬼が、何故かぴくりとも動かなくなったのだ。
鬼の様子を目で追って、薙ぎ払う腕を躱しながら距離を縮めていた巌勝は、反応が早かった。
「が、が。がアアアアア…!」
渾身の力を振り絞り、束縛から逃れようと藻掻く鬼の雄叫びが辺りに響く。武士団の面々が気圧され尻餅をついた中で、鬼狩りだけがその場に踏ん張り、巌勝は、
「うおおおおお!」
踏み込んだ。
刃を鬼の頚(くび)めがけて振り下ろす。
己らの胴回りほどもあろうかという頚は、真っ赤な血飛沫を上げて落ちた。一斉に、
「「「わ…わああああああ!」」」
辺りから、一際大きな歓声が上がる。
轟く欣喜に溢れる声の中、二匹の鬼共は、静かに塵となっていった。
「…ふう」
一息ついた三人に、武士団が駆け寄って来、戦勝に沸いた。
日ノ卯(ひのう)が本陣に舞い降りる。
「そうか…鬼は、二匹いたのか…」
報告を聞いた昌輝(まさてる)は、任務を遂行した三人の無事を聞き、胸を撫で下ろした。
偶々(たまたま)謁見していた惣寿郎(そうじゅろう)が、共に報告を耳にし、小さく拳を握り笑顔になる。
「近場でありながら日数がかかり、ひやりとしましたが。そう言う道理でしたか」
「うん。逃せばまた被害が出ると踏んだんだろう。どうやら念入りに、二匹同時に狩るよう仕組んだようだね。巌勝の案だそうだ」
「ほう!」
「被害のあった地域の城主(じょうしゅ)に下知(げち)を出して、付近の村から人民を全て屯所(とんしょ)や寺、城へと避難させたらしい。そうして二匹の鬼の縄張りの境目に、村人に扮した福知山の武士団を詰めさせて普通に生活し、おびき寄せたようだ」
「お蔭でその後の被害も出ず、鬼も逃さず、でしたか。…なかなかやるな! 巌勝め」
最後は満面の笑みになって独り言のようになった惣寿郎に、昌輝が笑みを零した。日ノ卯の方を向いて、
「お疲れ様」
声を掛けると、春野宮の元へ飛び立つ姿を見送る。
惣寿郎に向き直った昌輝は、もう一つ、嬉しい報告を彼に伝えた。
「はるは、呼吸を難なく使えているらしいよ」
「それは…! ですが、やはり、日の呼吸では…」
「そうだね…」
柔らかな面差しながら、声色は、残念そうになった。
「はるが縁壱(よりいち)の後継でないのが残念だけど、彼のそれも、独特なものだ。きっと、後にも先にも、弓矢で独特な呼吸を使える者なんて…そうそう、出てくるわけはないんじゃないかな」
「そうですね…」
頷いた小さな間の後、惣寿郎は、気を取り直して面を上げた。
「ですが、巌勝も加わりました。きっとこれからは、彼もまた、大きな戦力になるでしょう」
「うん。柱も後一枠。刀の色も見たことの無いものだったし、やっぱり少し、他とは違う気がする。ちょっと気にかけてやってほしいな。巌勝には他の柱達とも早急(さっきゅう)に連携取れるよう、任務を優先して回して、階級を上げさせるよ」
「は!」
惣寿郎が頭を垂れて快諾したのに、昌輝は、相好を崩して頷いた。
その二日後。
任務を終えて帰投した三人は、仲間達に手厚く出迎えられた。一頻(ひとしき)り談笑し、本陣へと報告に向かう。
だが、二人と笑顔で話す道中から、春野宮は、別のことを考えていた。
『僕は、未来を変えられるだろうか』
滅多に笑わない巌勝の無口な様は、弟と、同じだった。
だが、自身を温かく包んでくれる縁壱とは違い、巌勝の雰囲気は、まだ、誰に対しても冷酷な様に感じられる。
唯一、自分たちに対してだけは…今回の件を通して、少し、空気が和らいだような気もした。特に、物事を白黒はっきり言い切る義政には、好意が感じられた。それがどういう風に作用するかは、今は、分からない。
だが、あの夢の鬼は、もう、『継国巌勝』その人であろうことは、疑いようがない気がした。
――――もし、『夢見』を優先して、彼の腕前が上達する前に殺せば。
どうなる?
本陣も、僕も。当然、無事だ。きっと、未来は大きく変わる――――
『だけど、鬼狩りとしての巌勝の道は、まだ始まったばかりだ。僕たちは、まだ、これからなんだ』
本陣の門を潜る、その手前で、春野宮は、足を止めた。
遙か蒼穹はどこまでも続く、天を見上げた。
「はる?」
義政が言い、半歩先で巌勝も振り返った。
「ううん」
春野宮は笑顔になって、二人に駆け寄る。
本陣の門を、肩を並べて潜った。
「今日はとても、いい天気だな! って。思って」
「本当、お前は呑気だな~!」
「義政に言われたくない。僕、これでも結構色々考えてるよ?」
「ホントかよ。なんかこう…可愛くて可愛くてしょうがないんだけど」
身長差を揶揄する義政の手が、また頭に乗った。
彼の手は、何度でも、姉の昴(すばる)を思い出す。もう、嫌な気はしなかった。
「ま、身長なんて、後数年もすれば分からんがな」
ぼそりと言った巌勝に、春野宮は、
「ほらあ! 聞いた? ねえ。今の。聞いた!?」
「聞いたがお前が巌勝みたいに背が高くなるなんて保証はないだろ!」
「ひっどい! その言葉、忘れないでよ!? 僕、絶対義政より高くなっちゃうからね!」
「なんだそりゃ。分からんだろうが」
「義政~!」
「お! やるか?」
出掛け前の取っ組み合いの続きが今にも勃発しそうになった時。
「…ふ」
まるで『餓鬼(がき)だな』と言うような笑みを零して二人の中を割って先に進んだ巌勝に、春野宮達は、
「ちょっと! 巌勝!」
「おい今お前!」
矛先を向けた。
先を行く巌勝が瞼を伏せ、俯き加減に笑顔を見せたことなど後ろの二人は知る由もなく。
本陣の玄関から謁見の間へと、我先にと転がり込むように上がったのだった。