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​第参話:宵闇の侍

・壱・

 柱になって一週間も経たないうちに、お庭番衆(にわばんしゅう)が、一人の侍を鬼狩りの里に案内してきた。

 稽古場にて、黙々と呼吸法を弓矢に乗せる訓練をしていた春野宮(はるのみや)は、飛来した日ノ卯(ひのう)に動作を止める。

『来たぞ、はる』

「師匠のお兄さんか…どんな人だろうね? 日ノ卯!」

 弓を片し袋にしまいながら、弽(ゆがけ)はそのままに矢だけ拾って、稽古場を後にする。

 日ノ卯は弓の袋の頂に鎮座したまま、楽をした。その様に春野宮は笑みを零す。足取りがとても軽かった。

 里の南の出入り口に行き着く前から、鬼狩りの姿がいつもより多い気がした。きっとどこからか、『縁壱(よりいち)の兄』の噂を聞きつけて、集まってきたに違いない。

「ごめん、ちょっと通して」

「あ、春野宮様! お疲れ様です」

「うん! お疲れ様~」

 明るい声色で返す。柱に選ばれてからと言うもの、一部の人間の見る目は変わった。全く現金なものだと春野宮は思う。それでもまだ対抗心のようなものを、周りから感じることはあった。階級制度が出来てからは、一週間しか経ってはいない。その頂点である柱、そのうちの一枠を、たかだか十三歳の、それも、ここへ来て半年の若輩者に奪われたのだ。気持ちは分からなくもないし、鋭い視線に、産毛が逆立つことも何度もあった。

 柱の仲間達が、出入り口に程近い場所に陣取っている。

「はる!」

 雪之丞(ゆきのじょう)がいの一番に気付いて、手を振ってくれた。

「雪! いよいよだね」

 言いながら駆け寄るのが早いか、

「兄上!」

 先頭にいた縁壱が、いつもより大きな声色を発した。

 皆で見合わせた顔が喜びに溢れた。

 駆け出した縁壱の後を追い、落ち着いた物腰ながら思い思いに、傍に寄る。春野宮は少し駆け足で、縁壱を追った。

「!」

 ところが、その足が途中で止まった。

 雪之丞が心配そうに声を掛けてくれたが、笑顔で、

「あ、先に行って? ちょっと袋の帯が外れちゃったみたい」

 理由を取り繕って、彼らを見送った。

『紫闇(しあん)の、着物…! それに、あの顔。双子!? 双子だったのか…!』

 吐き気がした。


 師匠が自分を殺すはずがない――――。

 何より師匠が、鬼になるはずなんかない――――。


 その答えが、あっさりと出た。

「縁壱……」

 呟いた声に、嘔吐(えづ)いた。雄叫びではあったが、声は聴いている。

『あれは、あの声は、間違いなく、彼の声だ…! そんな! なんで…!』

 巻き起こる疑惑は、胃の中を激しくかき混ぜるようだ。

 何度か身を揺らして嘔吐するのだけは堪える。

 彼の顔には痣(あざ)こそないものの、その顔も、背格好も、縁壱そっくりであった。

 案内役(あないやく)のお庭番衆が一礼をしてその場を去ると、皆が彼を囲む。遠巻きに見ていた春野宮はすぐには動けずに、そしてまた、同じように佇んでいた義政(よしまさ)が、

「へぇ」

 と、興味本位の一言を発した。視線はまるで、上から下まで嘗めるようだった。

『失礼だから! 義政ったら』

 いやいや自分もか。と、思考がそちらに向くと、いくらか気分はましになった。覚束ない足取りで皆の傍に寄り始めた時、

「もしかして、双子か?」

 義政がド直球を投げた。

 相手は当然のように、不機嫌極まりなく顔を顰める。答えは無かった。

 縁壱が言葉を添えるべきかと身じろぐと、その横から翁(おきな)が一歩を踏み出した。流れるように自然な所作だった。

「儂(わし)は柳生(やぎゅう)但馬守(たじまのかみ)じゃ。宜しくな、若いの」

「継国(つぎくに)巌勝(みちかつ)。宜しくお願いいたします」

 彼が手を腰骨に添え、体躯を曲げた。

 流麗な所作だった。春野宮は目を見張った。所作の美しさは、そのまま武芸の善し悪しにも通ずる。それも、周りには決して染まらぬ、媚のない様。武家社会で相当、揉まれた証拠だ。

『とんでもない人が来た…! それも。それも、もしかしたら。鬼に…!』

 仲間達が口々に自己紹介する輪から、翁が弾き出されていた。彼もまた、何か思うところでもあったのだろうか。動きの止まった翁は輪から外れると、必然的に義政に近付く。彼は、頭一つ分以上は背の高い風の柱を見上げ、

「誰が巌勝殿と手合わせするかの?」

『御前試合のことか…確かに。師匠の兄上じゃあ…相当』

 腕は立つだろうし、誰もが一番槍を望むかと思われた。

 ほれほれ、と、翁が義政の脇腹を小突いている。

 対して義政はじと目で翁を見下げ、耳を欹(そばだ)てれば、縁壱が、まさにその話をしているところであった。

 巌勝を囲む輪が開き、自分をも含め、義政らをも迎える。

「三条(さんじょう)春野宮天晴(たかはる)。…宜しくお願いします」

「俺は貴船(きふね)義政。鞍馬(くらま)の貴船だ」

 殊更横柄に名乗った彼に、春野宮は、

『義政あ。もう。大人げないよ…』

「継国巌勝だ。…宜しくお願いいたします」

『ほら。ね』

 再度頭を下げた巌勝に、義政が「あ」という顔になる。苦虫を噛み潰したところで、春野宮は、

「ま。師匠の兄上でも、みんな、容赦はしないよ!」

 援軍を出した。

 が、巌勝の表情は変わらない。縁壱以上に大人びた――いや、十分自分より大人であろうが――、雰囲気だった。

「ったく…」

 翁が苦い笑みを零した。血の気の多い若い衆に、何とも言えない気になったに違いない。

「どれ…」

 龍洞(りゅうどう)が一歩を踏み出す。

 別の角度から自分たちを見ていた彼は、草履の踵を摺りながら近づいてくる。地を這うような、独特な歩き方だった。

「私は薙刀(なぎなた)使いでね」

 言うが、春野宮は心得ている。

 龍洞の言う薙刀使いとは謙遜だ。肩に担いでいるのは鉈(なた)ではない。偃月刀(えんげつとう)だ。

 それは、武器としては薙刀とは、正確には造りは異なる。幅広で肉厚の、極めて重量のある刃を備えた槍、大刀(だいとう)の一種だ。

 龍洞は巌勝より少し背は高いが、だいぶ優男だ。髪も肩まで流して気にかける様子はなく、この見た目に騙されると相当痛い目に遭う。何しろ、片肩で軽々とその武器を担いでいるのだ。

 果たしてその見立ては巌勝にも理解し得たものであったのか、

「入隊試験(御前試合)は、私では不服かな」

「いえ。…宜しくお願いします」

 丁寧に腰を折った。

「よし。じゃ、半刻(はんこく)後に本陣の庭で」

「立ち合いは俺がする」

 食い気味に言ったのは義政だ。

 龍洞が頷き、

「兄上」

 一息ついたところで、縁壱が話しかけていた。

「御館様の元へ案内(あない)いたします」

「ああ。分かった」

 縁壱が先を行き、巌勝を連れて去った。

 暫くその背を眺めていた春野宮は、

「なんか僕…あの人苦手だな。底が知れない…」

 思わず呟いた。

 強烈な吐き気はもうないが、胸の奥がざわついて止まない。今夜またあの夢を見るのではないかと思うと、息が詰まりそうだった。

「縁壱とはまるで正反対な感じだな。あいつは兄君を尊敬してるが…」

 そう言うのは、惣寿郎(そうじゅろう)だ。

「似てるのは、見かけや所作だけだ」

「尊敬してるんだ、師匠…」

「なんだ、その辺の話はしたことないのか?」

「取り立てて話すことでもないし、毎日稽古と任務で忙しいんだから、話題はそっちになっちゃうよ~」

「あはは、確かにそうだな」

「ともあれ。御前試合を見られないのは残念だ」

 会話に神々廻(ししば)が加わる。

「まあ、縁壱の兄だ。龍洞が何処まで通用するのか」

「なんだ、私が勝つとは誰も予想してくれないのか?」

 龍洞が呆れたように笑う。

 雪之丞が言った。

「俺は龍さんに一票だよ?」

「儂もじゃ。賭けてもいい」

 翁が言うと、皆は吃驚してそちらを見向いた。

「じゃがの、」

 と、雷帝(らいてい)は続ける。

「油断するとすぐに抜かれるぞ、皆」

「「「!」」」

 翁が真顔で二人の背を目で追うのを見て、皆も、釣られてそちらを見やった。

 二人の姿は、既に、遙か遠い。



 その夜、縁壱は、割と遅くまで囲炉裏(いろり)を点けたままにしていた。

 彼の屋敷は炊事場と、奥に茶室のような小さい書斎、そして、この、囲炉裏のある八畳ほどの部屋があるだけだ。

『これでも、広い方です…惣寿郎が、『体面もあるから』なんて言わなければ、書斎は不要でしたし。ここももう一回り、小さくて良かったのに』

「うた…」

 炎の爆ぜる小さな音を聞きながら、膝を抱えて顔を埋めた。

『淋しいです…、貴女がいない生活は』

 肩が小さく震えた時、隣で、寝返りを打つ音が聞こえた。

 はっとして、顔を上げる。火照った頬を軽く押さえてそちらを見ると、布団を豪快に蹴飛ばした春野宮が寝返りを打って、こちらを向いたところだった。

 静かな寝息が聞こえ、思わず笑みがこぼれた。


 数日前。

 愛宕(あたご)から二人里へ帰投して、縁壱は、春野宮に、彼の新居を案内した。柱になったため、共同屋敷を出ることになるのだ。

 と言っても、彼の新居は隣だった。驚かせてみようかと、何も言わず自分の屋敷に招くと、

「はる、隣が貴方の屋敷になる予定ですよ」

「えぇっ!?」

 春野宮は、あんぐりと口を開けた。二度ほど鯉のように口をぱくぱくとさせたのを見て、内心笑みがこぼれた。

「裏手に弓場(ゆみば)を作っているので、建替えにはもう少し時間がかかりそうですね」

「はあ!? ちょっと待って」

 春野宮は、自分と、建て替えている家と、自分の屋敷を、交互に見遣り指を指した。

「師匠の家より僕の家の方がでかいよ!? おかしいよ、逆でしょ普通!」

「いえ…私は、狭い方が落ち着くので」

「えええ? ちょっと待って、やだよ恥ずかしいじゃん! 何の拷問これ」

「いえいえ、惣寿郎や翁のものと比べたら、」

「比べるとこ違うから!」

「そうでしょうか…。あ、弓場はない方が狭かったですね、その方が良かったのでしょうか…」

 弓場を提案したのは私なので、と、心持ち声を落として言葉を添えると、春野宮は一瞬怯んだ。が、肝の据わった少年はすぐに気を取り直し、

「そう言う問題じゃない! 僕、一番年下! 経験も浅いし、」

「それなら簡単です。実戦でその腕を明らかにすればいいだけのこと」

「!」

「もうすぐ出来上がりますから、それまでは狭いところですが、私の屋敷で」

「狭いところとか言わないでよ! 心臓更に縮むじゃん!」

「それは失礼しました」

「あ~~~もう! なんで!? 出来たら取り替えっこしようよ!」

「……嫌です」

「はああああ? じゃ、せめて一緒に住んでよ! 僕一人であの屋敷使うとか、無理無理無理無理。絶対無理!」

「………」

「無言にならない! それ、逃げ? ねえ、逃げ?」

「…いえ……」

 縁壱はしれっと、そっぽを向いた。

 春野宮が飛びついてきて、顔を新居に向けさせようとする。思わず口元に手を当てて笑いを堪えると、少年はますます茹で蛸のようになって暴れた。


「…はる。ありがとう」

 彼の額に手を当てて、優しい声色で呟く。

『貴方のお蔭で、私は…』

 頭を撫でて、腹だけ冷やさないように軽く掛けてやると、春野宮は、

「姉上………」

 胸が軋んだ。

『この子はまだ、十三歳。愛し愛された一番大切な人と、そんな歳で、別れをせねばならないなんて。どれほど辛かったことか…』

 それでも彼は、迷わず弓を取った。

 それは凄いことだと、縁壱は思う。

『私は惣寿郎が来るまで、ずっと、うたの亡骸を抱えたまま動けなかった…』

 縁壱は、春野宮の寝顔にまた、笑みを零した。

「貴方が笑顔の裏で懸命に怒りや憎しみを押さえていること、分かっていますよ。それでも貴方の弓矢は、ぶれない。ずっと…ずっと、そのままで。真っ直ぐ前だけを見ていて下さいね、はる」

 もう一度頭を撫でると、縁壱は、囲炉裏の炭をどけて灰を被せた。

 蛍の光が少しずつ色を失っていくように、炎は、闇に解けていく。

 室内が無音になると、外から、一層大きく虫の音が聞こえた。

「…はる。お休みなさい」

 格子の窓に切り取られた夜空を眺め、胸に手を当てた。

『うた。お休みなさい…』

 縁壱は春野宮の隣に敷いた床に身を移すと、刀を枕元に置いた。それから静かに、乾いた音を立てる布団に包まって、ゆっくりと瞼を閉じた。



 入隊のための御前試合は、雪之丞と翁が予測した通り、薙刀使いの夢柱(ゆめばしら)、美濃部(みのべ)龍洞が圧勝した。

 数日後、それは鬼狩り全員が知ることになったが、龍洞や立ち合った義政を含め、八人が漏らしたのではない。同じくその日に入隊を迎えた別の若手が、次の試合にと傍で控え見ていたのを吹聴したのだ。

『ここの一部の人間って、なんのために鬼狩りになったんだろう?』

 何処にでも醜聞を立てる者はいるものだ。

 実力がものを言う世界なら尚更で、春野宮も、それは理解している。

 だが、他人を貶めたところで、自分の腕が上がる訳では決してない。

 仕舞いには、巌勝の入隊は、縁壱の兄だからと陰口を叩く者まで現れ、春野宮は、深々と息を吐いた。

『普段稽古場で立ち回りも見られるのに、相手の力量も分からないようじゃ…死ぬだけだよ? ホント、阿呆くさ』

 いつの間にやら、春野宮も、皆と共に巌勝を守るように囲う側に着いた。巌勝は、それだけ真面目に、無駄口一つ叩かずに、鍛錬に励んでいたからだ。

『あの日の夜、僕は、夢を見なかった』

 春野宮は、新居へ荷を運びながら思考を巡らした。

『水埜宮(みずのみや)様が言ってた』


 ――――決めるのは、主だ。

 未来を替えたら別の未来が不幸になることもある。

 だが、未来とは、定まったものではない…。

 未来を変えたいと願う者がいる限り、

 それもまた、

 未来を動かす一つの力になり得るのだ――――


「姉上が死んで、僕が鬼狩りになるのはあの時点で動かしようのない未来だったのだとしても。『夢見』は、その先を示していたんだ」

 春野宮は、最後の荷物――縁壱が贈ってくれたのだと後から知った――矢立(やたて)を取り出すと、縁壱の屋敷を後にした。

 門の手前で矢立を脇に置くと、

「お世話になりました、師匠!」

 深々と腰を曲げ、時間をかけて頭を下げ続ける。

 本人は任務で前日の夜から留守にしていたが、今日この日のことは、前もって、二人で決めていたことだった。

『巌勝さんが鬼になるのが先か、僕たちが始祖(しそ)を倒すのが先か』

「あの日がどんな日なのかは分からなくても、やることは変わらない。巌勝さんのためにも、師匠のためにも、始祖を倒す。それだけだ!」

 春野宮は面を上げると、両手で矢立を抱え、歩き出した。

 が。

「…隣なんだよなあ」

 格好はつけたものの、ちょっと歩いて隣の屋敷に行き着くと、思わず見上げて立ち止まった。苦い笑みがこぼれた。

「師匠帰ってきたら、家に遊びに行っちゃお! 隣だもん。いいよね!」

 一瞬前の決意は何処へやら、春野宮は、弾む足取りで軒を潜ると、お気に入りの矢立を寝室の床の間へ置いた。

 日ノ卯が『へえ…新居だ! おめでとう、はる!』と、舞い降りてくる。

第参話・壱・: テキスト
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