top of page

​第弐話:柱

・参・

「では、決まりだね」

 昌輝(まさてる)がやんわりと言った。

 皆が姿勢を正し、彼の方へ身を向ける。そんな自分らを見渡して後、

「後のことは縁壱(よりいち)に…と言うか、鴉かな?」

 皆が笑みを零した。

 昌輝も微笑んで、縁壱に視線を向けた。

「里は歓迎するよ、何時でも」

「ありがとうございます」

 縁壱は平伏した。

 昌輝は頷いて、

「後一つ、私から」

 縁壱が面を上げるのを待った。

「実は、惣寿郎(そうじゅろう)と宗厳(むねよし)から相談を受けてね」

 二人以外がちらりと、彼らの方を見向いた。

 昌輝が続けて言う。

「鬼狩りの子供達もだいぶ増えた。かなりの所帯になる。明確に、階級を作ろうと思う」

「!」

「ここにいる八人には、柱として組織を支えて欲しいんだ。やることは今までと何も変わらないんだけど」

 俄に浮き足立った。

 特に、義政(よしまさ)と雪之丞(ゆkのじょう)は興奮気味だ。顔を見合わせたそれが、高揚していた。

「「喜んで!」」

 二人の声が揃った。

 義政に限っては、「よっしゃ!」と掛け声拳付きである。

 その様に昌輝が「ふふ」と笑みを零すが、春野宮(はるのみや)は、正直戸惑いを隠せなかった。

 中腰になり、膝を一歩進め、

「ぼ、僕もですか…?」

 不安が声に出る。

「僕はまだ、ここへ来て半年です。やっと里に慣れてきたところなのに、そんな、突然…」

 光栄なことではあったが、出る杭が打たれることは幼い頃から経験済みだ。それでなくとも共同屋敷では、未だひどい仕打ちが続いている。

「それに僕は、頚が斬れません。ただの弓使いです…」

「胸を張れ、はる!」

 言ったのは、惣寿郎だ。

 腹に響く銅鑼のような声に、足先から身が震えた。

「お前が援護する鬼退治で、逃した鬼はこれまでに一匹たりともいないぞ。主要な戦にお前は絶対に欠かせない。それだけの腕を持ってる。推挙したのは俺だ」

「惣寿郎…」

 翁(おきな)も首を縦に振った。

「鏃(やじり)を猩々(しょうじょう)緋鉱石(ひこうせき)の物に替えてより、誰が教えずとも『呼吸』を紡ぎ始めてると聞いた」

「え…?」

「恐らく、縁壱から手解きを受ければすぐにでも会得するじゃろう」

『呼吸? 呼吸って…そう言えば、始まる前も、そんなこと言ってたっけ…』

「主の弓はな、天性のモノじゃ。御仏より授かった力と言っても良い。与一公(よいちこう)の再来とはよく言ったものじゃが、弓の聖域、山城(やましろ)にいてさえも、主の御技は飛び抜けており居心地が悪かったじゃろう」

「!」

「ここにいる者はな、それぞれに役目を担っておる。自然と歯車が噛み合って、なくてはならん存在じゃ」

 春野宮は、胸を詰まらせた。すぐには言葉出てこず、溢れるものを必死で堪える。

「はる。ここではもう、その力を抑える必要はない。存分に弓を極めよ。主の鏃は常に、一点を狙い定めておる」

「一点…」

「鬼の始祖、鬼舞辻(きぶつじ)無惨(むざん)。儂(わし)らには、主の覚悟が見える」

「!」

 とうとう、春野宮の双眸から雫が溢れた。

 嗚咽を堪え、必死に袂で零れるものを拭う。傍の神々廻(ししば)が、膝にぽんと、片手を乗せてくれた。

 見ていた昌輝が、指を組み双眸を輝かせた。

「私はね、確信していることがあるんだ」

 染み入る声だった。

「鬼はまだ、未統制だ。近いうち、きっと、鬼舞辻を追い詰める。君たちが、きっと…! やり遂げると、信じているんだよ」

「っしゃあ! やるぜぇ!」

 感極まったのか、義政が飛び上がり拳を突き上げた。

 皆が笑う中で、思わず、春野宮も笑みを零し、また、涙が落ちる。

『姉上、僕…!』

 翁が長い髭(ひげ)を弄るのが見え、

「ま、その前に」

 ふぉふぉふぉと、笑うのを見た。

「お前はその風の呼吸を何とかせねばな」

「えっ? あ、あ~~~!」

 義政が頭を抱えると、雪之丞も呻いた。

「俺もだ…」

「霧吹き状態だからなあ」

 隣の龍洞(りゅうどう)がにやりと笑いながら、濡れた袖を持ち上げる。

 雪之丞は「申し訳ない」と縮こまったが、皆は笑声を立てた。

 そんな彼らを愛おしそうに昌輝が眺め、そして、

「炎柱、煉獄(れんごく)惣寿郎」

「! はっ!」

 惣寿郎が、さ、と手を付いて身を低く引いた。

 皆の顔に輝きが漲る。ほどよい緊張が走り、昌輝が続けた。

「鳴柱(なりばしら)、柳生(やぎゅう)但馬守(たじまのかみ)宗厳(むねよし)。

 風柱、貴船(きふね)義政。

 夢柱(ゆめばしら)、美濃部(みのべ)龍洞。

 岩柱、神々廻主水(もんど)。

 水柱、錆沼(さびぬま)雪之丞清臣(きよおみ)。

 昇柱(のぼりばしら)、三条(さんじょう)春野宮天晴(たかはる)」

「はいっ!」

「そして、日柱(ひばしら)、継国縁壱」

「は!」

「ここに、鬼狩りの柱たる八名を任命する!」

「「「は!」」」

「頼んだよ、みんな」

 御館様の最後の一言は、張りが控えて和らいでいた。慈愛に満ち、信頼に溢れていた。

 誰もが一層身を低くし、声高に返答する。

『姉上、僕…居場所、見つけたよ!』

 春野宮は、深く、それは額が畳に付くほどに、頭を下げた。感謝の念に堪えなかった。

『武家三条のみんな、ごめんね。僕は、ここで、生きていく。必ず鬼のいない世の中を、作ってみせる! この、弓で…!』

 面を上げた時、皆と一つになった心持ちが、分かった。

『見ててね、姉上!』

 もう何も、怖いものはなかった。

 本陣を出るところで、縁壱に呼び止められた。

 弓が引っかからないように気を付けながら振り返る。

 見れば、縁壱に「また後で」と惣寿郎が言って、踵を返した背中を見た。

「ん? 何かあった?」

 遠ざかる惣寿郎の背中を見つめたまま問いかけると、縁壱は隣に並びながら言った。

「三日ほど、私に時間をくれますか? はる」

「それは構わないけど…任務。大丈夫?」

「お館様の許可を頂いていますから、大丈夫ですよ」

 春野宮は思わず笑った。

「それじゃ僕には拒否権ないじゃん」

「…確かに」

 縁壱の瞳に優しさが点ったような気がした。

 元より彼は何時でも優しいが、話すとより分かるのだ。豊かな感情の機微。

『闇夜に光る蛍のような、小さな囁きだけど。師匠は本当は、とても繊細だ』

「では、行きましょうか」

「…何処へ?」

「愛宕(あたご)です」

「え? 惣寿郎の故郷?」

 驚いて見上げると、彼はこくん。と首を縦に振った。

「京(みやこ)を出るまでは、少し走りますよ、はる」

 駆け出し、振り返った縁壱の表情が、楽しそうに見えた。

 遅い春を迎えた里の柔らかな風が彼の髪を攫い、その姿ごと、まるで霞に連れて行くようだ。

「あ、うん! 待って、師匠!」

 春野宮は弓を担いで慌てて駆け出した。

 元服の儀式を中断された彼の髪も、長いままだ。一つに結わえられたまま…、きっとそのまま、髷(まげ)になることはない。

 京を西へ抜け、愛宕山(あたごやま)の麓まで来ると、辺りは一気に桜景色になった。

 絶頂期を過ぎ風で舞い散るばかりだが、ほんのりと甘い香りが鼻腔を擽る。ここまで来ると、縁壱の足は緩やかになり、やがて二人は並んで歩いた。

 見上げると、彼の顔が仄かに笑みを湛えている。

 遠く彼の視線の先を追って、

「綺麗だね、師匠」

「ええ…ええ。本当に」

 静かな声色が、花びらの波間を泳いで行った。

 少し歩いて、山門を潜る。九十九折(つずらおり)が続き、葉桜になりつつある桜並木の坂を登っていく。並木の合間には時折漆喰(しっくい)の壁が姿を覗かせ、鉄砲穴や弓穴が設(しつら)えてあった。

『もしかして、…城塞? 愛宕の煉獄…って、もしかして、愛宕の山城が根城なのか!』

 城下にも立派な屋敷がある。それは周知の事実だ。

 だが、ひとたび戦乱に巻き込まれれば、愛宕の山城が要害になるであろうことが、蛇のように曲がりくねった参道と、飛び道具用の漆喰の壁で分かった。

 桜の木々に囲まれぱっと見には分からないが、よく目を凝らせば、忍び返しの石垣や、堀もある。坂もそれなりに急であるし、草の葉に紛れて出っ張りをも見受けられる。

『あの高さから矢の雨が降ったら、一溜まりもないな…』

「よく…通してくれたね、ここ」

「鬼狩りとしての貴方を、認めていますからね。惣寿郎は」

「…そか」

 山城を出た経緯は、直接話してはいない。

 もしかしたらと縁壱を仰ぎ見たが、彼が余計なことを話すこともないだろうと思えた。

『経験値かな…きっと色々、人間(ひと)を見てきてるんだろうな…』

 登り切り、城門を二つほど潜る。

 だだ広い庭園が開けた。

 城壁に沿うようにして右手に歩いて行くと、屋敷が見えてくる。

 それが惣寿郎のここでの仮住まい場なのだと理解した。

「ちょっと…想像してなかったな。惣寿郎はやっぱり凄い人なんだね」

「はるだって似たような城を持つはずだったでしょう。武家三条に収まっていたら、一国一城の主でしたでしょうに」

「それは、そうだけど」

 見渡せば、まだ奥に広い庭園が広がっていた。

 天守閣(てんしゅかく)や物見櫓(ものみやぐら)、一(いち)の曲輪(くるわ)が高く聳(そび)えるのを見る。右脇には愛宕山の頂があるところを見ると、東から北側を山に囲まれた天然の要害で、一の曲輪の向こうには三の曲輪があるだろうと思えた。櫓が遠く、見えるからだ。

『登ってきた側が表側で、西の縁(へり)にあるのがきっと二の曲輪だ。あそこが迎撃(げいげき)のための前線の砦か』

 尤も、この山城に籠城(ろうじょう)となった日には、麓の京はとうに火の海と言うことになる。

『幕府転覆でも謀らない限り、ここが戦場になることはないのだろうけど…』

 春野宮は、生唾を奥へ押しやった。そんな日が来ないといい、そう、強く思った。

 庵(いおり)のような、簡素な屋敷に着く。

 ここまで来ると、周りは木立に囲まれていた。燦々(さんさん)と降り注ぐ春の陽光を新緑の梢が翻して、金波銀波に輝いている。

「たのもう」

 縁壱が声を掛けた。

 比較的大きな声で、春野宮は目を丸くした。

「師匠はここ、何度か来てるの?」

「ええ。休暇が合った時は、惣寿郎と二人、良く過ごしますよ」

「そうなんだ…」

 暫くして、奥から「はーい!」という明るい声がした。子供のそれだ。想像だにしていなかった返答に、会話が途切れる。

 ぱちくりと一度ゆっくり瞬いて、耳を澄ました。

 駆けてくる小さな足音に、大股で闊歩する音が混ざる。きっと後者のそれが惣寿郎なのだろうと思った。

「いらっしゃい!」

 明るい声の主が現れた。

 庵の柵の向こうに、小さな惣寿郎がいる。

「そ。そっくり!」

 思わず叫んだ。誰がどう見ても、親子だ。

「ふふ」

 縁壱の笑みが聞こえた。

『えっ!?』

 勢いよく見上げた。

 確かに彼が、笑っていた。

『そっか…ここ。師匠にとっては気を許せる数少ない場所なんだね』

「皆そう言いますよ、初めてお逢いすると」

「それはそうでしょう。誰がどう見たって惣寿郎の子供じゃん」

 二度目の「くすり」という縁壱の笑みを聞いて、春野宮も嬉しくなった。

 明るい瞳、黄金色の髪。毛先はやっぱり紅く染められ、幼いながら骨太な体躯は、惣寿郎をそのまま小さくしたようだった。

「こんにちは!」

 柵を開けて招き入れられる最中だった。

 歩を進める間しっかりと頭を下げて、両手を重ねて添えている。

 礼儀正しいのも、惣寿郎の息子らしいと思った。

「ぼく、えんじゅ丸といいます。兄さまが、弓をつかう人?」

「え?」

 首を傾げて見つめられて、春野宮は言葉に詰まった。

「そ、そうだけど…ええと。三条、春野宮、天晴…ああもう。はるでいいや。覚えるの難しいよね?」

 言いながら、目線の高さを合わせるべくしゃがんだ。自然な動作だった。名乗りながら膝を抱え、結局自分の方が低くなって剡寿丸を見上げると、

「はる!」

 幼子は穢れのない笑みを零して名を呼んだ。

「あ…あはは」

 どういうこと? と、更に天を仰ぐようにして、春野宮は、大人二人を交互に見遣った。

 惣寿郎が言った。

「剡はどうやら、刀より弓の方が好きらしいんだ」

「!」

「できれば刀を持たせたいが、どうも、打ち付けたり踏み込んだりが苦手みたいでな…縁壱に相談したら、お前と引き合わせてはどうかと」

「そうだったの…」

「弓は好んで持ってくるんだ、教えて欲しいって」

 春野宮は立ち上がった。知らず、自身の弓袋を強く掴む。

「少し、手解きしてやってくれないか? お前の話をしたら、剡も逢いたいと毎日のように駄々を捏ねられてな」

「それは構わないけど…」

 逡巡すると、剡寿丸の両手が伸びてきた。弓袋毎自身の手に手を重ねて、必死に掴んでくる。まるで、離せばどこかへ行ってしまうかと、分かっているようだ。

 見つめると、一際ぎゅっと強く掴まれて、春野宮は吃驚した。

「はる。よろしくおねがいします」

 真摯な瞳に息を飲んだ。

『分かっているのか、剣の才能はないこと。それとも、単に…弓が…』

 春野宮はもう一度惣寿郎の方を向いて、

「愛宕(ここ)の頭領になるんだよね? 剡寿丸」

「そのつもりだ」

「弓も刀もって、それはどだい無理な話だ。だけど、弓を選べばそれはそれで、苦労するよ? 分かってるよね、惣寿郎」

「ああ。分かってる。毎日のようにお前を見てるんだ」

「それでも、なの?」

 意図せず、声色が低くなった。

 山城での弓は絶対的な存在であったが、それは、石清水(いわしみず)八幡宮(はちまんぐう)の存在と、与一公を奉(たてまつ)る恩恵だ。武家社会ではどうしても、弓より刀が優先される。

 鬼狩りの里となれば、尚更だ。

 柱を取り纏める炎の化身が、嫡男(ちゃくなん)に弓を、とは、酔狂なことだと思った。

「それでもだ。剡が選んだ。二言はないと、何度も言い聞かせてる」

「二言て…まだこんなに…」

 幼いのに。

 そう言いかけて、口を閉ざした。

『自分だって、この頃には弓を取った。選ばなければ進めなかったからだけど、それはこの子も…同じなのか…』

 未だ手を繋いだままの剡寿丸を見下ろすと、春野宮は、

「…分かった」

 今度は片膝を付いて恭しく一礼した。

「愛宕の次期頭領の弓術指南ができるなんて、光栄です、剡寿丸様」

 そうしてにっこりと笑うと元の表情に戻り、

「ただ、容赦はしないよ? 僕」

「はい!」

 凜とした声色に、春野宮は面食らった。

『この子はこの子なりに、覚悟があるんだ。きっと…惣寿郎がいない留守を預かる身として、精一杯、背伸びしているんだろうな…』

「じゃ。早速」

 春野宮は弓を左手に持ち替えると、利き手に剡寿丸の小さな手をしっかりと握った。ゆっくりと立ち上がりながら、

「折角ここまで来たんだもん。いいよね? 師匠、惣寿郎?」

 大人二人は顔を見合わせて、破顔した。

「元よりそのつもりだ、よろしく頼む、はる」

「良かった…連れてきた甲斐がありました」

 二人の言葉に、春野宮も頷く。

「剡。使ってる弓や弽(ゆがけ)を見せてくれる? まずは身体に合った物を用意することから始めよう」

「はい!」

 こっちこっちと、弾む足取りで駆け出した剡寿丸に、半ば引っ張られる形で、春野宮は屋敷の奥へと足を踏み入れた。

 惣寿郎と縁壱の、頼もしい足音が後に続く。

第弐話・参・: テキスト
bottom of page