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​第弐話:柱

・弐・

 部屋の出入りの戸が、小姓(こしょう)の手により開かれた。まだ前髪も揃えていない幼子だ。彼は、戸の脇で、片膝を付き頭(こうべ)を垂れた。

 縦二列に座し、見ていた春野宮(はるのみや)を含め、室内の八人の侍は、一斉に平伏した。

 衣擦(きぬず)れの音に、畳の軋む音が複数重なる。

 一際高いところに、足音の主が腰を下ろすのが分かった。続いて、二つの音。そのうちの一人が、声を上げた。

「面を」

 幼い声だった。

 春野宮達は、一糸乱れぬ様で面(おもて)を上げた。

「急に呼び出して、すまなかったね」

 中央の、八人の主が言った。

 彼は脇息(きょうそく)に腕を乗せ、――体調が優れないのだろうか――乱れた息を整えていた。

 その後方に、年端もいかぬ幼児が二人、座している。主の嫡男(ちゃくなん)・輝王丸(きおうまる)と、次男・燐寧丸(りんねいまる)だ。上は五歳、下はまだ二歳で、下の子は女官(にょかん)が抱いて来た様子だった。今は、更にその後方に控え、燐寧丸だけが円座(わろうだ)に腰を掛けている。

『あんなに小さいのに、もう、お役目を果たしているのか…』

 春野宮は、舌を巻いた。

 二人とも、大人宛(さなが)らの顔付きをしていた。それが返って見掛けの幼さを際立たせているが、この場の雰囲気と重要さは理解している顔だった。

『こんなに立派な跡継ぎがいるなんて…鬼狩(おにが)りの一族って、ううん。鬼狩りって、有象無象の集団じゃなかったんだ、これ…。とてもじゃないけど、万が一、戦(いくさ)になったら勝てないぞ? 相当数、数をつぎ込まないと』

 春野宮は、脇に置いた自分の武器に横目をやった。

『世界って、広い…!』

 幾つかの報告や指示を彼らが受けるのを何となく耳に入れながら、春野宮は、また、彼らを順に眺めた。

 そのうちに、昌輝が、

「実は、縁壱(よりいち)から話がある」

 静かに言った。

 暁の侍に話題が振られると、春野宮は自然と背筋を伸ばした。しっかり前を向いて、耳を欹(そばだ)てる。


 継国縁壱。


 癖のある長い髪は毛先が赤く燃えるようで、一つに束ねられ、その背に流れている。

 上座に座る彼は、実質、この侍達の頂点に立つ者だ。滅多なことでは顔色は変わらず、穏やかな性格に似合わぬ激甚な剣技が、皆から慕われ尊敬されている。

 その彼が、直角に身を滑らせ皆の方を向いた。所作が流れる水面のように明媚だった。

 額にも毛先と同じ色の、まるで炎の紋のような痣(あざ)がある。目を惹くが、本人は、至って気にしてはいない様子だった。

 縁壱は、深々と頭を下げて言った。

「入隊希望がありました。皆様に御裁可頂きたく」

 瞬時に、その場の空気が変わった。

 一同が目を丸くして互いに顔を見遣ったのを、春野宮は不思議そうに眺めた。思い思いに身を移し、面と向き合った彼らに倣う。

『僕の入隊時は違ったのかな? 押しかけて来ちゃったから、もう、どうしようもなかったのかも。それとも、何か理由が…』

 見れば、縁壱は、暫く、頭を下げたままだった。

 数秒固まったままで、面を上げるのと、惣寿郎(そうじゅろう)が口を開いたのとが同時だった。

「縁壱が確認を取るなんて余程だな?」

 彼の少し後方、斜め前。獅子の鬣(たてがみ)のような髪は、まるで異国の者のような毛色の男だ。


 煉獄(れんごく)惣寿郎。


 容姿の派手さも手伝って、京(みやこ)では、『愛宕(あたご)の煉獄』と言えば、知らぬ者はいなかった。

 愛宕は今や全国に信者を持つ、愛宕信仰発祥の地だ。火之神(ほのかみ)を祀り、祭祀(さいし)である煉獄家は、文字通り、炎を操ると言われている。

 惣寿郎は、齢(よわい)二十一にして、その宗家頭領だった。六歳になる跡取息子も既におり、惣寿郎の留守中には代わりを務めている。

「初めてじゃないかのう? 縁壱の推挙は」

 嗄(しわが)れた声が響いた。

 惣寿郎の隣にいる翁(おきな)のものだ。


 柳生(やぎゅう)但馬守(たじまのかみ)宗厳(むねよし)。


 齢七十を超える小柄な老人だ。臍(へそ)の辺りまである長い白髭(しらひげ)が印象的で、どこか剽軽(ひょうきん)な顔付きをしていた。顔に深く刻まれた皺の多くが人柄を示しているように思えたが、眼光は鋭い。ひとたび刀を握れば豹変するであろう事は、容易に察しが付いた。

 何しろ、彼は、柳生新陰流(しんかげりゅう)を世に知らしめた一人だ。

 国は大和(やまと)で、筒井(つつい)順慶(じゅんけい)や松永(まつなが)久秀(ひさひで)らとの覇権争いに巻き込まれている。柳生一門は、生き残りに必死だった。

 とは言え、この翁は、息子の宗矩(むねのり)に家督(かとく)を譲った後は、隠居よろしく鬼狩りなどに手を出した。老体にそぐわぬ彼の足捌(あしさば)きは、まるで雷霆(いかづち)の様で皆に一目置かれたが、まあ、酔狂である。

 彼は長く真っ白な顎髭(あごひげ)を撫でながら続けた。

「何か気になることでもあるのかのう?」

 普段は若者達の好き勝手を優しく見守る翁だが、可愛い彼らが思い悩むとあれば好奇心…もとい、心配にもなるのだろう。

「兄なのです」

 縁壱は、漸(ようや)く聞き取れるかと思える声量で言った。

「!」

 即反応を見せたのは、惣寿郎だ。

 口を開いたのは、縁壱の隣の義政(よしまさ)だった。

「兄貴?」

 縁壱が彼を見、頷く。


 貴船(きふね)義政。


 戦乱の世には珍しく、雑把(ざっぱ)に揃えた短髪がツン。と跳ねている。人懐こい感が滲み出で、春野宮より年上ではあるがそれを笠に着る様子もない。

 彼は郷土、鞍馬(くらま)での任務を終えて戻ったばかりだと先程聞いた。その出身は、京四山(みやこよんざん)が一つである。

 京の北に於いては絶対的な権力を誇り、一族の舞姫は神の使いと京でも持て囃されている。その兄の義政は、風を起こし嵐を呼ぶ、風神の化身と恐れられていた。

 常に風を身に纏う彼は、飄々(ひょうひょう)としていた。黙っていれば深い緑の上着に黒袴が落ち着いた印象を与える好青年だのに、ぶっきらぼうな物言いをしがちで、煉獄等年長者達には、危なっかしいと思われているようだ。

 思わず、春野宮は、後に続いた。

「継国家は? 大丈夫なの?」

 すかさず、

「お前がそれを言うか?」

 義政が言うと、皆がくすりと笑みを零した。

 が、縁壱は至って真面目で、

「家は、捨てた…らしいです」

 きつく目を閉じて言った。眉根が微かに寄っていた。

「あの日…もっと早くに駆けつけていれば。兄上は実りある日々を、今でもお過ごしだったかも知れないのに…」

「相当な覚悟だね…」

 翁の隣に座した、見目麗しい青年が口を開いた。着物も袴は纏わず着流して、胸元も開(はだ)けている。


 美濃部(みのべ)龍洞(りゅうどう)。


 京一の色男を豪語しているが、満更でもない。切れ長の一重が京のどの役者にも劣らぬ美貌を象徴していて、本陣に恋文が届くのは彼だけだ。毎月、隠(かくし)と呼ばれる産屋敷家(うぶやしきけ)のお庭番衆(にわばんしゅう)が運んでくる、美濃部宛の兵糧(ひょうろう)や酒の量にも、皆、あんぐりと口を開け呆(ほう)けてしまう。

 尤(もっと)もそんな日は、この者達の間で一世一代(いっせいちだい)のくじ引き大会が始まる。当確者は一晩、どんちゃん騒ぎだ。

 ただ、彼自身は、身の上を話したことはない。西国の生まれだとは入隊時に話さざるを得なかったようだが、推挙が翁だったため、皆納得したのだ。

「断って欲しいのか?」

 とは、龍洞の隣に座した若者だ。


 錆沼(さびぬま)雪之丞(ゆきのじょう)清臣(きよおみ)。


 腰まである長い黒髪は肩でゆったりと束ねられ、前に流れている。その様が麗しい水紋の様で、息を飲んだ。後れ毛が顔に影を落とし、どこか物憂げな雰囲気が漂うが、所作には無駄がなく、相当手練(てだ)れだと思われる。

 風の義政とは歳が同じだ。彼もまた、身から迸る水の飛沫をきちんとものに出来ていない。

 酒席では水芸よろしく傘を渡されたりだが、笑顔で答えるノリの良さは、到底この雰囲気からは想像し得なかった。皆から愛されているのは、この減り張りの良さにもあるのだろう。

 聞けば、剣技に至っては柔和な性格が反映されてか、攻め込むよりは守りに強いらしい。皆、彼からはなかなか一本取れずにおり、極めて防御力が高かった。

 剣を極めるため東国(とうごく)は遙か北、奥州(おうしゅう)伊達家(だてけ)より出奔(しゅっぽん)してきた気概ある若者だ。

「しかし、帰る場所とて自ら捨ててくるのだろう」

 雪之丞の言葉に呻いたのは、義政の隣、岩の男だ。


 神々廻(ししば)主水(もんど)。


 京からは少し離れた紀州(きしゅう)は山奥、高野山(こうやさん)の出である。

 紀州では名の知れた高僧で、齢も三十四と、鬼狩り達の中では翁に続く年嵩(としかさ)である。と言っても、雷帝(らいてい)は倍以上離れてはいるが。

 一度は頭を丸めたのだろう、また伸ばし始めたのか、義政よりは若干長い髪を、雀の尻尾ほどに結わいていた。高野の袈裟(けさ)を身に纏い、出自(しゅつじ)を自ら晒(さら)すことをも厭(いと)わない彼の決意は、相当なものだろう。

 里に来るまでは、寺に相談のある物の怪退治に暇(いとま)が無かったそうだが、とうとう鬼狩り一本に絞ったという強者だ。

 高野のきつい修行のお蔭かがたいも立派で、振り回す武器も戦斧(せんぷ)であった。彼に狙われた鬼が逃げ延びた話は、終(つい)ぞ聞かない。

 岩の使い手であるという彼は、斧を片手に、片手で力む拳を振り上げれば、大地が隆起し鬼を襲うと、京では専らの噂だ。

 無論、皆は、「んな阿呆(アホ)な」と口を揃えてはいる。


「ね? 言ったとおりだったろう? 縁壱」

 昌輝が柔らかな笑みを零した。

「兄と聞いたからといって、みんな、すぐ否定はしないよ」

「御館様は了承を?」

 義政の言葉に、昌輝は困ったような顔付きになった。

「したかったんだけど、縁壱が煮え切らなくてね。ならばと、みんなを呼んだんだ」

「兄君の幸せを慮(おもんぱか)ってのことだろう」

 神々廻が熟考して言う。

 惣寿郎も、

「だろうな…」

 目を伏せ、頷いた。腕を組んでいた。

 その表情に、春野宮は内心で首を傾げる。彼はまだ、縁壱の身の上を聞いたことはなかった。数人が、「気持ちも分かる」と唸って、何となく、想像するに留まった。

「まあ、」

 重い空気が流れた中を斬り込んだのは、龍洞だ。

「出自に問題はありませんね。私が言うのも何ですが」

 この時代、鬼狩りになるのに一番必要な要素は、剣技ではなかった。

 藤襲山(ふじかさねやま)すら、その存在をまだ知られてはいない。

 鬼も物の怪も人の世に跳梁(ちょうりょう)跋扈(ばっこ)しているのだ。半宵(はんしょう)に出歩きでもすれば、高確率で遭遇するのは言わずもがなだ。閉じ込めておけばなどと、生半(なまなか)な時代では無かった。

 そもそも、戦乱の世である。

 男児なら、刀は使えて当然である。春野宮のように弓を選んだ男児もいるが、希有(けう)な存在だ。

 必要なのは、明確な出自だった。

 天下統一を目指す諸将が鎬(しのぎ)を削っているのだ。鬼狩りとは言え、剣客(けんかく)が揃えば諸国が黙ってはいない。

 敵は鬼であり、統制はとれているとは言え、元は無法者の集まりである。

 だからこそ、里は各国の忍びの里同様、深山幽谷に囲まれた中にひっそりと存在している。それでも、間者(かんじゃ)が紛れ込みでもすれば厄介だ。

 ある意味期待を裏切らず、仲間と思っていた者の首を、有無を言わず刎ねたこともあった。

「てかさ」

 黙り込んだ縁壱を見ながら、義政が首を捻った。

「お前、西国に刀を取りに行ってたろ? いつの間にそんな話したわけ? 兄貴と」

 そう言えば。と、皆の視線が一様に向いた。

「ここへ戻る途中に、任務で寄った先で」

「兄貴を助けたのか!」

「ええ…」

「天命だな」

 神々廻が手を合わせて言った。

「その後は、私の鎹鴉(かすがいがらす)がやり取りを」

「なるほどね…」

 顎に手をやりながら、龍洞も頷く。

「十年振りに近い再会だったか?」

 縁壱が黙って頷く脇で、義政も何度か首を縦に振り、

「兄貴の方も思うところあったのかもな。連絡取り合っていられなかったんだろ?」

「ああ。そうなると確かにね」

 雪之丞も頷いた。

「俺はあんまり遠いから、逢いたくても逢えないけど」

「奥州だもんなあ」

「近いのも考えもんじゃぞ。宗矩が帰ってこいと、五月蠅(うるさ)くてかなわん」

 翁の言い様に、皆が笑う。

 それを春野宮は、真顔で見ていた。

『そんなに、仲良かったの…? 師匠のとこ。僕は…』

 複雑だった。

「そうだとしたなら」

 縁壱が言って、春野宮は彼を見た。心なしか、色を帯びたように見えた。皆も違いに気付いたのか、笑顔を見合わせていた。

「なんだか嬉しそうだね、師匠?」

 春野宮は悪戯っぽく笑って言った。こんなに大勢の前では、心の内は、まだ、ひけらかすまいと思った。長いこと、兄弟間の権謀(けんぼう)術数(じゅっすう)に翻弄(ほんろう)されてきた、本能だった。

「ええ」

 だが、縁壱は、恥じらうように咳を一つ立てた。

 それが返って、驚いた。

 縁壱が言った。

「そうだとしたなら…嬉しいのですが」

 俯いていたこともあって、消え入るような声だった。

第弐話・弐・: テキスト
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