特別編:聖夜
~継国さん。~
『すっかり泣かなくなりましたね、勝縁(かつより)』
「ふふ」
呼吸を紡いで炎を身に纏うと、「う?」と手を伸ばす様が可愛くて、泣き顔も違う顔になることを縁壱(よりいち)も覚えた。
今ではすっかり、お風呂に入れるのもお手の物だ。
流石に初めは、
『こんな使い方をする日が来ようとは…』
と、日の呼吸を赤ん坊をあやすのに使う自分に戸惑いもした。
どうしましょう、と、我が子の反応に戸惑い目を丸くした顔が、勝縁には面白かったらしい。高い声で笑う様子に嬉しくなってしまって、
『ま。いいですかね、悪用しているわけではないです。ええ』
自身に言い聞かせた。
そのうち、手の感触や温もりを彼も覚えたのだろうか、日増しに呼吸を紡ぐことは少なくなるほど、身を任せてくるようになった。
ふと、
「あなた、バスタオル一式、置いておくわね。そろそろ十七時になるわ」
「ありがとう、うた。そろそろ出ますね」
「はあい」
「…勝縁。今日はおじさんが来ますよ。君も私も大好きな、巌勝(みちかつ)おじさんですよ」
思わず笑顔になって言うと、勝縁が笑声を立てて応えた。
『好きな人は同じですねえ』
くすりとまた笑みがこぼれて、我が子を抱えて風呂を出る。思わず頬擦りをしたが、それは嫌がられた。
「勝縁…」
何とも言えず、気落ちする。
だが、感情が伝染する前に落ち着くと、ふかふかのバスタオルに包み優しく押し当てて水滴を吸った。
「うた~!」
「はいはい~!」
駆けてくる妻に我が子を託すと、手早く自身も拭いて身支度を調える。とは言え、着物姿だ。身支度よりも髪を乾かす方に時間を取られ、首元で一つに束ねて前に流した。そうして居間に戻ったときには、勝縁はもう、寝間着に着替え隣室にいた。
宵闇の中で、ゆりかごに揺られ、うとうととし始めている。風呂に入った後は疲れもあるのだろう、毎度の寝姿だった。
暫くはうたが子守歌を歌いながら、ゆっくりと駕籠(かご)を揺らしている。その傍に寄って肩を抱くと、そっと髪に口付けた。
「いつもありがとうございます、うた」
「それはこちらのセリフ。冬の間くらい、のんびりしてね、あなた」
「はい。出来ることがあれば教えて下さいね、よく…分かっていないので」
「もちろん。頼りにしてるわ、お父さん」
「ふふ!」
穏やかな寝息が聞こえてきたところで、顔を見合わせる。
一緒になって立ち上がり、そっと部屋を出ると、襖を閉めた。
時計を見上げるが、
「珍しいですね、兄上が時間に遅れるなんて」
「イブだもの。混んでるんじゃない? 道路」
「ですね…」
とは言え、そろそろ一時間になろうとしている。部屋の隅から隅へ行ったり来たりすると、うたが笑った。
オーブンから軽快な音が響いて、
「あら。アップルパイ、焼けちゃった」
テーブルに並ぶご馳走も手つかずながら、もう、置く場所なんてない。
「暫くはオーブンの中ですね」
「そうね」
確認だけ。と、うたがミトンを手にしたところでチャイムが鳴り、縁壱は微かに飛び上がった。
「来ました!」
夫婦で顔を見合わせてから、
「兄上!」
聞こえるはずもない呼びかけをして駆けていく。背後で妻の小さな笑声が聞こえたが、弾む気持ちを抑えられなかった。
「いらっしゃい! お待ちしてましたよ」
扉が開け放たれる前から言って、目に入った光景には動きが止まった。
兄の姿が見えない。…荷物で、だ。カラフルな箱が大小様々、七段ほど積み上がっている。挙句、花束まで抱えている始末だ。
『きっと矢琶羽(やはば)が順に乗せたんですね。ふふ!』
思いつつ、
「兄上?」
身を横にくの字に折って、脇から見上げる。
苦い笑みを零した兄の横顔に、また、心が弾んだ。
「こんばんは、縁壱さん!」
「いらっしゃい、矢琶羽。凄い荷物ですね…」
「頼みすぎなんだよ、巌勝さん。いっそのことサンタの格好でもすれば? って言ったらさ、」
「話を蒸し返すな、矢琶羽」
「って有様だよ」
笑声が幾つも重なる。
うたも傍に寄ってきて、
「いらっしゃい! 巌勝さん、矢琶羽くん」
「うた、縁壱。メリークリスマス! 全部、順に受け取ってくれ」
「兄上…」
ひとまず、大きな花束から受け取りうたに渡す。
巌勝の顔がその裏から出てきて、三人は、また笑った。
「これも取らないと足元見えないですよね?」
一番上の贈り物を手にすると、
「それはうたへ。後は縁壱、頼んだ」
「ちょっと待って下さい、とにかく上がって下さい兄上」
「受け取れよ、縁壱…」
「その手には乗りません」
言うと、矢琶羽が笑った。
「こっちにもあるよ。日本酒とワインと…なんだっけ、スパークリング? だったかな? 炭酸のと」
「え」
矢琶羽が両手を掲げて大きな紙袋を見せると、弟夫婦は、流石に苦笑した。
巌勝と矢琶羽が笑う。
居間の方から十八時を告げる鳩の音が聞こえた。まるで聖なる夜の宴が始まりの鐘を鳴らしたようだった。
夜も更けた頃、勝縁が目を覚ます。
素っ頓狂な声で泣き始めたのがきっかけで、三々五々となった。
「兄上、もう少しだけ。お待ち頂けますか」
うたがあやしに行ったのを横目に見、時計を確認した兄に、慌てて声を掛け引き留めた。
「ああ」
頷きに安心して、一旦うたの方へ戻ろうと思う。と、
「一緒に行ってもいい?」
矢琶羽の声に「もちろん」と応じた。
彼が、うたと勝縁の相手をし始めてくれ、きっと、時間を作ってくれたのだろうと思う。
『ありがとうございます、矢琶羽』
「ちょっとお願いしますね」
「ん!」
孤児院で小さい子の面倒を見ていたという彼は、うたとも話が合うようだった。一緒になってあやしてくれる姿にほっとする。
隣室を離れ、居間を見遣った。
すぐには巌勝の姿を見つけられず、思わず「兄上」と呟きそうになったとき、庭に続くバルコニーに姿を見つけた。
茶羽織を手にとって、庭へ行く。自分の分は先に羽織った。
「兄上。寒くないですか」
凜とした空気の中で、夜空を見上げる兄の隣に並んだ。
「はい、どうぞ」
「ああ。すまないな」
茶羽織を渡すと袖を通し、温もりに顔が綻ぶ様を見る。こちらは倍、暖まる気がした。
「星が綺麗ですね…」
「ああ。桜町(さくらまち)は静かだから、よく見えるな」
「本当に。都会に行くと街灯りに消えてしまいますもんね」
「この景色は、今も昔も変わらんな…」
「兄上…」
夜を渡り歩いてきた兄には何が見えているのだろうと、急に思った。
『見上げた景色は同じでも、心に映るものは違うのかも知れません…』
凪いだ水面に小石が投げ入れられたようだった。
星の瞬きにも似たさざめきに、言葉がない。
しかし、兄はこちらを向いて、
「縁壱。メリークリスマス」
懐から、小箱を取り出した。
手元のそれを見ては驚いて、
「兄上。あの、実は…」
同じく、袂から小箱を取り出す。
「メリークリスマス、兄上」
「これ…」
お互いに似たような小箱を手にとってはただ取り替えた感じに、二人顔を見合わせた。
「開けてもいいですか?」
尋ねると、兄も同じ問いを投げかけて来、二人で開ける。
中に鎮座したそれを見ては、また、顔を見合わせた。
「「あははは!!」」
一瞬後、巌勝は身を折り、縁壱は口元に手を当てて笑い出した。
「義政(よしまさ)の豪快に笑う様が目に見えるようだな!」
「ホントですよ! 空明(くうめい)さんもどんな顔して舞を踊ったやら!」
「それぞれに送る最後の瞬間まで、二人とも絶対馬鹿にしてるぞ!?」
「絶対二人一緒に郵便局に行ってますよね? 届いたの、」
「「十二月二十日!」」
互いに指さし、声が揃って、二人はまた、笑った。
それは、組紐だった。空明の加護の付いた守り紐だ。
巌勝が用意したそれは縁壱の髪を結う長紐、
縁壱が用意したそれは首元を飾るチョーカー、だった。
「ったく…」
「ありがとうございます、兄上。大切にしますね」
先に言われたと、兄の表情が物語った。
「ああ。俺も。ありがとな、縁壱」
巌勝は取り敢えず、と言うように、手首に軽く巻付けて結ぶ。器用な手つきに目を見張っていると、兄が気付いて、
「さ。髪。結ぶか?」
「! はい!」
はにかみ、組紐を渡した。
背中を向けて少し天を見上げると、自然と笑みがこぼれた。兄の指が優しく髪を梳いて行くのを、瞼を伏せて感じる。
『幸せです…』
巻かれる度に組紐が奏でる乾いた音が、心地良い。
『もう絶対。二度と。兄上に辛い思いはさせません。逃げたりしません。何があっても…』
思ったとき、兄の声が届いた。
「これでよし。と」
「ありがとうございます、兄上」
「ん」
兄が笑った。
「困ったことがあったら、いつでも呼べよ?」
「!」
――――助けてほしいと思ったら吹け。すぐに兄さんが助けに来る。
だから何も、心配いらない――――
「げ。またお前は。なんで泣く!?」
「泣いてません!」
「最近ちょっと気が緩みすぎだぞ、」
「何言ってるんですか、喋らなければそれはそれで気味が悪いって言うくせに」
「だからってそうあけすけに感情を表すものでもあるまいが!」
「兄上に言われたくありません。口を開けば怒ってるか呆れてるかするくせに!」
「あのなあ!」
「ほらそれです!」
「まあたやってる。あの二人」
いつから自分たちを見ていたものやら、矢琶羽の呟きが聞こえた。
同時にそちらを見向けば、隣には勝縁を抱えたうたも笑みを零して佇んでおり、縁壱には言葉がない。
兄はと言えば、頭を掻いて同じように口を噤んでいた。
「仲いいのよね、あの二人」
うたの言葉には反論したかったが、控えた。そうしてこの日何度目か、兄の方を見向くと、やはり兄もこちらを見ていて、
「……」
「……」
思わず互いに笑みを零す。
『継国の神様。どうか…この日々が続きますように。兄上の元に安らぎが、永久(とこしえ)に降り注ぎますように』
「身体冷えたでしょう? 暖かいものでも淹れましょうね」
うたが気遣ってくれ、縁壱達は駆け寄った。二人で三人を囲み、縁壱は、勝縁を腕に招いて「産まれてきてくれて、ありがとう」と呟く。
勝縁は朗らかな声で笑うと、巌勝に触れようと手を伸ばした。
「すっかり目が覚めたな、勝縁」
兄は人差し指を差し出して、彼が掴むのに任せた。小さいながらぶんぶんと振って、兄に笑いかける。
「巌勝おじさんに会えて嬉しいですね、勝縁」
「おじさんはやめろ、縁壱」
「じゃ、なんと?」
「……お兄さん?」
「……」
「……」
黙って見つめ合うと、傍で矢琶羽が代わりに笑った。
「代弁しよっか?」
「いや、いい」
「いいです」
「そ? あはは!」
再度笑った矢琶羽に、勝縁の笑いが重なる。
二人はなんとも言えず、また、顔を見合わせた。
継国(つぎくに)神社(さん)は、聖夜も平和だ。
番外編:聖夜・完