第七話:沙羅双樹
・捌・
~継国さん。~
思わぬ訪問者達のお蔭で人手が十分に集まった大掃除は、恙無(つつがな)く終わった。それもひとえに、縁壱(よりいち)が普段から弁えて生活しているからだろうと、巌勝(みちかつ)は思う。
「…ふう」
魔の刻が訪れる前には姉妹も麓(ふもと)へ降り、残る面々は色気のない者達ばかりとなった。縁壱が自ら、茶を淹れに隣のキッチンへと立った。
「今日はお疲れ様でした。本当に助かりましたよ。事務方ばかりでは、全てを終えるのに手間がかかるので」
湯飲みを渡しながら言う縁壱は、本当に、嬉しそうだ。
狛治(はくじ)達が、口々に礼を言いながら受け取る。それぞれが一息ついたところで、巌勝は、
「狛治がここへ先に足を延ばした理由は分かった。いざとなったら、俺が空明(くうめい)に掛け合うから。その点は心配するな」
「すみません、助かります」
「いや。憂世(うきよ)が暴走でもしたら一大事だからな。それより、こんなに早く金比羅(こんぴら)を離れて大丈夫なのか。あそこは死渡(しと)が足りないだろう」
「それは、煉獄(れんごく)がいてくれるので」
「あ。そういうことか」
「『煉獄杏寿郎(きょうじゅろう)』…って、言ったよね?」
とは、矢琶羽(やはば)だ。
「あ、ん」
「東国(とうごく)の剣士って言ってたけど、死渡ではないの?」
「それが俺も不思議なんだが、どうやら違うみたいなんだ」
「そっか…けどさ、『あの頃』の関係者なんだよね?」
「聞き覚えがあるな。狛治、お前…」
巌勝が真顔で言うと、狛治はなんとも言えない顔で頷いた。
縁壱だけが、「どういうことですか?」と、ついていけない顔をしている。
巌勝が言った。
「『煉獄杏寿郎』は、炎柱だ」
「!」
「大正の頃のな。狛治が鬼であった頃、対峙した」
「そうでしたか…」
「立派な侍だった。目を見張る腕前で…縁壱。お前が知る初代炎柱・『煉獄惣寿郎(そうじゅろう)』に勝るとも劣らぬ剣の使い手だ」
「…会いたいです。会って、あの頃の礼を言いたい…。ご先祖様に随分、助けられたこと」
「そのうちな」
「はい…兄上」
「で。お前は? 継国様。なんで人形(ひとがた)で降臨してくる…」
「あ! そうですそれです! なんでですか!」
苦々しい思いは縁壱もそうであるようだが、理由は違う気がした。弟にとっては、カナエの身が心配なのだろうと、巌勝は思った。
「頭がいいと思っていたんじゃが、存外阿呆じゃのう。継国の双子は」
くくっと彼(か)の者は笑い、双子の鋭い視線を奪う。
「妾(わらわ)が社(やしろ)の留守番をしてやろうと言うのじゃ」
そうして、絶句した。
「どういうこと?」
代弁したのは矢琶羽だった。
自身、秋の会合で巌勝と共に京(みやこ)へ行けば、そのまま戻るよう言い渡される恐れがある。それは予測し得たことだが、巌勝からは一旦顔を見せるよう言い渡されてしまっていた。でき得ることなら、社の護りは己が勤めていたかった。もう少し、継国にいたいと思っていた。
「うむ…」
彼の者はゆっくりと、双子を見遣った。
「今回の会合のことじゃが。まだ話しておらぬな? 巌勝は」
双子は見つめ合ったが、巌勝の顔は苦いままだ。
「バラバラ事件の事があったからな、話しそびれただけだ。ちゃんと言うつもりだった」
「兄上?」
「会合。今回は、お前と、胡蝶(こちょう)姉妹も連れて行く予定だ」
「え?」
縁壱が驚いた声を出した。
「それは…随分前にお断り差し上げましたよ、義政(よしまさ)に」
「ええ!?」
今度は巌勝だ。
「私は離れるわけには行きませんし、姉妹だって学校があるでしょう。それで」
「義政から連絡があったのか」
「ええ。別途、便りが届いて、それで」
巌勝は深々と嘆息をついた。
「だからか…」
と、膝を抱えながらスマートフォンを取り出した。
「空明(くうめい)が何度も連絡を寄越してきたのは、お前からの返答があったからだな。最終的に俺が返事してしまってる、一緒に行くって」
「え」
「だから、姉妹には意志を確認してくれ。二人が行きたくないって言うなら話は別だ。だが、後から人数増えます、は拙いからな」
「それは…そうかも知れませんが。何故」
「姉妹に関しては、空明に何か思うところがあるんだろう。遅くとも明後日には京入りする予定だ。矢琶羽の…」
と、巌勝は視線を縁壱から矢琶羽に移した。眼差しは、柔らかいものになった。
「友人の朱紗丸を助けに、地獄へ乗り込む。会合の前に」
「巌勝さん…!?」
「空明が一緒に舞ってくれる。縁壱の負担を減らし、かつ、俺が地獄へ矢琶羽と一緒に乗り込むには、やむを得ずだ」
「そんな。空明さんが? 了承されたのですか?」
「ああ」
「それは凄いことです…!」
「お前と空明なら、万が一もないだろう」
「ええ、ええ…!」
「と。言うことになると、だ。なるほど。それを継国様は察しておられた、と」
巌勝の視線を受けて、彼の者は「ほほ」と笑った。
「それとな。その京の舞姫…空明じゃが」
継国様は扇子を静かに閉じると、二人を鋭く見遣った。
その眼差しには、双子のみならず、狛治達も息を飲む。空気が一瞬で張り詰めた。
「空明を、出雲(いずも)へやってはならぬ」
「…は?」
疑問を投げたのは巌勝だが、言葉がなかったのは縁壱と矢琶羽だ。狛治が「どういうことだ?」と皆を見回すと、矢琶羽が意を決したように、
「姐さん…、出雲の素戔嗚尊(スサノオ)に、求婚されてるんだ」
「なんだって?」
巌勝が頓狂な声を上げた横で、縁壱が溜息を一つついた。それは多分に事情を知っていそうなそれで、巌勝が問い詰めようとしたとき、矢琶羽が更に言った。
「でもそれは、断ってるよ! 何度も。俺も義政様も釘を刺してるし、毎回丁重に、使いの者を出雲に寄越してる」
「ですが、空明さんは…自身でお断りはされていないのではありませんか?」
「縁壱、どういうことだ。と言うか、なんでお前がそんな重要なことを知ってる」
巌勝の厳しい声色に、縁壱の視線が一度継国様に向いた。
それだけで兄は察するが、噛みつく勢いは止まらず、矢琶羽も安易に答えられなくなった。
仕方なく、と言った体で、継国様が身じろいだ。
「巌勝や」
「…はい」
「過去からの因縁があろうと、現世(げんせ)に縁があろうと、破る者は必ずどこかにいるものじゃ」
「それが、空明だと?」
「そうは言っとらん」
「…」
「約束された未来などない事は、主も分かっておるじゃろう」
巌勝は目を逸らした。握った拳が震え、瞼が閉じられた。
「妾が余計な口を挟むのは、意図があっての事じゃ」
「継国様?」
落ち着きを失った巌勝に変わって、縁壱が問うように言った。
彼の者は兄から弟の方へ目を移し、
「よいな? 次の会合で、主もしっかりと出雲の素戔嗚尊を見定めて参れ」
「…はい」
「全く困りものじゃ。『主に任せる』とは言ったが、何故言わぬ。巌勝にとっては大切な事柄じゃろう」
「だからこそ私が口を挟めることでもないでしょう、人の世はそんなに単純なものではないのです」
「そんな事を言うて、取り返しのつかぬ事にでもなったらどうする。知っておれば対処できることもあろうに」
「お互いに想いを寄せる二人です、外部がどうこういう問題ではありません。継国様が見ている物事と、私ら人間が見ている物事とは異なるものですよ」
「妾は全体を見渡せと言うておるのじゃ。ただの人ならそれで良かろうが、三つ世の頂点に君臨する舞姫ぞ。まあ…うち、現世(うつしよ)の頂点にはそろそろ主が立とうが。巌勝にも言われたろう」
「それは! そう言うことではありません、…そう言う問題では。決して」
「出雲はな、金比羅に最も近い土地じゃ。憂世(うきよ)のすぐ傍にあの勢力が居るのは好ましくないぞな。京の役割と、継国の役割は主が思っているよりずっと」
「継国様」
と、巌勝が溜息交じりに口を挟んだ。
「…巌勝」
「分かった、言いたいことは。十分」
「こいつは分かっとらんぞ」
扇子でちょいちょいと縁壱を指し示し、彼の者は巌勝の苦笑いを誘った。彼は二度目の大きな息を吐くと、
「ただ、縁壱の言うことも分かる。大体、こいつに話が通らんのは、昔からだ」
「兄上!」
縁壱の怒気を巌勝は片手で制すると、何度目かの吐息と共にゆっくり瞬きし、
「それに、端で聞かされた狛治の気持ちも考えてくれ」
「!」
「巌勝さん…」
「俺と空明のこと以上に、今の話は、狛治にこそ辛いことだ。嫁さんが金比羅の舞姫なんだからな」
巌勝の言葉に、一同は黙した。
「だから、分かる。人の世はそんなに単純なものじゃない。閻魔の使役――死渡の割り振りも関係者の転生先も気になってる。あいつに、何も考えがないとは思えない」
「……」
「何より、決めるのは空明だ」
「待って、待ってよ」
と、矢琶羽が座卓に手を付いて立ち上がった。
「難しい話は俺には分からない、けど、巌勝さん。姐さんを、一人にしないで」
「矢琶羽…」
「俺、姐さんがいたから寂しい思いもせずに生きてこられたんだ。親の事なんか、考えたこともなかった。ずっと傍に居てくれたんだよ」
「…」
「姐さんには幸せになって欲しい。好きな人と添い遂げて欲しい。お願いだから、姐さんの手を離さないで。姐さんが離しても、巌勝さんが離さなければ絶対孤独にならない。姐さんそんなに、強い人じゃないよ」
「分かった、お前の気持ちも、分かったから」
巌勝は、両手を伸ばし矢琶羽の肩を掴むと座らせた。潤む瞳を見て、なんとも言えない顔になる。
「義政ともちゃんと話す。ひとまず、空明が何をどう決めようと、あそこは義政だ。奴が首を縦に振らない限り、京は動かん」
「うん、うん…!」
「何やら…」
と、それまで口を閉ざしていた狛治も言った。
「次の会合は、不穏だな」
「…地獄へ行くだけの手間が増えただけで済ませたかったが」
「巌勝さん、射水(いみず)は? 巌勝さん達、もう、射水の跡取には会ったんですか?」
「いや…? なんだ、射水地方と言えば北陸だったか」
「そう言えば」
と、矢琶羽も目尻を強く拭いながら言う。
「京にも、東から西へ参画を乗り換える旨、連絡あったよ? 夏の会合の後」
「そうだったのか。縁壱、お前は? 知ってるか?」
「いえ。私も…初耳です」
「うへえ。じゃ、煉獄が連れてきた話って事か」
「なんだ、また問題か」
「矢琶羽が言ったとおりです。現世で言うところの北陸地方。射水は、関東地方の産屋敷(うぶやしき)家を裏切って、西日本…それも、継国に付くと言いだしたらしくて。もう京にも話がいってるって事は、本当だったんですね」
「「え?」」
「だから、二人なら何か知ってるかと思ったんですが」
「次から次に湧いてくる…」
「さすがにちょっと、胃が痛くなってきました」
「遅いわ!」
「兄上ぇ…」
「多分…」
と、矢琶羽が若干考え込んでから言った。
「次の会合に来るんじゃないかな、射水の跡取さん」
「では、その者とも挨拶をきちんとしないといけませんね」
「なんでも、まだ若干十七とか言う若者らしいよ。俺の一個上」
「それはそれは…」
大した興味もなさそうだった縁壱が、矢琶羽の次の言葉ではっとなった。
「弓の名手だって」
「弓…!?」
「縁壱、まさか」
「ええ。ええ…その、まさかです」
「幼い頃から天才って、持て囃されてたみたいだよ。全国大会でも何度も優勝しているらしいし。けど、表に出るのはイヤみたいで、インタビューとか一切受けないんだって。その界隈では結構辛辣なこと書かれてるよ、気取ってるってさ。次の会合で西日本の皆さんに会えることを楽しみにしてる、って、うん。義政様も嬉しそうだった」
「そうですか…! 名前。名前は分からないですかね?」
「ええと…下はちょっと憶えてないけど、『三条』。うん。三条家の跡取息子って言ってた」
「ああ…ああ、はる…!!」
縁壱が胸元に手を当て、感極まって蹲った。
何事? と言うように、狛治が巌勝を見上げる。
巌勝は縁壱の背中を摩りながら、
「縁壱にとって、かけがえのない人だ。気性の激しい、一本気な若僧でな」
「へえ…」
「ちょうど…そうか。あいつもここから、新しい未来を紡ぐのか」
「?」
「縁壱とは、十七で別れたんだ。だが、その歳で…逢えるとはな…」
「嬉しいです。本当に…! また、逢えるなんて…!」
「本当に奴だとして、奴が射水の当主になったのなら、継国に乗り換える理由は分かる。縁壱のためだ。産屋敷がどうこうという問題じゃない」
「東がそれで済めばいいんですが」
狛治の言葉に、巌勝はついとそちらを向いた。
「ヤバそうか」
「それらしい話はまだ何も。ただ、射水がこちらに付いたことで、西日本の勢力は東を上回った。そして、東は産屋敷地方の産屋敷と遠野地方の藤原が勢力を二分していましたが、射水が離れた分、藤原が産屋敷を上回ることになります」
「なるほど…!」
「同時に、継国は強大な領地を誇ることになる。恐らく、遠野こと東北の藤原に匹敵するんじゃないですかね…。んん? 俺がここへ来たのは、拙かったかな?」
狛治は最後に一言付け加えると、苦い笑みを零した。
「次の会合は、恐らくいろんな意味で重要な回になると思うよ」
矢琶羽が纏めるように言った。
「射水が初顔合わせなのはもちろんだけど、九州こと高千穂(たかちほ)地方。霧島(きりしま)もね。大婆様が引退する事になってる」
それは、今いる全ての死渡の中で、最高齢の者だった。
霧島も古くから信仰を集める、由緒正しいお家柄だ。
島津や加藤、本家・高千穂を押さえ、霧島が彼の地を統一してきたのは、百戦錬磨の大婆様の力によるところが大きい。
「跡継ぎは決まっているのか」
巌勝が問うと、矢琶羽は首を横に振って、
「連れて来られたら、って話をしてた。今回、死渡以外の者をも招集したのは、元々姐さんの案だったんだけど」
「…空明の?」
「うん。結果的にそれがよかったみたいだね。まあ…姐さんのことだから、未来(さき)を見通していたのかも知れないけどさ。射水も跡取はもちろん、先代も一緒に来て粗相がないよう説明するって話だったし」
「そうか」
「胡蝶姉妹が会合に出席するなら、その点ちゃんと話しておいた方がいいよ。俺が言うことじゃないけど、各国の死渡達に、『継国の舞姫』或いはその後継者、って、紹介するようなものなんだから」
「…分かりました」
縁壱が頷いた。
「二人にはその旨ちゃんと話して、行くかどうかを決めて貰います」
「うん」
「兄上」
そうして真顔で、正座をしてはこちらを見てきた弟に、巌勝は面と向かった。
「二人のうちどちらかでも、空明さんと話がしたいと言い出したら…取り持って頂けますか」
「まあ、仕方ない。ただ、興味本位なら俺が願い下げだ。あくまでも、」
「分かっています、舞姫として。ですね」
「それならいい。構わんな? 矢琶羽」
「うん。大丈夫だと思うよ? 姐さんもきっと喜ぶ」
「それじゃ、俺は早速明日発つか、継国」
「狛治」
「いや、拙いでしょう、俺まで継国と一緒に京入りしたら。御館様にも迷惑をかけてしまいますしね」
「それもそうか」
「遅かれ早かれ、ばれるような気もするがのう」
「貴方は黙っていて下さい」
すかさず縁壱の厳しい言葉が飛んで、彼の者は扇で口元を隠すと笑みを零した。
「ま。全てはの。日輪(にちりん)の加護の元に集うものじゃ」
「…」
継国の双子が彼の者を見るが、相手は「ほほ…」と笑うと、また、扇を翻し翻し、仰いで髪を靡かせた。
狛治は夕刻、縁壱と共に山を降りた。
縁壱は彼を最寄の駅へと連れて行った後、その足で、姉妹が通う学校へと向かう。
『二人は、どんな反応をしますかね…』
複雑な心境ながら、
『案外。空明さんに逢えると言うことが、「行きたい」と思わせるかも知れません』
ふふ。と笑ったその顔は、姉妹と話すと真顔になって、やがて、苦い笑みを零させたのだった。
継国神社は取り敢えず? 今日も平和だ。
第七話:沙羅双樹・完
第八話へ続く。