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​第七話:沙羅双樹

・捌・
 ~椿の章~


 文化の日は、すっかり晴れた。

 テレビは一昨日より四年前のバラバラ事件と、その被害者が護ろうとしたものが報じられ、新胡桃市(しんくるみし)には各局のメディアが押し寄せている。

 どこで聞きつけたか、その事件を解決する一端を担ったのが『継国神社(つぎくにさん)』と、大々的に報じられてしまった。山へはロープウェイの駅員達が登らせなかったし、林道は閉じているしで、

『縁壱(よりいち)め…』

 古書堂に押し寄せたメディアの対応は、巌勝(みちかつ)が請け負わなくてはならなくなった。

 仕方なく、

「落ち着くのは随分先、か」

 巌勝は、逃げるようにして山を登った。

 山頂付近はもう、うっすらと雪が積もり始めている。継国神社も今週末で閉まるのだった。

 後はもう、音のない雪の世界が広がっていくばかりだ。

 山門、鳥居を潜って、巌勝は、感慨深く振り返った。桜町(さくらまち)と新胡桃市の遠い街並みが、薄水色の空の下に広がっていた。

「ええと、ですから…」

 ふと、少し離れたところから縁壱の声が聞こえた。困惑しているようだった。

 見れば、テレビカメラとインタビュアーに囲まれて逃げるに逃げられないといった様子だ。

『何やってるんだ、あいつは』

 無視して社務所(しゃむしょ)に向かう。

 実際何歩か進みはした、が…

『ああもう! 仕方ない』

「縁壱」

 どうした? という顔付き満面の笑みで、傍に寄った。

「兄上…!」

 嬉しそうな声色が響いて、

『っ…』

 内心、なんとも言えず苦笑いが零れる。

「ああ! 継国さん! どうぞ今回の事件についてお話を…」

 言われるが早いか、巌勝はカメラをむんずと掴むとデータを引き抜いた。

「あ!」

「何するんですか!」

「それはこちらの台詞(セリフ)です」

 巌勝はにっこりと笑みを浮かべ、縁壱を背中に回した。

「腕章がありませんね。酔狂に付き合う通りはありません」

 言うと、一人がにやりと笑ってバッグからマスコミの腕章を取り出す。そのネームをしっかりと瞼にも脳にも刻んで、

「なるほど。と言うことは、駅員達には嘘を吐いて登ってきたというわけですね。それもやはり、答える義務はありません」

「な…!」

「名前は覚えましたよ。NNNさん」

 巌勝の瞳が鋭く光って、その場に居合わせた面々がたじろいだ。

「継国へケンカを売るならそれ相当の覚悟でどうぞ。あ。会長の御子柴(みこしば)氏には連絡をしておきますので」

「!」

「ちょっと…マズいって」

 付き添っていた誰かがインタビュアーの袖を引いた。

 憶えてろ! と叫んで走り去った者の顔を、巌勝はジーンズの後ろポケットに親指を突っ込んで見つめ、

『忘れるわけないだろうが。二度はない』

 にやりと笑う。

「兄上…」

 その横から、ちょっと身を屈めて見つめてきた縁壱が、

「何か企んでいますね?」

「あのなあ。それが第一声か」

「あ、いえ。ありがとうございます、兄上」

「しっかりしろ。今回の件については二重にも三重にも確認の連絡が入るようになってるんだから。悲鳴嶼(ひめじま)から前もって頼まれた案件以外はちゃんと断れ」

「はい。…すみません」

 捨てられた子犬のような眼差しになって、肩を落とした弟に、

『我慢だ…! ここで甘やかしてはならん』

 決意も半ば、思わぬリターンがあった。

「じゃ。社務所(しゃむしょ)に参りましょう、兄上!」

「ん?」

 打って変わって弾む声色に、小首を傾げる。

「今週は大掃除の週ですよ!」

「あ!!!」

 今年最後の参詣に来ていた人影が、こちらを見向く。

 そちらに気を取られた隙に、片腕を縁壱の両手に掴まれ脇に抱えられた。

『ンのやろう…!』

「ふふふ!」

 ご満悦な弟の顔を見ては、巌勝も、

「ったく…。仕方ないな」

 小さな溜息が零れたのだった。

 社務所の扉を開けると、中から明るい声が響いてくる。胡蝶(こちょう)姉妹や、矢琶羽(やはば)のそれだ。

 いつもと変わらぬ光景が居間には広がっているのだろうと思うと、

『空明(くうめい)…。ありがとな』

 あの時のメールが脳裏を過ぎった。

『お前からのメールがなかったら、その後…どうなっていたか』

 草履(ぞうり)を脱いで先に上がった縁壱に続き、靴に手をかけて下を向いた時だった。

「ん? 来客か?」

 それも、一人…二人。

 うち一つは、

「…あ!」

 覚えのある気配だった。

 それは縁壱もそうだったらしく、二人、顔を見合わせる。

 慌てて脱いで、二人、駆けて居間に戻ると、何をとち狂ったか、縁壱が出入りの扉の目算を誤り半身を勢いよくぶつけた。

「っ~~~!」

 豪快な音に縁壱の蹲る姿が重なり、

「何やってるんだ…」

 呆れてものも言えず見下ろすと、口々に「大丈夫?」という声がかかる。弟は、それには片手を上げて、正座をしながらもう片手は鼻を押さえて言った。

「なんで貴方がここにいるんです!」

「ホントにな。狛治(はくじ)。久しぶりだな!」

「いえそうじゃなくて、」

「はい、お久しぶりです! 巌勝さん」

「私が言いたいのはそちらの方でして。ん? 狛治さん? て、誰ですかね?」

「ほほほ」

「あ、俺…」

「待って待って。一人ずつ喋らない? 何が何だか分からなくなってるわよ?」

「あはは」

 カナエの言葉に矢琶羽が笑って、一同は、順繰りに顔を見合わせた。

 穏やかな午後の日差しが、そろそろ居間にも届きそうな頃合いだった。



 その日の狛治は、胴衣姿ではなかった。桃色の明るい髪色の映える私服で、わりとラフな格好をしている。

「え? 知り合いなの? 巌勝さん」

 言ったのはカナエだ。

「そりゃそうだよ」

 即座に答えたのは矢琶羽で、二人が話し始めたのをいいことに、巌勝は、縁壱を立たせると皆に合流した。

「同じ『死渡(しと)』だもん。狛治さんは『金比羅(こんぴら)地方』の『狩人(もりびと)』なんだよ」

「へえ! そうなの~」

 巌勝は狛治と握手を交わす。お互い隣に座して、縁壱が座るのを見た。

 彼は険しい顔付きで、とある青年とカナエの間に強引に割って入っていた。なんとも縁壱にしては珍しい、尻を振っては「どん。どん」と青年を脇に押しのけている。

『縁壱に、そんな親しい人がいたか…?』

 あの頃を思い返すが、当時の柱達以外で弟に、いや。この弟が、表情は元より仕草でそれほど不躾な態度を取れる相手など…知らない。

「着いたのがついさっきなんだ、矢琶羽がいてくれて助かったよ」

 狛治の言葉を左側に聞きながら、青年を見た。

 腰まである水色の髪を肩下で結わいた、見目麗しい面だった。青年に見えたのは初めの印象だけで、

『誰だ…』

 警戒心が働く。

 柔和な表情(かお)だが、滲み出る神気(しんき)が半端ない。過去、会合でもこれほどの力を持った者には会ってはいない。そもそも、先の精霊の比ではない。

 縁壱が片手に「しっしっ」と追いやる様が笑いを誘うが、知り合いならそろそろ紹介してくれても。と思った。

 目尻には斑点のような紅を差し、口元にも真っ赤なそれが性別を惑わせる。切れ長の一重から放たれる眼光は鋭いが、それも、最初だけだ。着物から開(はだ)けて見える胸筋が逞しくつるりとしていて、色香が卑猥だった。取り敢えず、性別は確実にそれで分かった。

『いや、そうじゃなくて』

 内心で苦笑う。目が合って、相手は首を傾けやんわりと微笑んだ。手元には扇子があって、開いたり閉じたりしている。

 狛治の紹介が終わったのだろう、縁壱が言った。

「彼は、継国様ですよ」

 一瞬で、その場が凍り付いた。

 途端、様々に反応が変化する。

 姉妹は「またまたあ~!!」と腹を抱え、狛治は口元に手を当て思案気だ。矢琶羽は狛治ほどには確信は得られないのだろう、眉間に皺を寄せて、「ホントかな?」と言うように頭を右に左に傾けている。

「ほほほ」

 と、縁壱紹介の『継国様』は、扇子を開いて笑った。

 その様に、また、室内が静まり返る。

 独特な笑い方と仕草は、まるで時代劇で見る公家(くげ)宛らであった。

「ちょっと。ほら、継国様。もう少しあっちへ行って下さい」

「…縁壱」

 思わず、巌勝が頭を抱えた。

「その割には、扱いが粗雑だろう。誰も神様だとは思わんぞ」

 途端、「え? ホントなの?」と、胡蝶姉妹の驚きが被さった。

「いいんですよこの人はこれくらいで。厚かましいにも程があります」

「それはお前だろう!」

「巌勝の言うとおりじゃ。縁壱はいつもつれなくてのう」

 言いながら、継国様はさわさわと縁壱の顎から頬を撫でる。

 ぞぞぞ、と仰け反り畳に倒れ込んだのは当の本人で、胡蝶姉妹は「きゃあ!」と言いつつ互いに手を取り身を寄せた。

 狛治は笑うが矢琶羽は顔面蒼白で固まって、巌勝は、どちらかというと心境は矢琶羽に近いと思った。

「兄上…!」

 縁壱は四つん這いでこちらまでよたよたと進んで来、狛治が場所を空けた。

「なんの茶番だ…」

 言う傍で、

「お。場所が空いたの。ほら、カナエ。もっと近うよれ」

「悪徳代官か!」

 思わず言って、縁壱が間に割って入った理由が何となく分かった。

 だが、純粋なカナエは「はいはい~」と笑いが堪えきれない様子で、傍に寄る。

「いい子じゃ」

 頭をぽんぽんと叩いたその掌から、『祝福の光』がカナエに降り注ぐ。反対側に座していた男性陣は、目を丸くして見たのだった。

『なるほど…姉はお気に入りか』

『そう言うことでしたか。二人がお社(やしろ)にいる時に浄化の力を発揮するのは、継国様の加護のお蔭ですね。これではっきりしました』

 双子が何気なく普段の社の様子を振り返っては顔を見合わせた横で、狛治が言った。

「それはそうと」

「それはそうじゃないんですけどね。何普通に馴染んでるんですか。おかしいでしょう」

「お前がそう言う態度だからだろう」

「私はいいんです」

「どういう道理だ!」

「継国の神主ですから、神の暴走を止めるのも役目なんです!」

「むっ」

「おい…話を進めてもいいか?」

「ちょっと待て!」

「ちょっと待って下さい!」

「「「あはは」」」

「継国は賑やかじゃのう。良きかな 良きかな」

 ほほほ…と再び笑った継国様に、巌勝は観念した。小さく笑みを零して、

「ま、いい。俺も聞きたい、」

「兄上…っ!」

 縋る縁壱の口元を手で押さえて、巌勝は、

「どうした、狛治。こんな所まで」

「ええ」

 狛治は、巌勝に対してだけは口調が変わるようだった。一同はそれを年の差だと思ったようだが、矢琶羽だけは真摯な面持ちで受け止めている。

「継国は神様が人形(ひとがた)で降臨なされるほど豊かなので…大丈夫かな」

「何かあったんだな?」

「はい。つい先日、禁域(きんいき)に何者かが立ち入ったようです」

「なんだと!?」

「『岩戸(いわど)の扉』がこじ開けられ、中から禍(まが)い者が一体抜け出ました」

「!」

「それは俺と、もう一人…東国(とうごく)からたまたま金比羅に来ていた剣士とで倒しましたが」

「ん? …その剣士は? 素性は確かですか?」

「縁壱。何が言いたい」

「東国ですよ? 開けたのが彼ではないという保証はありますかね」

「あ、確かに」

 双子が狛治を見ると、狛治はなんとも言えない笑みを零した。

「それは保証する。彼じゃない。間違いない」

「そうですか…狛治さんがそう仰るのなら」

 それでもなお、俯いて考え込んだ縁壱に、狛治が言った。

「『煉獄(れんごく)』」

「「!」」

 双子は同時に反応した。

「ん」

 狛治が頷いた。

「何世代にも渡る名家だ。こじ開けたのは、決して彼の一族じゃない」

「あの…! その方、その方は、もしかして…『惣寿郎(そうじゅろう)』…!?」

「え? あ、いや。『杏寿郎(きょうじゅろう)』だよ」

「杏寿郎……?」

 思わぬ呟きを漏らしたのは、しのぶだった。

 肩を落とした縁壱を一瞥した後、巌勝は、しのぶを見る。

『柱だな。この反応…間違いない。大正の、柱だ…! 彼女らもやはり覚醒してしまうのか。そうだ、継国様がこうも近くにいたら、神気に当てられて…!』

「しのぶさん?」

 縁壱の問いに、しのぶは困ったように首を振った。

「懐かしい感じがしたの。勇仁(ゆうじ)くんの時と、一緒かな…ううん。ちょっと、違うような気もするけど…」

「しのぶ?」

「…何でもないわ! 気にしないで」

 巌勝は継国様を見た。

 彼の者はちらりとこちらを横目に見たが、涼しい顔で扇を仰いでいる。満面の笑みからは、何も読み取れなかった。

『マズい…こんな調子で次々にあの頃のことが露見したら、継国はどうなる。いや、累(るい)や矢琶羽だって』


 ――――それとも、これが、閻魔(えんま)の描いたシナリオか?


 悪寒が走った。

 思えば、会合に『大正の柱』が来ることはこれまでなかった。死渡であるのは、見知らぬ顔か、『戦国の柱』、『鬼』だった奴ばかりだ。

『俺の死に関わった面々まで継国に転生させて、何が楽しい…!』

 巌勝は、歯軋りした。

『これでは、悲鳴嶼達が目覚めた時、俺らは包囲される――――。累や梅、矢琶羽を護るのに、俺が退けばそれで若い彼ら(あいつら)が助かるなら。俺は…』

 ゾッとした。

『覚悟せねばならんのか。縁壱に迷惑はかけられん。…いざとなったら、もう。継国を離れるしかない』

 巌勝は、なんとも言えない顔で俯いた。

『傍にいると、誓ったのにな。何があっても――――』

 だが、己のせいで縁壱が犠牲になるかもしれないことを考えると、それも仕方ないと思えた。

『自身の罪だ。縁壱まで巻き込み、付き合わせる必要はない。今度こそ、縁壱はうたと幸せになるんだ。産まれた赤子と、これからの未来を。明るい、未来を――――』

 面を上げ、庭へと視線を泳がせる。その眼差しは、遠く山を越えた。

『京(みやこ)か。それとも、どこかもっと、遠くへ…』


 空明。

 お前は、俺とは、またも――――


 脳裏に彼女の優しい微笑みが映った時、胸がひどく軋んだ。

『諦めきれない。彼女だけは。連れて行きたい…』

 だが、と、思う。瞼を伏せた眉間が、異様に皺を寄せた。

・捌・~椿の章~: テキスト
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