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第七話:沙羅双樹

・伍・
 ~椿の章~

 いつにない集中力だった。

 縁壱(よりいち)が暗い山道を的確なハンドル捌きで降っていく。

「累(るい)。大丈夫か」

「ありがとうございます、なんとか。僕は大丈夫です」

 言うが、顔色は悪い。

 心なしか体温も低いようで、巌勝(みちかつ)は、始終、包むように抱き締めて彼の身を摩(さす)り続けた。

『案内人(あないにん)にも、こんなに負荷がかかっていたのか。まだ十五にも満たない少年だぞ。これまでよく一人で頑張ってきたな…』

 そろそろ林道を降り終えるというところで、巌勝は、

「累、少し待っててくれ。山門を開けてくる」

「はい」

 縁壱が脇に止めるや否や、鍵束を持って飛び出した。

 神無月(かんなづき)の終わりは、酷い寒さだ。

 まさかこの冷気もあの精霊の仕業ではと思って、身震いする。深呼吸すると、肺が凍りそうだった。思わず深い息は止めた。

 トラックが山門を通るのを見届ける。停車するのは耳で確認するに留めて、急いで締めた。

 黄色いライトが煌々と闇夜を照らしていた。白いトラックが存在を主張するようで、頼もしさを覚えるほどだった。

「兄上、すみません」

「こちらこそだ。本当に、助かる」

「いえ」

 言葉を交わしながら助手席に着くと、縁壱が発進させた。

 もう、深夜だ。人気はない。

 通りもすっかり静まり返っていて、縁壱は、遠慮なく古書堂前の通りにトラックを着けた。ただ、反対車線だ。

 三人、転がるようにトラックを降りて、

「あ…!」

 すぐさま、巌勝が反応した。

『いる…! 幽体(ゆうたい)だ。間違いない、今度こそ、『依頼主』だ』

 縁壱が見えないのは分かっていた。

 だが、累は分からない。

 巌勝は反応を確かめようと、すぐ脇を見た。

 その顔に、予期せぬものを見た。

「縁壱。お前…見えるのか」

「ええ、ええ…!」

「間違いない、彼だよ。巌勝さん」

「あ、ん…!」

 累の言葉にはっとする。

 あの精霊が邪魔しているのなら、長くは持たないだろうと思われた。

 急いで彼の傍に寄るべく、車道に飛び出し駆けた。

 その足が、中央分離帯を越えたところで止まる。

「!!」

 彼、だった――が振り返り、安心したように微笑むと、深々と辞儀をして、消えたのだ。

「なんてこった…!」

 巌勝は愕然となった。

「これじゃ、何も分からん…!」

「兄上…」

 深々と溜息を吐いた隣で、縁壱が呟く。

「彼です。あの、大樹を見上げていた、白い影…!」

「『白い影』ではどれも似たり寄ったりだろう、本当に彼なのか。学生っぽかったぞ」

「確かに私には、まだ、そこまではっきりとは見えません。ですが、持っている魂の『形』は分かります。間違いありません、彼ですよ」

「累、累はどうだ。精霊が邪魔していたのは、彼で間違いないか」

「うん…! 彼だよ。ここへ来る間にも、何度も何度も、『古書堂! 古書堂へ来て!』って叫んだんだ。話はとても出来るような状況じゃなかった、精霊に追いかけ回されていて」

「じゃ、彼が消えたのは」

「多分精霊からも逃げる手段なんだと思う。気配も消えたよ。もしかしたら、幽世(かくりよ)に文字通り隠れているかも」

「そこまで追い掛けるわけにもいかん…!」

 三人は、道路の中央で向かい合ったまま呻いた。

 縁壱も累も、自身の判断を待っているように感じられて、巌勝は、

「とにかく、縁壱」

「はい」

「明後日の神楽(かぐら)には俺も舞う」

「兄上…!」

「悲鳴嶼(ひめじま)とも連絡を取るようにするし、精霊のことも調べてみるから」

「分かりました。どうか、気を付けて下さいね」

 巌勝は頷くと、続いて累の方を向き、

「累。お前は、もう今回の件には幽体を飛ばすな」

「え? でも…」

「でもじゃない。俺と縁壱が明後日決着を付けるから、それまでお前は大人しくしてるんだ。精霊の狙いは縁壱なんだ、わざわざ突っつく必要はない。念のため…矢琶羽(やはば)、泊まりに行ってもいいな?」

「あ、うん…!」

「あいつには俺が禍詞(いみことば)を教えている。護身程度には戦えるが、それは最後の手段だ。お前が幽体を飛ばすのは俺の所へだけ、何かあったらすぐ、意識を飛ばせ。俺が駆けつける」

「巌勝さん…! ありがとうございます」

「とにかく、兄上。累くんも」

 縁壱が踵を返した。

 トラックの方へ向かいながら、

「どうか今夜は神社に。累くんには社(やしろ)の厄除けもお渡しして、明日、矢琶羽と一緒に私が責任を持ってご自宅まで送りますから」

「そうだな、ああ。そうだ」

 巌勝も頷いて、累の背中を軽く押した。共にトラックへ駆け寄る。

『全く要領を得んな、今回の件…。何故、樹齢千年にもなろうかという大樹の精霊が、そんなに怒り狂っているんだ』

 それだけの年数を生きた精霊なら、そろそろ神としても昇華する頃合いだ。神域(しんいき)にて嫁を貰い、氏神(うじがみ)として生き子孫を繁栄させることも、或いは、天界にて地上を見守ることも、叶うようになる。

『そんな名誉を捨ててまで、何故、邪霊に…』

「いや、違うか」

 林道を駆け上るトラック内で、外を見ながら呟いた巌勝に、後の二人がちらりと視線をやった。

 だが、彼が気付く様子はない。思案に耽っていた。

『『依頼主』のあの表情。俺たちに全てを任せる、そんな顔だった。その彼が大樹を見上げていたというのなら、やっぱり、精霊と少女が先だ。『依頼主』の捜索は、今回は後回しだ』

 巌勝は、強く拳を握った。

 トラックが、もうじき駐車場のある七合目まで到着すると言う頃合いで、

「縁壱」

「はい」

「少女の遺体。悲鳴嶼達が運んだんだな?」

「あ、ええ。昨日。日中の内に」

「分かった。まずは明日、悲鳴嶼に連絡を取ってみよう」

「ええ…!」

 三人は、その後、姉妹らが心配して待つ社務所(しゃむしょ)へと、足早に戻ったのだった。



「悲鳴嶼!」

 翌、昼前に、行冥(ぎょうめい)は刑事部長に呼ばれた。デスクでファイルを捲る手が止まる。県内の、未解決案件の資料が詰まったそれだった。

 デスクの一角は、開ききったファイルで占められていた。昨日、玄弥(げんや)が関わることになった事件の物だ。見れば、


『被害者 上村(かみむら)拓巳(たくみ) 当時中学二年生』


 写真付きで、バラバラ遺体の身元と当時の検分の調書が置かれていた。

 行冥は面を上げて、椅子ごと窓側へ振り返る。

 一際大きなデスクの向こうで、部長が受話器を上げた。

「一番。お前宛だ。昨日のほら…県警の」

「あ! 錆兎(さびと)くんですね。すみません」

 電話が鳴ったのにも気付かなかったと、行冥がすまなそうに頭を下げた。見れば、島の面々は出払っている。

『そう言えば、玄弥も強盗犯…いや、もう殺人犯か。一味を追って、県警に行ってるんだったな。直(ちょく)で』

 卓上の受話器を取ると、一番を押す。

 名乗り、玄弥が世話になっていると告げて挨拶すると、相手の緊張は、少し解けたようだった。

『こちらこそだ。妹が世話になる』

「あ。そうだった。昨日話したばかりだな」

 二人、電話口でくすりと笑みが重なった。

『今すぐこっちへ来られるか? 身元が判明した』

「早いな…!」

『寝ずに調べられること全て調べたみたいだからな、歯形からすぐに分かったんだ。歯医者に罹ってて』

「そうは言うものの…いや。てことは、」

『ああ。そんなに旧い年代の仏さんじゃない。衣類の色落ちは正しかった、まだわずか、四年前の仏さんだ』

「そんな。じゃ、どうしてミイラになんか…」

『だから。とにかくこっちへ来てくれないか。親御さんにも他の者が連絡を取ってる。継国神社へ報告の必要が出てくるかも知れんだろう』

「! 確かに。すぐ向かう」

『一応先に伝えとく。仏さんの名前。『結城(ゆうき)沙羅(さら)』さんだ。当時中学二年生。…レイプの痕跡がある』

「えっ」

『待ってるぞ!』

「あ、ああ…!」

 行冥は、半ば呆然として受話器を置いた。

「悲鳴嶼?」

 刑事部長の声が背中に届いて、飛び上がる。

 そちらを向いては立ち上がって、先の内容を告げると出動の許可を貰った。

『レイプって…! まだ、中学二年生だぞ…!』

 はっとした。

 デスクに積み上げた冊子を二三退けて、読み終えて下敷きになったファイルを取り出す。

 表紙には、

『未解決案件・行方不明者一覧』

 身内から届け出が出ている者で、事件性の全く感じられなかった案件だ。だからこそ、一冊で纏められてしまっている。

『確かここに、名前が。『結城沙羅』…『結城沙羅』…。名前が引っかかったんだ。あのミイラは、沙羅双樹の丘の、大樹で見つかった仏さんだったから…!』

「あった!」


『結城沙羅。中学二年生。

 十一月一日。行方不明、捜索願受理』


「十一月、一日…!」

 それは、縁壱が、お祓いをしてくれる日にちだ。

『因果だ。もう、間違いない。これは、継国の双子に関わる案件だ…!』

 ふと、開いたままにしていたファイルが崩れた。手にしたファイルがそれまで、その山を支えていたのだ。

「あっ!」

 苦い笑みと共に崩れるのをすんでで押さえた時、もう一度、開いたままのページの調書が目に入った。


『被害者 上村拓巳 当時中学二年生』


「玄弥が追ってる事件の被害者も、中学二年…!」

 バラバラになった遺体が揃ったのは、沙羅の行方不明の届けが出た後。一年も経ってからだった。だがそれは、奇しくも十一月一日のことだ。当時の現場担当官のサインが残っている。

「まさか… まさか、偶然か? いや…そんなこと」

 脳裏に、縁壱の姿が浮かんだ。

 彼らが関わって、偶然で済んだことなどない。

 むしろ、「偶然」は、誰か、何かのメッセージであることが多い。

『双雲(そううん)さんも仰っていた。諦めろと。継国に関わる刑事は、時代ごとにいたのだと――――』

「二人に連絡を。いや、その前に、とにかく…!」

 行冥はそれらのページをファイルから乱暴にむしり取ると、壁際のハンガーからも上着をもぎ取って、部屋を後にした。一目散に、駐車場へと向かった。

 道すがら、少ない情報を整理する。

『玄弥は、強盗犯は刑務所に逃げ込んだと言っていた。仲間割れで。もし。もし、この上村拓巳という学生が、その一味であったとしたら? 同じ理由で殺されたんじゃ…そして。もし。沙羅という子が…』

「中学二年だぞ。四年前…!」

 玄弥が追ってるホシは?

 年齢を、聞いていなかった。嫌な予感で鼓動の早くなる心臓をなんとか呼吸を整えて鎮める。

 ただ、県警へ向かう覆面の走りは、荒々しかった。

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