第七話:沙羅双樹
・肆・
~椿の章~
「兄上。もう…大丈夫ですか?」
心配そうに顔を覗き込んできた縁壱(よりいち)に、巌勝(みちかつ)は、「ああ」と頷いた。
「すまなかった。…累(るい)。とにかく縁壱と話をさせてくれ。下山はちゃんと考える」
「ん? 折角登ってきたのに降りるのですか? 外はもう真っ暗ですよ」
「ああ、それは分かってるんだが」
「まあとにかく」
縁壱が草履(ぞうり)を脱いで、先に上がった。
累が後に続く。
『急かさなくても、ちゃんと自分で上がったな。…ひとまず良かった』
とは言え、彼がまだ落ち着かないのは確かだろう。背後に流れる雰囲気を敏感に感じ取って、巌勝は、なるべく傍にいてやろうと思った。
縁壱が荷物を置きに、足早にキッチンへ向かうのを、二人で追いかける。
香ばしい炊き込みご飯の匂いがしてきて、思わず、累と顔を見合わせた。
「…いいの? 僕、なんか…」
「複雑か?」
「うん……」
「大丈夫。何かあったなら、俺が護る。俺はお前の味方だ、累」
「巌勝さん…!」
「矢琶羽(やはば)だって傍にいるだろう? ま。ちょっと無神経かも知れんがな。記憶がなければあんなもんだ」
『まるで自分に言い聞かせるようだが』
巌勝は、なんとも言えない笑みを零した。
累も同じような顔になり、「ありがとう」と礼を言ってくる。
部屋に着くと、キッチンから姉妹の明るい声が響いてきた。
「おかずを二品作り足すから、もう少し待っててね!」
「矢琶羽くん、手伝い頼める?」
「もちろん! 任せてよ」
「「頼もし~い!」」
一際大きな声で言った二人に、双子は、何となく顔を見合わせた。
累が間できょろきょろ。と見上げてくるのを見ては、二人、一緒になって肩を竦める。
『迷うな。俺はもう、大丈夫だ。空明(くうめい)がいる。縁壱がいる。義政(よしまさ)だって…。矢琶羽や累の道を、照らしていくんだ』
縁壱に薦められて、座卓の一角に腰を落ち着けると、巌勝は、累は己の側に座らせ、彼らからなるべく遠い位置になるように選んだ。きっと反対隣は矢琶羽が座るはずだ。
「それで」
と、縁壱が言った。
「何かあったんですか? 話したいことがと、先程は仰っていましたが」
「ああ。お前、何か依頼を受けたか?」
「!」
瞳が微かに大きくなって、「兄上も?」という顔になった。
だが、聞いた言葉は想像だにしていなかったことだ。
「悲鳴嶼(ひめじま)さんから頂きましたよ」
「え?」
いくら生きた人間を導く『躑躅(き)の宮(みや)』の『防人(さきもり)』とは言え、見知った人間から話が来るなど、思ってもみなかった。
「どういうことだ…悲鳴嶼は、お前が『死渡(しと)』であることを知ってるのか」
「いえ。そう言うことではないと思います。私がそう、判断したと言うだけのことで」
「話が見えない。何があった」
「その前に、兄上も?」
「ああ。だがそれがあまりにも常軌を逸していたから、…心配になってな。お前が。それで確認に来たんだ」
「それは。ありがとうございます」
ちらりとしのぶの一瞥を貰った気がしたが、そこは軽く流した。縁壱の嬉しそうな笑みを見て、『死相(しそう)』については判断できない己にもどかしく感じる。
やがて縁壱が、少しずつ目線を落として、思案気になった。
『この間(ま)もいつの間にか。苦にならなくなったな…』
それが、これまで二人が紡いできた時間を物語ると感じた。
縁壱が言った。
「実は、『ミイラ』と思しき人形(ひとがた)を見たのです」
「ミイラ!?」
叫んだのは、カナエだった。
その声に驚いて、累と二人、彼女を見上げる。
ちょうど、小鉢や箸など、運び始めたところだった。
卓に置いては興味を抱いた様子で座り込んだカナエに、
「姉さん!」
しのぶが催促するように呼ぶ。
カナエが慌てて立ち上がり、
「ええ~! 聞きたいわあ!」
「聞きたいわあ! じゃないわよ聞こえるでしょ十分!」
「しのぶぅ~」
「だから。語尾を強調しないでよっ」
キッチンの方へ戻っていくと、縁壱がくすりと笑った。
「私が受けた依頼は、そのミイラの呪い…と言いますか。災厄をお祓いで取り除いて欲しいというものでしたよ」
「警察がそんな事を依頼してくるなんて、余程の事があったんだな?」
「ええ。ミイラである『彼女』に関わる面々が、事故に遭ったり病に罹ったり。現場検証すら、開始するまで半日かかったそうです」
「…」
「ですが、多分…」
弟はそこで、口元に手を当てて俯いた。
「『彼女』ではありません。悪さをしているのは」
断定した口調だった。
久々に真顔になった彼を見て、巌勝は先を促す。
縁壱が続けた。
「彼女の魂が、大樹に飲まれていましてね」
「大樹…!」
はっとした。
『繋がるか? やっぱり…!』
「悪さをしているのは、その大樹の精か、その大樹を見ていた白い影、だと思います」
「ん?」
巌勝は呻いた。
「なんか、余計なものが最後にくっついたな。『彼女』でないことは確かなのに、『誰か』までは特定できないのか」
「多分『彼女』に関わる者が、二人いるんですよ」
縁壱も困ったような表情になった。
しばしまた考えて後、
「ですが、魂を捕まえている大楠(おおくす)の精霊と話が出来れば、何か分かるかも知れないと踏んだんです」
「それで、お祓いは引き受けた訳か」
「ええ。まあ…お祓いは導入の形であって、神楽(かぐら)を舞うことになると思いますが。精霊と話をしたいので」
「なるほど」
「兄上は? 私は今ので全てですけど…」
「「お待たせ!」」
と、姉妹の声が揃った。
「巌勝さ~ん、ビールあるよ? 飲む~?」
最後に矢琶羽の呑気な声が聞こえて、巌勝は思わず笑った。
「いや、今日は止めておこう。話が繋がりそうだ」
「なんですか兄上。その、『世の息子とお父さん』。みたいな会話は」
若干呆れた声の縁壱に、累が笑った。
「お」
そっちの方が嬉しくて、巌勝は累を見つめた。
彼も落ち着いたようで、「えへへ」と笑みを浮かべて見返してくる。思わず、彼の頭を撫でた。
卓に並んだ夕飯を見れば、まるで大家族のそれだ。
『そうだ。今はこれが、日常なんだ…こんな日が、今はあるんだ』
それは、新しい日常が増えるごとに思うことだった。
見れば、縁壱が姉妹に礼を言いながら、椀に白米を盛っている。矢琶羽が細々とした物を運び、姉妹が汁物を一人ずつに配膳しては席に着いたところで、
「話途中? 大丈夫?」
しのぶが言った。
「大丈夫だ。腹減ったろう? 二人とも」
「「うん!」」
「今日は一日ありがとうございました、カナエさん。しのぶさん。ちょっと数日忙しくなりそうですが、三日後は、こちらは気にせず登校して下さいね」
「俺が残るよ。忙しいなら誰かいた方が安心だろ?」
「矢琶羽、お前も学校だろうが」
「僕がちゃんと連れて行きます。そこは安心して下さい」
「累ちゃんの方がしっかりしてるのね~」
カナエの微笑に、矢琶羽が「ちぇ」と舌打ちすると、皆が笑った。
手を合わせ、皆で食卓を囲む。
時折累が、談笑する皆を見てははにかんで、ゆっくりと食む様子に、胸が熱くなった。
『護ってやりたい…。鬼だった奴ら。みんな…。きっとそれぞれ、辛かったはずだ…』
巌勝は、何気なく、そう思った。
夜半、枕投げをして遊ぶ矢琶羽、カナエ、しのぶ、それを時に巻き込まれながら眺めている累の四人を隣室に置いて、巌勝は、縁壱と卓を挟んで対峙していた。
風呂にも浸かり、後はゆっくり寝るだけとなって、今日は流石にと茶で酌み交わす。
巌勝は湯気の立つそれを啜ると、ほうっと一息ついた。
「俺の方だが」
両手で湯飲みを包む縁壱を見る。
「夕方『依頼主』と思われる相手が来たんだが…多分。その、大楠の精霊じゃないかと思う」
「兄上にしては珍しいですね」
縁壱が面を上げて少し首を傾げた。
「いつもなら、不確かなことは口にはなさらないのに」
「お前を赦さんって言ってたぞ。お前に死相が出てるそうだ」
「えっ?」
縁壱の言葉には応えず、さらっと要点を言うと、縁壱の目が見開いた。
「ええと…それは」
元の真顔に戻る間に、考えが纏まったようだ。
「もしかして。『彼女』を奪われる…奪われた、とでも、思っているって事でしょうか。その過程で、私が…?」
「俺はそんな気がした。なんでどうして、大楠が人間の魂を取り込んでるのかまでは知らんが」
縁壱が呻いた。
一口。二口。考え込みながら茶を飲む。
「その『なんでどうして』を明らかにするのではないのですね? 今回の件は。何か、変ですね…」
「精霊が邪霊になりつつあった」
「っ…」
二度目の驚きは、言葉は耐えたようだ。だが、多少顔色は変わる。
巌勝は続けた。
「状況を整理してみよう、縁壱。警察の面々は倒れたのにお前は無事だ。それは、お前の神気(しんき)が強いからなのか、それとも…」
「話を聞く限りでは、そうではないのかも知れませんよ?」
「何故?」
「だって、大楠の精霊は兄上の元に行ってたって事でしょう? たまたまあの場を離れていて、私は無事だったのかも知れません」
「そうは言うが、お前を赦さん。って言ったんだ、お前の姿は確認してのことだろう」
「あ。なるほど」
「恐らく、お前がお祓いをすると知って、激怒したんじゃないのか。で、俺の方に来た。自身の力だけでは、お前を追い払えないと思ったから…お前、というか、悲鳴嶼達も含めて追い返して欲しい、そんな依頼だったのかも知れん。って、仮定だな」
「そんな。相手は精霊ですよ? 邪霊になったとしても、神に近い存在です。私がどうこうではなくて、警告では? 悲鳴嶼さんだって玄弥(げんや)さんだって、無事なのです。県警の面々だって、災難に遭った方とそうでない方、それぞれいるのですから」
「あ。なるほど」
先の縁壱の言葉が、そっくりそのまま巌勝の口から漏れた。
気付いた弟がくすりと笑い、しばし無言の時が流れる。
「何か…釈然としませんね…」
「ああ。とにかくどっちの依頼なんだ、まずそれが、はっきりとせん」
「それもそうですよね。悲鳴嶼さんなのか、それとも精霊なのか。そもそも二人が依頼主で合っているのかすら、疑問です」
「精霊が俺の方に来るのも腑に落ちん。いくら元の姿を失いつつあるとは言え、まだ完全に邪霊になっていたわけじゃない」
「「うーん」」
双子はそれぞれ腕を組んだ。
毎度、同じ方向に首を傾げて顔を見合わせる。
微かに笑みが漏れて、「取り敢えず」と、明明後日(しあさって)の「祓いの儀」に話を移そうとした。
「累ちゃん!」
カナエの叫び声が聞こえた。
「! どうした!」
咄嗟に巌勝が立ち上がり、隣室の襖(ふすま)を開ける。
カナエら三人が累を囲んでいた。
中央の累は、頭を抱えて痛みに呻き、大きく身を震わせている。
「累!」
悲愴な声になって傍に寄ると、矢琶羽が場所を空けてくれた。
「累、累…!」
「巌、かつ…さん! 邪魔してる…、あの邪霊……『依頼主』、他に…いるよ…!」
「なんだって!?」
「話、させてくれない…!」
「分かった、分かったからもう戻ってこい。魂が分離するぞ!」
「でも…!」
「いいから!」
頷いた累の身が、大きく一度波打った。
同時に長く重い溜息が漏れて、刹那、荒い呼吸を何度も繰り返す。まるで全力で短距離を走った後のようだ。意識がこちらに戻ってきたのを確と感じ、胸を撫で下ろす。
「累…無茶するな」
「けど…『依頼主』がこのままじゃ、報われないよ…!」
「縁壱」
「ええ! すぐ出します。累くんも。行けますか?」
会話から察したのだろう、しのぶが箪笥から褞袍(どてら)を三枚取り出した。
「巌勝さん」
「ああ、助かる…!」
「気を付けてね! ちゃんと戻ってきてね!」
褞袍ごと、不安げな表情を受け止める。
しっかり言葉で戻ることを誓うと、累に手を添えて立たせた。
時刻はもう、新しい日付に変わろうかとしている。
矢琶羽に二人のことを託して、巌勝は、縁壱の運転するトラックで、急ぎ、古書堂へと取って返した。