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​第七話:沙羅双樹

・壱・
 ~躑躅の章~


 署内が一斉に湧いた。

「玄弥(げんや)、お手柄!」

「県警の奴ととっ捕まえたんだって?」

「いやあ、災難だったろ? 大丈夫か?」

 署へ戻るのと同時に拍手が鳴り響き、同時に質問攻めにされた。

 思わず肩を竦め、困ったように笑みを零した。が、あれよあれよと煽(おだ)てられれば少しずつ鼻息が荒くなる。

 離れたところから最後に、

「玄弥! 報告書はちゃんと書いて出せよ? 今日中にな!」

「はい!」

 刑事部長から指さし確認をされて、大きく返事をすると席に戻った。

 斜め前にはにんまりと笑みを浮かべ、机に肘を突いている行冥(ぎょうめい)がいる。話しかける前に、

「お疲れ。玄弥」

「お疲れ様っス、悲鳴嶼(ひめじま)さん」

 なんだか誇らしくなった。

『初めてだ…! 悲鳴嶼さんが嬉しそうに笑ってくれてる!』

 だが、と、玄弥は小さく拳を握った。

「悲鳴嶼さん、実は」

「ん?」

「今日捕まえた強盗犯。ちょっと…気になることがあって。少し話せますかね」

 瞬時に顔付きが神妙になって、行冥が席を立った。

 刑事課一、体格に恵まれた彼が動くと、割と多くの視線を奪う。行冥はまた笑みを浮かべると、

「よし。少し付き合え」

 ほら行くぞ。と、明るい声で自然にその場から連れ出してくれた。作り笑いになるはずの面が普通に綻んだ。

 廊下を行く間にも、「よくやった!」と声がかかる。

 まだまだ半人前と思われていた自分の立場が明らかにはなったものの、

『ここからだ。頑張らないと!』

 半歩前を行く行冥を見上げては目を輝かせ、両拳を握った。

 しばらくして、日差しの差し込む食堂までやってくる。昼の定食の準備に勤しむ音が、奥から聞こえてきていた。

 行冥が、入口際にある自販機で暖かいものを選ぶと、一つを奢ってくれた。

「ありがとうございます」

「たまにはな」

 互いに笑顔になった。

 蓋を開ける音も軽快に響いて、胸も熱くなる。

「で。どうした」

 人のいない窓際へ歩み寄りながら、彼が言った。

「はい…」

 玄弥は両手に缶を包んだ。手元に落としていた視線を上げて、

「抵抗、しなかったんスよ。相手。捕まえた時。最初は派手に威嚇してたんスけど」

「…それは。良かったじゃないか」

 驚いたように目を丸くした行冥が、多少疑問を含めた声で言う。それがどうした、と言う顔付きに、

「連行して終わりなら、まあ、それで良かったんスけど、手錠をかけた時溜息が聞こえて」

「…」

「それがどうも、ほっと一息ついたみたいで」

「わざと? 捕まったと?」

「もしかしたら、強盗だって狂言だったのかも…」

 行冥が一瞬息を飲んだ。

 玄弥が声を潜めて続ける。

「手錠をかける時、言ったんス。『これで安心して眠れる』って」

「確かなんだな?」

「はい。真菰(まこも)さんと…あ。一緒に捕まえた県警の刑事なんスが、顔を見合わせました。聞いたよな、って目で合図して」

 行冥が腕を組む。

 玄弥が口を閉ざしたところで、

「誰かに命を狙われてなきゃ、どこより安全な房になど入らんな」

「それっス」

 続けてその後のことを話そうとした時だ。

「あ! いた。二人とも!」

「あ!」

 相手の顔を見ては玄弥の顔が申し訳なさそうになり、

「すいません、ちゃんと午後には上げますんで! 報告書!」

「あ、いや、それどころじゃない。県警から呼び出しだ」

 二人、ドキッとしたように身を震わせた。互いを見た。

「報告書は後でいい、長くなりそうだ…新胡桃市(しんくるみし)で死体が上がった。二人をご指名だ、すぐに沙羅双樹(さらそうじゅ)の丘へ向かってくれるか」

「「沙羅双樹?」」

 思い思いの顔付きで刑事部長を見る。行冥が問いかけた。

「沙羅双樹の丘って、あの、国立公園の…?」

「ああ。大楠(おおくす)の樹の丘だ。急いでくれ」

「あ、はい…!」

 足早に食堂を後にした。先を行く部長から、連絡のあった刑事と現場にいる担当の刑事の名前を聞く。

『ん? 霧谷(きりたに)?』

 後者の名前に玄弥は首を傾げた。

『今朝のあの女刑事も、霧谷って言ってなかったっけか。名字』

 思う間に、デスクに戻った。上着を羽織って、

「言ってきます!」

「今日は大忙しだな! 玄弥!」

「頑張れよ!」

 先輩方から笑顔で声を掛けられ、「うす!」と玄弥は拳を振り上げた。

 隣の行冥がくすくすと笑うが、それもまた嬉しい。

 駆けて車に向かいつつ、

「さっきの名前。お前がその…顔を見合わせた刑事とも違うんだよな? 名前。真菰、だったか」

「あ、…ん~。俺もそれ今考えてたんスけど。名字は同じなんで、偶然か、それとも」

「そうか」

 それきり二人は口を閉ざした。

 玄弥が運転する覆面で、一路、新胡桃市は端の端。県境の、沙羅双樹の丘へと向かった。

 現場へ着くと、案内してくれた若い刑事に少し驚いた。

 髪色がとても珍しい。宍色(ししいろ)の肩まである髪を、跳ねるに任せて流している。口元から頬にかけてある傷は戦傷だろうか。豪快な痕があった。

 互いに名乗り合っては木の洞(うろ)に案内されるが、即座に玄弥が言った。

「錆兎(さびと)さん、もしかして…、妹さんがいらっしゃったりスか?」

「ああ。真菰だ」

「やっぱり!」

「それだけじゃないよ」

 思わせ振りな笑みを浮かべた錆兎に、二人、鳩が豆鉄砲を食ったようになった。

 快活に笑いながら、錆兎が言った。

「先月。勇仁を助けてくれてありがとう」

「!」

「あの時通報したの、俺なんだ」

「それは! まさかの…」

 行冥が驚きながら言うと、錆兎が頷き、

「あの時は別の刑事に保護されて、身内だと分かったら麓に降ろされて職質受けたからさ。後から勇仁を助けてくれた人達の名前を聞いたんだ」

「じゃ、継国神社のことも」

「ああ。より良く知った。新人だった頃、年始の雪山は文句言いながら登ったけどね…神主さんが双子だったなんて、初耳だよ」

「そうだったのか…勇仁。元気か?」

 あの時の顛末が脳裏を掠めて、行冥が言った。

「ん! 卒業したらあいつも、警察官になるとか言ってるな~」

「そうしたら、今度は真菰や玄弥の後輩になるな」

「お」

 と、行冥と錆兎の視線がこちらを向いて、玄弥は少したじろいだ。その姿に、上の二人が笑う。

 今朝のことには、「妹を頼む」と言われて、玄弥も、

「こちらこそ」

 と、恐縮して頭を下げた。

 一息に距離が縮まって、玄弥は言った。

「じゃ、俺、麓の方整備に回りますね! 話も集めときます」

 行冥が「頼んだぞ」と答えるのを聞いて、坂を駆け下りる。

 桜町署(さくらまちしょ)から来たのは二人きりだ。できる限り、情報を集めておこうと思った。

 行冥の方は、錆兎に連れられて、木の洞に入り込む。放置されていた遺体を見ては、行冥の眉根が寄った。

「どうだ、悲鳴嶼」

「どうもこうも…」

 呟きながら固まる。

 己の目で実物を見たのは、初めてだった。

「ミイラにしか見えないんだが」

 横たわっていたのは、まるでただの木片のようだ。遠目には、色的にも場所的にも木の洞に同化してしまっている。近く寄って初めて、皺だらけの人形(ひとがた)であることが分かった。見た目には何歳かも分からず、恐らく、『彼女』が着ていたのであろう服が、人であったのだと認識させた。かつては真白かったのであろう、今では黄ばんだサテンのネグリジェだ。

「よくまあ、気付いたな…こんなところに遺体なんて」

 行冥は溜息交じりで呻き、一度、木の洞を出た。

 大楠のある丘の頂からは下方(かほう)、玄弥がメモを手に、現場整理を手伝っているのが見える。丘をぐるりと囲むようにテープを貼り届かぬ場所にはポールを立て、なんとか一周巡らしていた。そのテープの向こうにはフェンスが張り巡らされていた。更に、そのフェンスの向こう、丘をまるで護るように茂るのが、沙羅双樹の森だ。総じて県民は、ここを、『沙羅双樹の丘』と呼ぶ。一帯は、国立公園になっていた。

 フェンスとKEEP OUTのテープとの間には、人垣が出来ていた。恐らく公園の管理棟に勤める面々だろう。背伸びをしたり、動画を撮ろうとする彼らを、玄弥が素早く止めに入っていくのも見えた。

 視線を仲間達から、遙か上空に移す。

身長二メートルを超す己の立ち姿を、すっぽりと飲み込む大樹の洞。この大らかな懐を持つ樹は、高さ五十メートルをも超える、樹齢千年の大樹、大楠だった。

 元よりここは、関係者以外立ち入り禁止だ。

 かつては沢山の人の大樹詣もあったようだが、時代を幾つか遡った大正の頃より、根が傷むからと、人々の立ち入りが制限されるようになった。

 今では大楠も沙羅双樹の森も国の天然記念物となり、厳重に管理されている。庭師や樹木医など限られた者しか入れない場所だ。人は滅多に通らない。しかも、森を抜けてフェンスを開けるには、管理棟で鍵を借りねばならず、その管理棟も、常時、新胡桃市の職員が交代で管理している。

 時に地元の子供達が遠足に来る程度には解放されているようだが、それだけだ。

 イベントもなければ、観光地として紹介もされてはいない。

 時折物好きが、どこで知ったか写真を取りには来るが、沙羅双樹の森や管理棟、フェンスには、監視カメラが隈無く配置されている。過去何度も、若者を補導することもあった。

 行冥は、錆兎の元へ戻った。

「こんなの初めてで」

 言葉は洞内によく響く。

「鑑識にすぐ回すべきでは。身元が分かるかどうかも怪しいが」

 とは言え。と、行冥は思った。

『ミイラになるのには時間と条件と、確か手順が必要じゃなかったか?なのに。服すら。それほど傷んではいない』

「そうなんだが、実は」

 考えを遮るように、彼が言った。他には身内しかいないが、声を潜めている。注意を引いた。

「ここへ来る途中に、その鑑識の車が事故に遭ったんだ」

「え!?」

「別の班に手配して、今改めて向かわせている」

 通りで。と、行冥は思った。一向に進まない現場検証だったのだ。先程天を見たときには、日は傾き始めていた。

『呼ばれてきたのは昼前だったぞ。半日経ってしまう』

「俺らが呼ばれたのも不思議だ。ここは新胡桃市の管轄。県警の皆さんがいるのはまあ分からなくもないが、何故、俺達が? 担当は本来新胡桃市の刑事では?」

「それだ。彼も、今、病院だ。俺の先輩。指導員でも相方でもあるんだが」

「…」

 行冥は息を飲んだ。

 思わず、仏を見遣った。両手を合わせ、心の中でいつもの念仏を唱える。いつの頃からだったか…今では普通に口ずさむフレーズだ。

『もしかして、俺が呼ばれたのって…』

「悲鳴嶼、すまんが、継国神社(つぎくにさん)へ取り次いでもらえないか」

『やっぱり!』

「頼む!」

 県警に頭を下げられては断ることもできない。

 先月の石原権藏(ごんぞう)氏の三十三回忌以来、正直、こんなに早く、彼らから仕事の依頼が舞い込むなど予想だにしていなかった。

『あれが終われば日常に戻ると思っていたんだが…なんだか、こう。どんどん深みにはまっていくような』

 ふと、その件で知り合った、県警のOB、神々廻(ししば)双雲(そううん)の姿が脳裏に浮かんだ。

 ――――『継国神社に関わる刑事はどの世代にも必ずいてな。ま、諦めろ』――――

 再び相手が嘆願するように手を合わせ、深々と腰を折った姿に、行冥は我に返った。

「分かった、分かったから。どうか頭を」

「助かる…!」

「具体的には? 検分なんてできないぞ、いくら縁壱(よりいち)とは言え。ただの神主なんだ」

「違う違う、お祓いだよ」

「えええ……っ」

 行冥は、とうとう己のものとも思えぬ声を発した。

 その声色に自身で驚いて、口元に手を当てては何度か咳き込む。

 聞けば、この件に関わった刑事が他にも、事故だったり病気だったりにかかっているらしい。

「少し前から、沙羅双樹の森で白い影が目撃されてる」

「…」

「最初は森の中だけだったらしいんだが。そのうち、大樹を見上げる白い影が頻繁に見られるようになって、つい昨日」

「…巡回で見つけた、とか…?」

「その通り」

 錆兎は大きく肩を落とし、長い息を吐いた。

「大樹へは、普段、根が傷むからとあまり近寄らないそうだが、白い影の噂話が気になっていたらしくてな。一度確認すれば後はと」

「思ったところ、見つけてしまった…」

「ああ」

 二人、思わず口を閉ざした。

『色々話が積み重なって、お祓いか…。そりゃ。この仏さんを見ては、分からなくもないが』

 俺は? どうなる?

 一瞬、そう思った。

『ただなあ…』

 行冥は、今日何度目かの溜息を吐いた。

『この表情。と言っていいのか分からんが。皺の具合かも知れんし。安らぎに満ちているように見えるのは、俺だけか…?』

 衣類から、女性だろうと判別してはいる。

 まるでこの大樹の洞の揺り籠に揺られ、包まれて、深い眠りに落ちたような…そんな気が、行冥にはした。

 行冥は改めて仏の方に見向くと両膝を突いて、手を合わせ、頭を垂れた。

『大楠の大樹よ、そして、名も知れぬ君よ。まだ魂がこの世に留まっているのなら…どうか、縁壱に。継国の神主に、その心を開いてはくれまいか。こっちも仕事なんだ、これ以上原因不明の怪我人が増えれば、俺も、君たちを護ることができなくなる。一度信頼を失ったら、何も出来ない。縁壱達を呼び出さねばならん時点で、そろそろ。潮時だぞ』

 行冥は瞼を押し上げて、

「頼むよ」

 囁いた。

 樹齢千年。

 この地をずっと見守ってきた大楠だ。遙か昔から、この樹は世代を超えて大切に、この地を護り護られ、今日という日を迎えたに違いない。

 この女性と大樹との関係は全く分かりかねたが――尤も、関係があるのかすら疑惑だが――もしもあったとしたなら。

 大樹の方が悪さをするなどと、行冥は、思いたくはなかった。

『祓うべき相手はこの女性か…』

 今のところ、そう判断すべきだろうと、彼は思った。

 彼女を検分すべき面々が、厄災に遭っているからだ。

『縁壱達と関わらなければ、そんな風にすんなりと、受け止められはしなかっただろうな…』

 行冥は立ち上がった。

『不思議な縁だ。彼らと何某(なにがし)か繋がっているのは、きっともう、間違いがない――――』

 行冥は深々と息を吐いた。

 内ポケットからスマートフォンを取り出しながら、錆兎の方を向いた。

「とにかく、俺の方は連絡を取ってみる。一刻も早く、現場検証を」

「ああ。分かってる。もう少しだけ待ってくれ」

 スマートフォンを耳に当てながら、行冥は、彼に頷いた。

 大樹の洞を出て、何度でもコールが止むのを待つ。

 相手が出るまでに、縁壱の携帯とアンティーク電話を何度か掛け直しながら、

『社務所の電話番号、そう言えばここに入れてなかったな。姉妹もいるし、いつも普通に縁壱に繋がっていて、疑問にも思わなかった』

 途端、身震いした。

 思わず大樹を見上げる。

 風に戦(そよ)ぐ木々の葉が、何事か囁くように、葉擦れの音を響かせていた。

・壱・~躑躅の章~: テキスト
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