top of page

​第弐話:ネガ

・参・
 ~椿の章~

 深夜。巌勝(みちかつ)は、一つの記事に目を留めた。十四年前の記事だ。

 継国(つぎくに)直轄のこの県を、とりあえず十五年前まで遡ったら寝ようと思っていただけに、複雑な心境になる。どうにも、見つけてしまうと考えを纏めずにはいられなかった。

 記事のタイトルは、

『生死を分けた親子の絆! 失われた一つの命』

 写真は、一般人から提供された物だったらしい。

「『東雲(しののめ)かすみ』…? どこかで聞いたな…」

 提供者の名前に引っかかりを感じつつも、ひとまず頭の隅に追いやる。記事に目を通した。

「…ん?」

 もう一度、始めから、丁寧に読み解いた。

 何度かそれを繰り返すが、巌勝の表情は、読み返す度に険しくなっていく。

 記事の概要は、こうだ。

 十四年前、継国川(つぎくにがわ)の上流は支流の天津川(あまつがわ)が流れ込む場所で、水難事故があった。貸しボートに乗っていた三人が激流に呑まれ転覆し、乗っていた三人の内、子供が一人亡くなったのだ。

 亡くなった子供の名は、南條(なんじょう)あかね。当時十歳。生きていれば、二十四歳だ。

 残る二人は親子で、子供が辻北(つじきた)真希子(まきこ)。当時十歳。母親が乗り合わせていたために、真希子の方は助かり、あかねは死んだ。

 あかねの親は当然真希子の親を詰り尽くしたが、事件に関わったのは二組の母娘だけではなかったらしく、もう一組、河岸でバーベキューの用意をしていた西田(にしだ)親子がいた。

『年齢的にも、彼女らが、縁壱の話していた西田母娘だろう…』

 河岸の親子の内、娘は西田晴子(はるこ)。こちらも当時十歳。仲が良かった子供達三人は、夏の終わりに、天津川の河原にバーベキューをしに来たと言うことだった。

『人数的にも確率は高い。昼に見たあの子は、南條あかねだったんじゃないのか。縁壱に話を聞いていたのが幸いしたな』

「休暇中のあいつには済まないが、これは。関係ないことはもう、なさそうだぞ…」

 しかし、と、巌勝はここで、カウンターに肘をつき手に顎を乗せる。記事を眺めたまま硬直した。

「縁壱(よりいち)が聞いた、自殺した母親は西田恵子。あかねの親に詰られたのは、助かった辻北真希子の母親。…なんでだ?」

 答えは無論、出ない。

「答えが分かれば今回の依頼は終わってるな。単純なことなら彼女も俺のところへ来たりはしないだろうし」

『彼女…』

 と、ぴんとくる。

『縁壱が毎年見ていた『彼女』って、この、辻北真希子じゃないのか…』

「死相(しそう)が出てたとか言ってたな。真希子が死に関わる理由は分かる。助かった罪悪だろう。あかねは『復讐』と言っていた。復讐…復讐…あかねの親か? 動機はあるが…十四年前だぞ。今更?」

『西田恵子の自殺した原因が、どこにも繋がらない。まだ何か、ピースが足りないんだ』

「十四年前か…。流石に雑誌は残ってない気がするな…」

 巌勝は、椅子を降りると足早に古書堂の右棚へ寄った。「文冬(ぶんとう)」でも「サーズデー」でも、記事があれば読みたいとは思ったが、懸念した通り、ここには残ってなどいない。

「ここまで分かれば後は明日か。事故として片付くはずの悲鳴嶼(ひめじま)には悪いが、調べて貰う必要はありそうだ」

 カウンターへ戻る動作に、念のため、もう一度、棚を確認する手間を入れる。一向に進まない足はある場所へ来て、

「ん?」

 止まった。

 雑誌を手に取り、広げる。

『天津川の期待の星! 登山写真家 東雲かすみ、全国フォトコンテスト金賞受賞』

「そうか。どこかで聞いた名前だと思ったが。今では世界的にも有名な、あの、山の写真家か…!」

 雑誌を何気なく捲る。かすみが撮った山岳写真の頁(ページ)が続く。最後はインタビュー記事になっていた。

「ターニングポイントは、十四年前…」

『偶然か?』

 かすみの一言に文字を追っていた視線が止まった。眉根が寄り、再び、文字を追う。インタビュー記事は最初から最後まで、対談形式になっていた。

「水難事故に関わるようなめぼしい記事(もの)は、何もないな…。と言うか。彼女も天津川村(あまつかわむら)出身だったのか」

 分かったことと言えば、龍谷(りゅうこく)山系を子供の頃より縦走していた経験が今の自分を作っている、と言うことくらいだ。経歴が載っていたため年齢を計算してみるが、十四年前は、かすみは十九。読む限り、大学生の頃だ。その中途半端な数字に、あかねら子供達にはもちろん、母親にも何が繋がるのかなど、全く分からなかった。新聞に使われた写真とて、きっと、数多い野次馬の中から選ばれた、偶々の一枚だったのだと思える。

「ふう…」

 片手で雑誌を閉じる。乱れた紙の音が響き、形を整えると何気なく、開いたままの編纂誌の上に置いた。

 時計を見上げる。

 もう、深夜三時(寅の刻)を回っていた。そうして気付く。

「あ! 義政(よしまさ)に電話を入れるの、忘れてた…」

 義政とは、あの頃から続く無二の親友だ。現世に至っては、舞姫の妹と一緒に、自身と同じようにあの世の理に関与している。京(みやこ)での会合から無事戻った時は、毎回電話を入れていた。

「ああもう。あいつもあいつだな。相変わらず! 確認の電話くらい入れろよ…!」

 自分のことは棚に上げて、「サボテンの君」を強く咎めると、「あ~~~~」と自己嫌悪に陥った。足早にカウンターに戻り、置きっ放しにしていた上着を手に取る。

 古書堂はキッチンを抜けて、自宅に戻った。

 程なくして、シャワーを浴びる巌勝の溜息が湯気に混じり、宵闇に解けていった。



 旅の疲れに調べ物で目を酷使した為か、だいぶ陽が登ってから目が覚めた。閉じたカーテンの継ぎ目から斜めに日差しが入り込む。目映そうに顔を顰めながら、サイドテーブルに置いていた眼鏡を取ると、起き上がりながら掛けた。

「今、何時だ…」

 室内に時計は置いていない。

 眼鏡の隣に置いてあったスマートフォンは、手に取った反動で傾くと電源が入った。時刻を見て驚いた次の瞬間、「あ」と小さな声が漏れる。届いていたメールの内容を確認して、一気に相好が崩れた。

『巌勝様。おはようございます。

 昨日は無事、継国にお戻りになられましたか? 兄様が心配していたので…少し気になりメールをさせて頂きました。

 また秋。お逢いできることを、兄様と二人、楽しみにしております。

 日々恙無く、お過ごしになられますように…。 桜海(おうみ)』

 心の中で「無事だ」と呟いて、何度も読み返す。硬い文章から伝わる緊張も、どんな表情をしながら打ったのか想像がついた。知らず、優しい笑みがこぼれる。顔をはっきりと思い出すと、鼓動が少し早くなった。胸に手を当て一息吐いた時、遠く離れる差出人の名前を見つめる瞳が、切なくなった。

「空明(くうめい)…」

 便りのないのは良い便り、とはよく言ったものだ。巌勝は、そのメールを保護するとレスポンスはせず、スマートフォンをサイドテーブルに置いた。ただ、面を上げた次の表情は、とても明るいものになった。

「さて!」

 伸びをするとベッドを降りる。

 スーツに着替えてカーテンを引くと、一度は置いた携帯を手に取り足早に階下に降りた。玄関に置いてある愛車のキーを無造作に掴むと、一旦は古書堂に寄る。昨夜調べ物をした雑誌やら記事やらを幾つかコピーして、ガレージに向かった。

・参・~椿の章~: テキスト
bottom of page