top of page

第弐話:ネガ


・壱・

 ~躑躅の章~​

継国さん 継国さん

陽の見櫓の神楽舞 お困りでしたらおいでませ

南の躑躅の山奥に 鬼の屍踏み越えて


継国さん 継国さん

月の見櫓の剣舞唄 泡沫の夢に紡ぎます

北の椿の山奥に ぽとりと首を落としませ


継国さん 継国さん


継国さん 継国さん……


・壱・

 ~躑躅の章~


 昼下がり。

 食事も済んで洗い物も片付けて、縁壱は、座卓の前で湯飲みを両手に包んでほぅっと一息吐いた。

「そろそろ夏も終わりですねえ…」

 あれほど五月蠅かった蝉時雨も、秋の訪れと共に音色が和らぐ。もっともそれは、ここが標高二千メートル級の山中にある神社だからだ。下界はまだまだ夏真っ盛りだった。

「きゃあ! これも可愛い! ねえ姉さん、見てみて!」

「しのぶっ、これは? 紫はやっぱり胡蝶家の色よぉ!」

「……」

 隣の部屋から聞こえてくる黄色い声に、縁壱は真顔で茶を啜った。耳を欹てる。

「ねえねえ、縁壱さんに決めて貰いましょうよ! 折角だもの~」

『決める??』

「それもいいかも! お披露目お披露目~!」

「あ! ついでにこれも持ってって! しのぶしのぶっ」

「あ! ハぁ~イ!」

 浮き足だった音を響かせながら、廊下を少し駆けてきた姉妹は、お茶菓子を楽しむ縁壱のいる座敷へ来ると、

「「じゃ~~~ん!」」

 と大胆なお色気ポーズを取った。水着姿だ。

「っ!!!」

 どんっ、ごんっ! と、二段階で豪快な音が響いた。一つ目のそれは、湯飲みを座卓に置いた音、二つ目のそれは、そのまま座卓に顔面を激突させた音だ。

 あわや茶を吹き出しそうになった縁壱は、それはすんでで飲み込んだものの、代わりに鼻血が吹き出た。面を上げて押さえると、無理矢理喉奥へ押しやった茶に微かな血の味がして、噎せ込む。

『眼福……じゃなかった、』

「あのですね…」

 口を開くが姉妹は何処吹く風だ。

「ねえねえ! 縁壱さん。やっぱりこっちがいいよね?」

「え~、でも桃色も可愛くない? ねえねえ、どう?」

「いえ、ですから…目のやり場に困るわけです」

「「真顔で見てるじゃ~ん!」」

 賑やかな笑い声が響く。

『こういう時ばっかり、声が揃うんですから…』

 縁壱は、視線を外してまた湯飲みに手を伸ばした。

 一口含んで、ほぅっと平常心を取り戻したばかりの視界に、あらぬ物が映り込む。卓上に広げて置かれたそれに、

「…なんですか? これは」

「あはは! 今の言い方巌勝さんそっくり!」

 カナエが腹を抱え、しのぶが「ふふ」と笑みを浮かべる。

「海水パンツ」

「いえそれは、見れば分かります」

「「縁壱さんの~!」」

「無邪気な顔して怖いことを言うのは止めて下さい」

「巌勝さんに履かせればぁ?」

「何の拷問ですか。卒倒しますよ、兄上」

 まるで鬼の所行だと、呟きつつ困ったように溜息を吐いた縁壱に、姉妹はまた明るい声を立てた。

『でも、ま…』

 湯飲みを静かに置いた代わりに、人差し指と親指で、びろん。と持ち上げてみる。

『どんな反応をするかは楽しみですね…』

「ふふっ」

 縁壱は立ち上がり、

「頂いておきますね」

 寝室は箪笥の奥へしまっておこうと、部屋を後にする。その足取りが、一歩分、スキップを踏んだ。

「「!」」

 姉妹は驚いて顔を見合わせる。

『『喜んでくれたみたい!』』

 と、これもまた見当違いなことを同時に思いながら、肩を寄り添わせ、小さく笑った。


 あれやこれやと迷いに迷って、漸く持って行く一枚が決まったのだろう。姉妹は、午後のお勤めに本堂に向かう、縁壱の後を付いていった。

「それで? 海にでも行くのですか?」

「ううん、ほら、継国山の裏手。橋を渡った先に瀞峡があるじゃない。最近アクティビティで有名なのよ?」

「あ…あくてぃびてぃ…」

「姉さんとキャンプに行くの! ね、縁壱さんも一緒に行こう?」

「わ…私がキャンプですか」

「いいじゃない。たまには。色々経験しないと勿体ないわよう?」

「はあ…」

 あの手この手で押してくる姉妹の言葉に、縁壱は、とうとう折れた。だが、

「兄上は一緒には行けませんよ? 水辺は天敵ですから」

「え~~!? そうなの!?」

「幼い頃、兄上が溺れた私を助けてくれたんですが、その原因が…」

「ちょっと待った! 縁壱さん、また! また怖い話しようとしてるでしょう!!」

 カナエが声を上げる。

 しのぶが笑った。

 縁壱も仄かな笑みを浮かべて、

「そういうわけなので。私だけですが構いませんか?」

「「もちろん!」」

 姉妹は手に手を繋いで飛び跳ねた。

「着替えてくるね! 巫女バイト頑張る!」

 言って、社務所に戻る。「はいはい」と縁壱は口元に手を当ててくすりと微笑むと、二人の背中を見送った。

『さて…三人寄ればなんとやら』

「文殊の知恵。とはならなさそうですね…。何事もなければ良いのですが」

 本堂に着くと、縁壱は、蝋燭に火を点し吊り下げ燈に火を点けて回った。山の天気は女心宛らに、よく変わる。どうやら雷雲が発生したらしい継国山の頂を見上げて、

『舞殿の傷みがまた早くなりますねぇ…』

 彼には珍しく、溜息が漏れた。

 ふと、境内に現れた人影に気付く。雨が降る前に辿り着いて良かったとその者を見て思ったが、心持ちが一瞬にして変わった。

『あの方は』

 毎年、この時期になると、神社へお参りに来る女性だ。

『今年で何年になるでしょう? 私が見かけてからは、確か、十年以上が経つような…』

 それでも、彼女の見た目はまだ二十代半ばだ。初めて見かけたときは、己と同じくらいの子供が、よくもまあこんな山へ登ってきたものだと、大層驚いた。

『だからこそ気になって、よくよく覚えてもいるのですが…。確かあの頃は、まだ、母君と一緒だったような気も…』

 境内を中程まで歩いてきたところで、彼女もこちらに気付いたようだった。目が合って、ゆっくりと頭を下げる。

 縁壱も辞儀を返したが、内心穏やかではなかった。今年の彼女は、いつもと違っていた。

『死相が出てますね…』

 さて。どうしたものやら。

 彼女がお参りに向かう背中を見守りながら、縁壱は顎に手を当てて思案気になった。その耳に、「縁壱さ~ん」と、しのぶ達の明るい声が響く。

・壱・~躑躅の章~: テキスト
bottom of page