第六話:累
・壱・
~椿の章~
姉妹が去るのをそれぞれの眼差しで見送ると、巌勝(みちかつ)が口を開いた。
「疑問しか残らんな…。縁壱(よりいち)」
問いを投げれば投げるほど、疑惑は膨らみそうだった。一つ一つ話を聞くより、縁壱の一言を質す方が手っ取り早そうだと踏んで、彼に言を譲る。
弟は、ちょっと落ち着こうとでも思ったのだろう。半分呑んだ茶の湯飲みを卓上に置いて、
「あ、はい」
矢琶羽(やはば)にもう一度見向いた。
「累(るい)…って、どなたでしょう?」
落ち着いて問いかけると、相手も一呼吸置いて、口調が戻った。
「さっきの反応、知ってる風だったけど」
「いえ、よくは分かっていないのです。でも、貴方はよくご存じなのでは?」
縁壱が首を傾げると、矢琶羽は低く呻いた。
「もちろん、知ってるよ。けど…」
どうやら彼は彼で、何をどう話したらいいか、検討しているようだ。
縁壱は元より性格上、巌勝も、しばし間を置く。
その間が、一層、三人の温度を等しくしたようだった。穏やかな風が辺りを薙いでいく。
やがて矢琶羽が、先に聞きたい、という体で言った。
「俺、はっきりとした前世の記憶はないんだ。姐(あね)さんも義政(よしまさ)様もあるみたいだけど…死渡(しと)に選ばれると、そうなるのかな」
それには、巌勝が腕を組みながら応えた。
「閻魔(えんま)に確認を取ったわけじゃない。ただその二人と、縁壱と。俺の知る限りでは皆、そうだっただけだ」
「そうなんだ…」
矢琶羽は顎に手を当てて、
「俺は、姐さんの傍に仕えることになってから、少しずつ見えるようになっていっただけだよ」
「空明の神気(しんき)だな…」
「うん、そう思う。きっかけはあったんだ。もっと小さかった頃…姐さんがよく遊んでくれたんだけど、ボールを手にしたら何かが頭を過ぎってさ」
「ボール…」
「頭の中に浮かんだのが手鞠だって気付くのは、もっと後のことなんだけど。とても懐かしくて…その時から見続けているのは、俺とあと二人の人影。そのうちの一人が、累なんだよ」
「…」
「姐さんにそのことを話したり、義政様に体術習ったりして、貴船(きふね)に関わるうちに、少しずつ映像が鮮明になっていったんだ。で、思い出したんだよ、地獄での約束。俺たち三人、よく一緒にいてさ」
矢琶羽は何とも言えない顔で笑った。
「生まれ変わったら、現世で必ず逢おう、って」
巌勝は、縁壱と顔を見合わせた。
矢琶羽が続ける。
「手鞠を目印にしようって話したんだ。手鞠を探せば、きっと逢えるよって」
「ちょっと待て…」
巌勝が腕を組み解いた。
「約束だって? 手鞠が」
「うん。生まれ変わったら、覚えているかも分からないのにな。何だろう…普通にそう、話してたんだ。まるで当たり前のように」
巌勝がくく、と笑い出すと、縁壱も低く呻いた。
「まさか、そう来るとは思いませんでしたね…目印だったなんて」
巌勝は息を吐きながら笑いを収めて、
「なんで手鞠にしたんだ。そもそも、あと一人は? それに、唄」
矢継ぎ早に問いかけた。いよいよ堪えきれなくなった。
矢琶羽は質問に何度も頷きながら、
「そのあと一人…朱紗丸(すさまる)が、大切に持っていたのが手鞠なんだ」
「朱紗丸…男の子か?」
「あ、いや、女の子だよ。鬼にされたのがあんまり幼い頃だったから、人間の時の名前を忘れたんだって話してた気がする。ま、それは、俺も同じなんだけど」
巌勝は小さく長く、息を吐いて呟いた。
「やっぱり、累の手鞠じゃなかったのか」
肩を落とすと片膝を立てて、後ろ手を畳につく。
「はあ…。まさか子供の玩具(おもちゃ)と約束に振り回されていたとはな。この俺が」
矢琶羽が済まなそうな表情になりながら、後を続けた。
「唄は、閻魔様から」
「…何だって?」
驚いた拍子に、巌勝は身を起こした。立てた膝に腕を乗せて身を乗り出す。
「『とある地方の死渡のうち、あと一人の跡継ぎが決まらない。幽世(ここ)で未来の約束をするのなら、果たせるように力を貸してやってもいいぞ』って」
「あ…ンの野郎…!」
舌打ちをする。
今度は縁壱が苦い笑みを浮かべて、
「では、その、累という方が…?」
「それも、違う」
「と。言いますと…朱紗丸さんが」
「ん。死渡は、本当は朱紗丸が役割を請け負ったんだ。手鞠が朱紗丸のだから。だけど、彼女はまだ幼くて役目を果たしきれないからって、転生するまでは累が鬼の姿(その頃)の幽体(ゆうたい)で、現世での役割を果たすことを、閻魔様が赦して下さったんだよ」
巌勝の額に青筋が浮かんだ。怒気が迸るが、二人が見て見ぬ振りをする。
「俺は無事、転生を果たした。先に累の姿が見えなくなったから、多分累が先に転生したんだと思うけど。だから朱紗丸に、
『転生したら、役目はお前が果たさないと駄目だぞ。いつまでも累に頼って、累にやらせていたら駄目だぞ』
って話して、別れたんだけど…」
「まだ、累くんの昔の姿のままですね…、死渡は」
「やっぱりそうなんだね? 巌勝さんから累の匂いがしたから。だから」
「継国に、来た…」
「うん。巌勝さんなら何とかしてくれるかもって、思った。きっと何かあったんだよ、朱紗丸の身に。まだあっちでもたついてるんだ…もしかしたら、あいつのことだから、閻魔様を怒らせたのかも」
矢琶羽はそこで言葉を切ると、俯いて手を握り、力を込めた。
小さく息を吐くと決心したように面を上げる。
「俺…累に逢いたい。朱紗丸を、どうか助けてほしい。その力を貸して欲しいんだ。何か困ってるなら、助けてやりたいんだよ!」
「ちょっと待て…」
巌勝はそこで、頭を抱えた。
「地獄にまだいるとすれば、それは何か理由があるからだ」
「だから、それを知りたいんだよ」
「あのなあ…」
簡単に言ってくれるな、と、言葉を重ねる。
縁壱も小さく頷いて、
「矢琶羽くん」
「…はい」
「いくら門番でも、そうそう幽世への門を開けることはできないものですよ。大体、貴方が関わる幽世は京(みやこ)。京の人間でしょう。空明(くうめい)さんは、その願いをご存じなのですか?」
「ああ、知ってる」
「なっ…」
巌勝は言葉を失った。矢琶羽が畳みかけてくる。
「俺がここに来ることができたのは、姐さんのお蔭だよ。継国が一番、天国にも地獄にも近い場所だって」
「あいつ…!」
「万能ではないけど、幽世の門番…死渡としての力は、二人が一番強いって。きっと、前世での技をそのまま継いでいるからだって。そう、言ってた」
二人は口を閉ざした。
ゆっくりと、互いに互いの方を向いて視線を交わす。
「…」
巌勝は眉間に皺を寄せて目を伏せた。卓上に右肘を突いて、面を寄せると眼鏡を取りながら重い息が漏れた。
「…正直、」
卓上に眼鏡が置かれる小さな音がする。
「あの野郎(閻魔)には、一言言ってやりたい。絶対面白がって観てただろうからな、俺たちのこと」
「兄上…」
「だが、幽世の門を開けられるのは、俺じゃないんだ」
「…え?」
矢琶羽の表情に、巌勝のそれは一瞬辛そうになった。
「縁壱だけなんだ。俺は退魔の力を特化しているから、門を開けることについては、縁壱の負担を軽くすることしかできない。閻魔とはそれなりに話せるが、だとすると…俺が幽世に行っている間、縁壱は、ずっと、舞い続けなければならん」
「それって、どういう…」
顔色から、大変そうだと言うことは理解したように思えた。ただ、出てきた問いかけに巌勝は小さく息を吐いて、言葉を砕く。
「幽世(あちら)と現世(こちら)は時間軸が違うんだ。閻魔の力で操作する(揃える)ことは可能だが、奴はそこまでお人好しじゃない。一度繋げた扉を閉じると時間軸が狂うから、開けっ放しにするなら縁壱はその間舞い続けなければならないし、同時に、幽世から逃げ出そうとする魂を食い止めねばならん。それがまあ、俺の役目だったりするんだが…あんまり長時間俺が幽世に滞在するなら、それも縁壱が独りでって事になる。負担がかかるのは…もう分かるだろう?」
「っ…」
「大体、俺たちはもう、あの頃とは違うんだ。鍛え方もな。縁壱は間違いなく今もあの頃も日本一の剣士だが、現世では、身体に負担がかかりすぎる」
「兄上、私…私は」
複雑な表情になって呟いた縁壱に、巌勝は、はっとして彼に顔を向けた。その色が、瞬時に失われる。
「話の成り行きで、褒めただけだ!」
「褒めて…下さったのですね!?」
弟は恐らく、喜びがいの一番に勝ったのであろうが、話途中で感無量。と今にも飛びかかろうとする様に、巌勝は、咄嗟に仰け反った。
案の定、
「兄上!」
「っ!」
諸手を挙げた縁壱に、巌勝は、思わず身を崩して足を突き出した。
モモンガのように跳ねた弟の鳩尾(みぞおち)を豪快に蹴り上げて、
「うが!」
凹んだ鳩尾(そこ)を押さえてくの字に身を折った縁壱を、鼻息荒く見下げた。
弟は、小刻みに震えながら卓上に突っ伏していた。
「あ…兄、上…! ヒドイです……」
「どっちがだ! 怖いわ!」
「だって…」
「だってじゃない! なんだ、だってって! 飛びかかるのはやめろ! 今思い切り喰う気だったろうが!」
一気に叫ぶと、縁壱が恨めしそうにゆっくりと、面をこちらに向けた。
思わず片腕を上げて青ざめながらまた身を反らすと、座布団ごとその場から二三距離を置く。
「なんて言うか」
呆気に取られていた矢琶羽の声が突然耳に届いて、巌勝は、異様に驚いた。
「仲いいよな、二人。ほんっと」
「は!?」
「ええ、そうなんですよ」
「ケンカするほど仲がいいとか言うしね。いいなあ兄弟」
「やめろ、矢琶羽」
「もっと言っていいですよ、赦して差し上げます」
「お前は何様だ、縁壱!」
思わず叫ぶと、矢琶羽が笑い出した。
が、次第に、冴えない顔になっていく。
「やっぱり…難しいのかな。生きた人間が地獄へ行こうとしているんだもんな」
双子は顔を見合わせた。
縁壱がゆっくりと身を起こして言う。
「少し、時間をくれませんか? 矢琶羽くん」
「縁壱さん…」
「返事も、あまり期待はしないで頂きたいものですが」
「あ、ん…」
肩を落とした矢琶羽に、巌勝も一息ついて、
「矢琶羽」
「はい」
「お前はその間、学校に行ってこい。手続きや準備は継国(俺たち)でするし、後見するから」
「え!?」
「累に逢いたいんだろう? 居場所はな、実は分かってる。累の知り合いに遭ってな…」
眼差しが遠くへ飛んで、つい、青筋が幾つか浮かんだ。
が、矢琶羽にはその理由はもちろん分からないだろうと思う。こちらが落ち着くのを待って、
「それが、学校…?」
矢琶羽の問いかけに、巌勝は頷いた。
「学校生活もな、損はない。暫くここにいる気なら、必要最低限のことはしろ。いいな?」
「…はい」
かくして三人は、思い思いの溜息を吐くと遠くを眺めた。
やがて巌勝は、何事か思い出した様子で眼鏡を掛け、立ち上がった。縁側へと歩を進めながらスマートフォンをジーンズから取り出すと、画面を眺めながら柱に寄りかかった。
「……」
決意して、メールを開く。
何度も書き直しながら、文面を整えていった。