第六話:累
・壱・
~躑躅の章~
継国さん 継国さん
陽の見櫓の神楽舞 お困りでしたらおいでませ
南の躑躅(つつじ)の山奥に 鬼の屍(しかばね)踏み越えて
継国さん 継国さん
月の見櫓の剣舞唄 泡沫(うたかた)の夢に紡ぎます
北の椿(つばき)の山奥に ぽとりと首を落としませ
継国さん 継国さん
継国さん 継国さん……
・壱・
~躑躅の章~
『姐(あね)さん。元気ですか?
俺、やっと継国に着きました。
到着早々、ちょいと難問にぶち当たりもしたけど、巌勝さん達に助けられて、解決できました。
初めてです、ちゃんと、幽世(かくりよ)に関わったの。
京(みやこ)は『姐さん(我が君)の神託』ありきで、術者が解決するんですもんね。まあ、京は怪異が多いから、手筈が異なるのは当たり前なのかな?
継国では、縁壱さんと巌勝さんが直接動いているんです。新鮮でした。
今は、巌勝さん宅に、住まわせて貰っています。直接、禍詞(いみことば)を学べる機会を得ました。
剣術の基礎も教えて下さったんですが、こっちの才能は、からっきしなんです、俺。でも、その分、詞の方は強いって褒められました。
詞を弾丸みたいに飛ばしたり、その軌道を変えたりするのって、そうそうできるものではないらしいんです。その才能が、俺にはあるみたいで。
ちょっと嬉しかったな、褒められたの。
今は、詞をしっかり紡げるようになることと、それを、四方へ思うように飛ばせるように、訓練中です。どうもね、頭の中で曲げたい方向に矢印を思い描くと巧くいくみたいで、コツを掴みかけてます。
姐さんの警護、俺だけでも十分果たせるようになれるかも。って、調子良すぎか。待っててくれよな!
後、もう一つ。
…学校に行くことになりました。めんどくせえ。
年齢的には高校らしいんですが、頭が足りません。小学校からやり直すには無理があるらしいので、ひとまず、中学に編入することになりました。年齢的にそれが限度らしいです。
今更なんすが…。大体、中学の勉強だって付いていけねーし。
巌勝さんが、損はない、って言うから。
巌勝さんが言わなきゃ行かないです、学校なんて。これまでも別に不自由してないのにな。
手紙書くならこれも書け、後で確かめるぞ。って脅されたんで、一応報告します。渋々。報告します。
多分、この文が姐さんの手元に届く頃には、きっと…。
また、送りますね! あ、でも、その前に、秋の会合が先かなあ? 巌勝さんにも必要とされるように、俺、頑張りたいと思ってます。
じゃ、また!
そうそう。姐さん。やっぱあともう一個。
出雲(いずも)のあの平家の現当主。なんだっけ、あのクソ王。本名忘れたけど、素戔嗚尊(スサノオ)。奴の申し出にはどうか、応えることのないように。…わかった? ね?
矢琶羽』
黒板に名前が刻まれる。
教室に響き渡る軽快なチョークの音とは対照的に、その名の隣に立たされた若者は仏頂面だった。決まった制服に身を包んだ中にあって、着物に高下駄という出で立ちが、生徒達を黙らせていた。
「矢琶羽くんだ」
担任が机に両手をついて話し始める。
「名字は~?」
くすくすと笑みを零しながら誰かが言って、俄に騒然となる。
何故か鳥肌が立った。拒否反応だと気付くのに、時間はかからなかった。
『めんどくせえ…。なんだよ、餌を待つ小鳥か!』
ますます表情が険しくなって、彼は、溜息を一つ零した。
隣に立った教師が一瞥をくれて、
「継国さんの遠縁に当たるらしくてな。本名は伏せられてる」
出てきた言葉に更にざわつかれた。あの神社の名前が出ただけで、興味本位の下卑た笑いは、さあっと引いた。
『本名も何も、これが自分の名前だけどね。ま、仕方ないなあ。巌勝さんが言うんじゃな』
思うが、そこは、巌勝が作った設定だ。黙って聞き流した。
『ったく、なんでこんな堅苦しいところに閉じ込められなきゃいけないんだ。ピーチクパーチク気持ち悪いし。勉強よりやらなきゃならない大事なこと、沢山あんだよ』
「で、矢琶羽」
担任がこちらを向く。
一応そちらを向くと、
「お前、制服は?」
「あ? ああ、捨てました」
「は? 捨てた?」
「窮屈だったんで」
「じゃ、上履きは? それは脱げ。ここでは上履きを履くもんだ」
「はあ…それも一緒に。ゴミ箱です。締め付けられて痛かったんで」
「下駄の方が痛いだろうが」
「は? 何言ってんの?」
「それはお前だ! 矢琶羽!」
「ふん…」
教室が、会話が進む毎に冷え冷えとした。最後には一切無駄な言動がなくなって、矢琶羽は首を傾げた。
『なんか問題でも?』
「…放課後、職員室に寄るように。一応継国さんにも連絡しておくからな!」
「はあ。どうぞ」
団体生活に縁のなかった矢琶羽の学園生活は、こうして初日の始まりを告げた。担任の、「委員長!」という怒号に、彼はもう一度溜息を吐く。
二度目のそれは隣の大人の額に更に青筋を立たせた。だが、『委員長』とやらを前に呼び出すと、
「購買に行って、上履きを買わせてこい」
「え? 今ですか? HR(ホームルーム)…」
「いい、どうせこいつは話を聞いてない。先に足元だけでも整えさせてきてくれ」
「はい…分かりました」
頷くと、彼女の長い髪が揺れた。
「矢琶羽くん、こっち。案内するね、購買部」
「…」
仕方なく連れられて、教室を出る。出入りの戸を見上げて、「2-A」の看板を確認した。
事の始まりは、あの、『継国山北ルート事件』を解決した後日(あと)のことだ。
その日、巌勝が、矢琶羽を連れて山を登ってきた。
縁壱は、行き交う参詣者達に挨拶をされ、し直して、流れを見送った先に二人の姿を見つけた。
兄の方は、すぐにこちらに気付く。
『兄上』
仄かに笑みの浮かんだ自身に、巌勝の顔は、げっそりとなった。
『兄上。もう。失礼な』
とは思ったが、何事か後ろの矢琶羽に声を掛けたところを見ると、面倒なことでも起こったのかも知れない。
果たして二人は、足早にこちらに向かってきた。
眼前に迫った兄の顔をまじまじと見ると、
「縁壱。矢琶羽…京へは帰らないって」
得心した。
山神様の一件後、彼はしばらく巌勝宅に逗留していた。
兄のことだ。数日は無言で様子を見ていたのであろうが、一向に帰途に着く気配のない彼に、問答せざるを得なくなったのだろう。
「それで、全部話すよう促したんだ。お前にも、一緒に聞いて貰うのがいいかと思ってな」
「全部?」
「ああ。継国へ来た理由。それに関わる疑問やなんかだ」
「なるほど…今日は胡蝶姉妹もいますよ? もうすぐ午後のお勤めの時間ではありますけど」
暗に『二人は聞きたがるはず』と言うことを告げると、巌勝は、溜息交じりで「仕方ない」と、諦めが早かった。
縁壱は黙ったままの矢琶羽にも視線を送って、二人を社務所(しゃむしょ)へと招いた。
居間へと通し、案の定、姉妹の明るい声に出迎えられる。二人は若者の姿を目に収めると、
「わ! 矢琶羽くんいらっしゃい。まだ京へは帰ってなかったんだ?」
カナエが満面に笑みを湛えて声を掛けた。
内容に、縁壱は兄を振り返り、巌勝は苦笑う。
「なかなかどうして、話す手間が省けるな」
姉妹は揃って首を傾げたが、縁壱が、矢琶羽に席の一つを勧めると、穏やかな声色で言った。
「お茶でも淹れてきましょうね」
「あ、縁壱さん座ってて。私がやるわ」
しのぶが察してくれ、すぐに席を立った。
縁壱は礼を言って替わると、兄の横に腰を落ち着けて、控え目な眼差しを送った。
早速、巌勝が話し始める。
「矢琶羽、お前…空明(くうめい)はどうした。付き人だろう」
「姐さんの周りには沢山の術者がいるよ、ちゃんと許可は取ってきてる」
出てきた人名やらにカナエが反応してこちらを向いた。
縁壱は小さく頷いて、その場は収める。二人の話が終われば今度は、姉妹の疑問に答える必要も出てくるだろうと、縁壱は思った。
『きっと二人も、兄上の想い人が凄い人だとは分かってはいると思いますが…それ以上、私がどこまで話していいものやら』
些細な話の合間に、時折、重大な質問が飛んだ。
「なんでここまで来た、京の管轄案件ならここでは聞けないぞ?」
「管轄は分からないんだ、だけど、巌勝さんから鬼の気配を感じて」
「!」
思わず、巌勝が顔を真横に向けた。
縁壱は兄の視線を受け止めて後、
「あまり…好ましい表現ではありませんね、矢琶羽くん。何故、そのような」
「ごめん。俺だって、どう表現したらいいのかよく分かってないんだよ」
矢琶羽が素直に頭を下げた。続ける。
「夏の会合で西日本の死渡(しと)が集まった時にさ、何人か、異様な気配を感じたんだ。中にはヤバいのもいたよ…出雲の素戔嗚尊とかさ。だけど、巌勝さんのそれは、俺が知ってる気配に似てたから」
「…お前の知ってる、誰か、だと?」
兄の口調がきつくなる。
向けられた関心に矢琶羽は一瞬たじろいで、叫ぶように声を上げた。
「累だよ! 地獄で知り合ったんだ」
「記憶があるのか…お前」
「いや、ない」
「…は?」
「それよりも、『累』って言いました? 今」
「縁壱さん…」
三人の会話が噛み合わなくなったところで、カナエが口を挟んだ。
「あ、はい、なんでしょう、カナエさん?」
巌勝と矢琶羽が「腰を折るな」と視線を送った一方で、縁壱は沈着として、面を向ける。
「なんだか話、よく見えないし…午後のお勤めもそろそろだから、行くね。授与所(じゅよじょ)」
「あ、はい。ちょっとこちらは時間がかかりそうなので、あちらはお願いしてもいいですか? 緊急があればいつでも呼んで下さい」
「はい」
いつの間にやら用意してくれていた茶にも縁壱は気付いて、
「しのぶさん、ありがとうございます」
姉と共に立ち上がった彼女に声を掛ける。
しのぶは一度にっこりと微笑むと、神妙な面持ちの姉と一緒にその場を去った。
後には緊迫した状況の二人と、少し怯んだ縁壱(自身)が残された。