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​第六話:山神様

・参・
 ~躑躅の章~


『風が出てきましたね…』

 縁壱(よりいち)は、日輪刀を地と平行に掲げると、傾き始めた太陽に向かって一礼した。

 奉納は折り返し、午後の部へと突入する。

 彼は刃を抜いて、後に控えるカナエに鞘を手渡した。

 一段一段、踏みしめて舞殿を登る。

 舞台の中央まで行き着くと、真っ赤に燃え上がる日輪を瞳に映して、刀を構えた。

 呼吸を整え、一振り、横に薙ぐ。神楽団の龍笛(りゅうてき)が高く天に響いて、縁壱は、炎舞を描いた。

『兄上…』

 しのぶに託した伝言は、無事、兄に届いただろうか。

『もし、兄上にも何某(なにがし)かの現象が起きているのなら、きっと、率先して動いてくれるはず』

「こんな大切な時に、駆けつけることができなくて…すみません。兄上」

 縁壱は、午前の舞の疲れも全く見せず、流れるように、ヒノカミ神楽を紡いでいった。



「いないな…」

 辺りを見渡して、巌勝(みちかつ)は、溜息交じりで言った。

 躑躅の参詣道は一本道だ。大層人の流れがあるとは言え、しのぶに聞いた特徴が特徴だ。

『それに。その、着物姿の若者…まさか。高下駄を履いた奴と言ったら、そうそういない』

 正直、石原勇仁(ゆうじ)の人相などより、和服の若者の方が目を惹く。山では相当違和感があるだろうし、見落とすはずがないと思った。

 躑躅(つつじ)の参道が途切れる九合目まで行き着いた。

「もしかして、山を降りたのかしら。時間経ってるから」

 遠く舞殿を眺める参詣者達の合間を縫って、傍に寄ったしのぶが言う。

「風も雲も出て来たしな。早めに降りた方が利口だ」

「一旦戻る? もしかしたら神社にまだいるかも知れないし」

「取り敢えずそうしよう。とは言え…」

 先を言い淀んだ巌勝の横顔を見、しのぶも同じ気持ちにはなる。

 だが、何もしない訳には行かない。二人は足早に躑躅の参道を下りていった。


 日が、傾く。


 魔の刻(こく)が迫り始めて、巌勝は、流石に顔色を変えた。

「何か、おかしい」

「巌勝さん…」

 しのぶも不安がそのまま声に出た。

 二人は社務所前で佇む。

 考え込んでいた巌勝が、面を上げた。

「恐らく…何か、イレギュラーが発生しているんだ」

「…どういうこと?」

「今回、俺の方には何も起きてない」

「あ」

 しのぶの戸惑いに、巌勝が頷く。

「縁壱は多分、山神のお告げの内容に、俺の方にも何かあるはず、と推測してお前に事件のことを言伝(ことづて)させたはずだ」

「うん、うん…!」

「あいつのことだから…、そこから俺が、何か推測して動いてくれると思っているに違いない」

「だけど、何も起きていないから」

「そう、」

 巌勝はそこで一旦言葉を切り、腕を組んだ。今日一日を順に振り返ってみる。

「そうか…! イレギュラーは多分、その、着物姿の若者の存在だ」

「…え」

「ちょっとな、思い当たる人物がいる。そいつは継国の人間じゃない。山神も、彼の存在までは予測しえなかったのかも知れんな」

「じゃあ、あの彼が」

「ああ。そいつだとしたら、俺が今日体験するはずだったことを、そいつが受けてしまったことも、…あり得る」

「どこかで縁(えにし)が…ずれたのね」

「そう言うことだ。…どうするか…」

 ふと、巌勝のスマートフォンが鳴った。

 突然のことに二人は飛び上がって、息を飲む。

 巌勝はいつになく慌てて、スラックスから携帯を取りだした。

「悲鳴嶼(ひめじま)?」

 画面を眺め、珍しいこともあるもんだ、と、言葉が漏れた。電話口に出ると、切羽詰まった声が耳に届く。

『山に緊急手配が掛かった』

「…え?」

『今、どこだ。山だよな? 戻るって言ってたろう』

「あ、ああ」

『二人の若者が継国山(つぎくにさん)で行方不明になったようだ。友人達が、戻らない仲間を心配して110番を掛けてきた。林道開けてくれないか、まだ明るいうちにそちらに消防を手配させたい』

「ええと…ちょっと待ってくれ」

 巌勝の頭の中で、分散された情報が繋がる。一瞬の間を置いて、彼は行冥(ぎょうめい)に告げた。

「一人は『石原勇仁』、もう一人は…多分、『矢琶羽(やはば)』じゃないか?」

『! そうだ。おい俺の方こそだ、ちょっと待ってくれ…! また、そっち関係か!?』

 巌勝が苦笑った。

「そのようだ」

『ああ、もう! なんでかな! 玄弥(げんや)!』

 と、巌勝が電話の向こうで別の指示を出し始めた行冥を察する。

 恐らく消防を引っ込めて、自分たちがこちらに来る方を選んだのだろう。

 巌勝は、

「山で合流なら、北ルートだ」

『確かだな?』

「ああ、間違いない。縁壱が予見してる」

『南無阿弥陀仏…』

 呟いた行冥に、巌勝がまた笑った。

「先に行くぞ。遺体を二つ引き上げるなんてことは御免だ」

『分かった、すぐに向かう!』

 巌勝は携帯の受話器を置くと、しのぶに見向いた。

 青ざめた彼女の表情を見る限り、察しただろうとは思う。予測は外れず、

「行くのね、北ルート」

「ああ」

 巌勝は西の茜空を一度見上げ、

「お前は縁壱に伝えてくれ。そろそろ奉納も終わる。あいつのことだ、絶対に心配しているからな」

「分かったわ」

 二人は背中合わせに身を返すと、それぞれ目指す場所へと駆け出した。



 残すところ、舞もあと一巡となったところで、

『縁壱や』

 彼にとっての問題児が現れた。

「継国様。山の神々は」

『うむ。無事、出雲(いずも)へと出立したようじゃの。後は妾(わらわ)だけじゃ』

 少し、肩の荷が下りる。が、

「まさかとは思いますが、その格好で行くんですか」

『なんじゃ。不満かえ?』

「当たり前でしょう! 継国の品性が疑われますよ!」

『お前は…真面目じゃの。悪いことではないが…』

 縁壱が披露する型の一つ一つを躱しながら、山の神は傍に寄る。笑顔で彼の頭を扇でぺしぺしと叩いては、ひらりひらりと宙を舞った。

 縁壱はそんな彼(か)の者を遠慮なく狙う。が、山の神は、

『まだまだじゃのう』

 ほほ。と笑った。

 残り半分となったところで、山の神が身を引いた。浮いたまま、縁壱の神楽を眺める。意味深な笑みを浮かべると、言った。

『巌勝は、勝家(父親)似じゃ』

「? それが、何か?」

『今回の件は、解決することはできても、真実には行き着かんじゃろうな、奴は。勝家(かついえ)と一緒じゃ』

「…兄上に解けない謎なんて、ないですよ? 今までも、一度だって」

 縁壱の声色に、山の神はまた笑った。

 継国の山肌に、太陽が沈む。

 縁壱の神楽も、残すところ、円舞のみとなった。

『出雲に参るが、縁壱や』

「…はい」

『いつまでも、継国を護ってたもれ』

「はい、それはもちろん」

 しっかりと山の神に円舞を返すと、彼の者は、嬉しそうに頷いて対の扇子を開いた。ゆったりと翻し、風を起こす。継国の神獣、足が三本の炎の烏が西の空から現れて、彼の者は、その背に腰を落ち着けた。

 出立直前に、山神は、

『――――、空明の――に、――――』

「え!?」

『あとは、主に任せる』

 踊り終えた縁壱の目の前で、西の空へと舞い上がって行った。

『……。行ってらっしゃいませ、継国様』

 夕日に向かい、一礼する。

 静かに楽の音が退いていくのを耳にしながら、ずっと、頭を下げ続けた。

 夜の帳(とばり)が降りて、神楽の音も余韻を残すのみとなって、縁壱は、

「…ふう」

 大きな吐息を漏らした。

 げっそりと肩を落として、舞殿を降りる。

「「「お疲れ様でした!!!」」」

 皆の声が揃って、一息に、歓声が上がった。

 思い思いの感想や、楽器を仕舞う音に混ざって、

「縁壱さん! お疲れ様でした」

 しのぶが駆け寄ってくる。

「しのぶさん! 兄上は?」

 語尾を上げて問いかけた縁壱に、しのぶが「巌勝さんが言った通りね」と微笑む。その理由は分からなかったものの、彼女は真顔になると、

「巌勝さんなら北ルートに向かったわ」

「何ですって」

「悲鳴嶼さん達も合流するって。そこでもう一度、哀しいことが起きそうなの」

『継国様は、解決はするけどって…』

 カナエも傍に寄って来、日輪刀の鞘を渡してくれる。

 縁壱はそれに刃を収めると腰に差し、代わりに、頭部の冠を外すとカナエに渡した。

「分かりました、私はこれからすぐ北ルートに向かいます。二人はもう今日は、泊まって行きなさい」

 途端、姉妹から嬉しい悲鳴が上がる。手に手を取って、飛び上がった。縁壱は慌てて、

「もちろん、親御さんがOKを出したらですよ?」

 言うが、

『二人のことだから、説得するんでしょうね』

 思って、内心で苦笑う。

 だが今夜は、それでもいいと思った。まだまだ、落ち着くまでに時間が掛かりそうだからだ。

「では、行って来ますね! 後を頼みます」

「「はい! 気を付けて!」」

 天高く飛翔した縁壱の姿に、姉妹が、「え?」と絶句した。まるで、人の子ではないような跳躍だった。

「縁壱さんて…何者?」

「神主。継国神社の、神主。よね?」

「でも…時々、二人とも別次元の話してるよね?」

「そう言えば…そうかも。『あの頃』とか、よく口走るよね」

 姉妹が抱いた感想を縁壱は知る由もなく。

 ただひたすらに、兄の元へと急いだ。

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