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​第五話:山神様

・参・

​ ~椿の章~


 社務所(しゃむしょ)に着くと、巌勝(みちかつ)は、スーツの上着を脱いでハンガーに掛けた。

『まだ上か』

 人気(ひとけ)のない屋敷に思う。

 茶でも淹れて一服しようかとキッチンへ向かった時、

「巌勝さん!」

 しのぶの声が聞こえた。

「お疲れ様でした、今日は一日大変ね」

「だな。まあ、仕方ない。お前、昼は?」

「あ、まだこれから。縁壱(よりいち)さん達は上で頂いてるわ」

 卓上の仕出しに二人は目をやると、話題も自然とそちらに向く。

 巌勝はしのぶにそれを薦めると、二人分の湯を沸かし始めた。

 ケトルが湯気を立てていく様を見ながら、

「晴れて良かった。準備、手伝えずすまなかったな。テント立てたり楽器運んだり、大変だったろう」

 しのぶが急須や湯飲みを準備してくれる。

「弁当は?」との問いにはやんわりと断りを入れて、巌勝は、熱湯を一度湯飲みに注いで捨てた。

「大丈夫よ。巌勝さんでしょ? 氏子(うじこ)さん達手配してくれたの」

「あ、ちゃんと来てくれたか?」

「うん。日が昇る前から続々と。お蔭で何度も往復せずにすんだわ。ありがとう」

「それなら良かった」

 昼食の準備が済むと、二人は座卓に向かって腰を掛けた。

 しのぶが手を合わせて「頂きます」と呟く。

 何気なくそれを見ながら茶を啜り、

「縁壱は? 滞りなく済んでるか、奉納」

「あ。それなんだけど…」

 しのぶの箸が止まった。

 面を上げると、

「伝言があるの。『継国山北ルート事件』」

「!」

「山の神様がお怒りなんですって。あらぬ映像(モノ)を見せられた、この事件を伝えれば分かると思います、って」

「そうか…」

「ねえ。何? 北ルート事件て」

 首を傾げたしのぶに、巌勝は神妙な顔になった。

「俺も詳細を知っている訳じゃない。生まれる前の事件でな」

「へえ…」

「結論から言うと、先代。ま、俺たちの父親だが。継国勝家(かついえ)が、唯一解決できなかった事件だ」

「そんな事、あったんだ」

「ん。何年前だったかな」

 巌勝は遠く視線を飛ばした。

「父から話を聞いた当時より、もう…十年近く経っているから。恐らく四十年以上も前の事件…いや、当時は事故で片付いたんだ、確か。事件と言い張ったのは、父で。本当に、ただの事故だったのかも知れんが。今となっては」

 話に聞き入り始めたしのぶの手が、完全に止まった。

 箸置きに箸が自然と乗って、巌勝が小さく笑う。

「この山の北ルートでな、『石原龍仁(りゅうじ)』という青年が、滑落で亡くなったんだ」

「! 石原…」

 しのぶは息を飲んだ。

 巌勝はもちろんそれには気付いたが、彼女が言葉を控えたのを考慮する。

「継国山の北ルート、元は修験道(しゅげんどう)だったって事は知ってるか?」

「ええ。その昔、継国のお社(やしろ)様は山岳信仰の聖地だったって。修験場があったんでしょう? ここ。山伏(やまぶし)さんが沢山いたって」

「ああ。継国は元々古神道(こしんとう)から神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)を経た独特な形態でな。時代と共に修験道は仏教との関わりが強くなってはいったんだが…って、歴史はいいか」

 巌勝は自重して笑うと、一旦、喉を潤した。

「その事故よりずっと前に、北ルートは既に一般も登れるようにはなっていたんだが…、県警に届け出を出さなければ登れなくなったのは、その、石原龍仁が亡くなった直後なんだ」

「知らなかった、そんな経緯(いきさつ)があったなんて」

「龍仁は石原権藏(ごんぞう)氏の婿養子で、権藏氏が怒り狂ってな。二度と同じ事故は起こさせん、と」

「石原権藏? って、新胡桃市の?」

「そうそう。今日はその権藏氏の、三十三回忌だったんだ。午前中」

「…なんか、怖い。また、色々絡み合ってしまうのね」

 しのぶが口元に手を当てて俯いたのを、巌勝はしばらく見つめ、

「…お前。進路どうするんだ。そろそろ高校受験の準備だろう」

「え?」

 突然、思いもよらなかった問いを投げかけられた様子で、彼女が目を皿のようにして面を上げた。

「エスカレーターでそのまま上がるなら、まあ、別にそれはそれなんだがな。お前は頭がいいから察しているとは思うが、神社の巫女は、どこも現場は遅くとも二十代で引退だぞ。だから巫女は、アルバイトで学生を雇うんだ」

「現役さん。…その後は、どうなるの? 巌勝さんの想い人だって、巫女なんでしょう?」

「…来年(十八になったら)迎えに行く。つもりなんだがな、どうなるかは分からん。彼女はそのまま鞍馬(くらま)に骨を埋めるかもしれんしな」

「…」

「巫女は現場を引退したら、後は支援に回るんだ。次の巫女に舞や笛を教えたり、事務に移ったり。彼女のように神気(しんき)の高い者は各地で舞を踊り続けていくかも知れんし、下手すると、そのまま生き神として鎮座させられることもあり得る」

「なんか…辛いね」

「どうだろう。結局決めるのは彼女だからな。俺は何も変わらん」

「巌勝さん…」

「だから、だ。お前も、他の道があるならその方が人生が豊かになるかも知れんぞ。縁壱も俺もここから離れることはできんが、お前は違う。その上で、ここに勤める事を決めるというなら、そろそろ『唄』は完成させて次の段階に移れ。お前なら、きっと立派な舞姫になれる」

「…」

「そうして、縁(えにし)は巡り巡ることに慣れろ。一見何の関係のないことでも、人生振り返った時に、過去と未来が繋がることもある」

「本当に? 繋がる?」

「ああ。必ず繋がる。自分が選んできた道ならな」

「そっか…」

「ほら、昼食」

「あ」

 微笑んだ巌勝にしのぶは小さく笑うと、また、箸を進めた。

「さて。縁壱は…何を見たんだろうな? 俺はわざわざ、山を降りて古書堂に行く気はないぞ」

「面倒くさいから?」

「あはは。お前は縁壱か。言いそうだ、あいつなら」

「ふふ!」

「そうだ、さっき。お前、石原の名前に反応してたろう」

「あ、うん…」

 しのぶの顔色が曇った。

「ここへ戻る途中で、『死相(しそう)』の出てる人を見たの。それがね、友達に『石原勇仁(ゆうじ)』って呼ばれてて」

「!」

 今度は巌勝が息を飲んだ。

 その様子にしのぶが微かに笑みを浮かべながら、

「巌勝さん?」

 と問いかける。

「参ったな…」

 巌勝は何とも言えない顔になった。

「その青年。お前の姉くらいだったろう。歳」

「あ、うん」

「石原権藏氏の曾孫だ。龍仁の孫だな」

「あら…」

「なるほど。その死を食い止めろって事か」

 巌勝は何度か、頭を掻いた。

「どうやら今回は、『躑躅(き)の宮(みや)』の案件かも知れんな…」

 ふう。と、大きな溜息が一つ漏れた。


「生宮(きのみや)の案件? って、どういうこと?」

 しのぶが「ご馳走様でした」と手を合わせ、元のように包みで包みながら言った。

「簡単に言うと、死者から生者を守ることだ」

「同じ死相が出るのでも、違うのね?」

「そうだな…、例えば、死宮(しのみや)の場合は、死者や閻魔(えんま)が『依頼主』で俺の方に来る。だが、生宮の場合は、生者や神が『依頼主』で、縁壱の方に来る。ほら、よくテレビでもやってるだろ。お祓いの類い」

「ああ! うん。なんだあ…今までよく分からないまま巻き込まれてたわ」

 しのぶの言い方に、巌勝が笑った。彼女は続けて、

「どこにでも死宮とか生宮ってあるの?」

「いや、継国が特別な言い方をしているだけだ。神院(しんいん)へのルートが二つあったから、自然とそう言う流れになったんだろうな」

「へえ…」

「だから、他の地域では単に、『死渡(しと)』がいるだけだろう。死渡ってのは、退魔や浄化の力が使える、『狩人(もりびと)』『防人(さきもり)』『案内人(あないにん)』の三人のことだ。まあ…恐らくだが」

「恐らく?」

 しのぶが繰り返す。

 巌勝は苦い笑みを零しながら、付け足す。

「京(みやこ)のように、舞姫(彼女)が全てを担うところもある」

「え。噂の彼女。凄いのね?」

「噂のって」

 巌勝が失笑すると、しのぶはさも楽しそうに声を立てて笑った。

「空明は、…その噂の彼女だが、舞一つで、『退魔』『浄化』『昇華』『降臨』『具現』の全てを行使できるだけの力があるんだ」

「死渡の役割を一人でってこと?」

「まあ、それ以上だな。人は悪鬼に取り憑かれれば、まず退魔で鬼を退(しりぞ)ける。それからその身を浄化で清め、死人なら、閻魔の元に送り届けられる。幽世(かくりよ)では閻魔の判断で地獄か天国に送られるが、それが昇華だ。そして、閻魔、或いは神自身。彼らが現世(うつしよ)に降りてこられることを、降臨という。その全てを完璧に使いこなして初めて、神や閻魔の力そのものを現世(げんせ)で使うのを彼らに認められることを、『具現』と言うんだ」

「ちょっと待って? その話だと、昇華以上はもう、人間業ではないよね?」

「そう。だから、凄いんだ」

「なるほど…」

「縁壱も、基本は浄化だ。だが、伝言されたろう? 縁壱に確認を取ったことはないが、縁壱(あれ)は多分、神の尊顔を直接拝してる。降臨、だな」

「うわあ…そっか。縁壱さんも、凄いんだ…」

「多分、退魔もできる」

「そう言えば、キャンプの時」

「そう。それだ。恐らく見えるようになれば、昇華も可能になるかも知れんが…覚醒は、まだまだ先かも知れないな」

「なんだかこんな風に巌勝さんから手解き受けるの、初めてかも」

「アルバイトに、普段そこまで求めはせんからな」

 巌勝は立ち上がった。

 そろそろ行くか、と声を掛け湯飲みを手にする。自然と片付けに足が向いた。

 しのぶも手伝って、巌勝が洗い物をしている間に座卓を拭いた。

 一通り片付くと、

「石原勇仁。どこで見かけたんだ?」

「あ、はい。限定公開されてる、躑躅(つつじ)の参詣道で」

「よし。まずはそこへ行ってみよう」

「はい!」

 二人は社務所を出ると、足早に躑躅の参道へ向かった。

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