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​第四話:鬼灯

・漆・
 ~継国さん。~

 久々に晴れたある日、巌勝は、珍しく山を登った。

 いつもなら弟に麓まで迎えに来させるか、ロープウェイで六合目まで来た後は、事務員を呼びつける有様だ。

 だが、爽やかな時節になった。

『たまにはいいな、こうして山をゆっくり眺めるのも』

 時折足を止めて、秋風を感じる。

 麓から登りさえしなければ、神社のある八合目など、巌勝には、あっという間だった。

 奥の院の最後の石段を上り、鳥居、山門を潜る。

『今日も凄い人出だな…』

 何を宣伝しているわけでもないはずだが、社はいつも、多くの人で賑わっていた。どうにも、魔除け・厄除けには強い社と評判だった。

「兄上!」

 竹箒を携えた縁壱が、駆け寄ってくる。

『こいつは暇さえあれば掃除してるな。案外、人の気の流れを見ているのかも知れんな…』

「丁度良いところに」

 嫌な予感がした。

『最近、縁壱が笑顔の使い方を覚えてきたような気がする…』

 憮然として、

「なんだ。面倒事はごめんだぞ」

「大したことではありません」

「…面倒事じゃないか」

「いえいえ、ちょっと、ピスタを出して頂けたら有難いなと。ほら、車運転できなかったでしょう? 気分転換に」

「……」

 巌勝の目が細くなった。疑いの眼差しだ。

「縁壱さ~ん!」

 双子が声の方に身体を向ける。

 姉妹が息せき切って、登ってきていた。

「あら。二人ともお疲れ様ですよ。学校は?」

「今日は午後からリモート。もう週末だし、サボっちゃった~」

「お前ら…後で苦労しても知らんぞ」

「その時は巌勝さんが勉強教えてくれるでしょ? あったまいいんだから!」

「努力しないヤツの面倒は見ん」

「ほんっと、冷たいわねえ。相変わらず!」

「まあまあ」

 と、縁壱が箒を抱えて両手を前に出す。

「しのぶさんも? のんびりして行かれますか?」

「うん。今日泊まってもいい? もう午後だし」

「ええ、構いませんよ。それより」

「おい、縁壱」

「いいじゃないですか、大変なことがあったばかりです、息抜きもたまには必要ですよ」

「さっすが縁壱さん!」

 カナエが手を合わせた。

 縁壱は「ふふ」と笑い、

「ね? 兄上」

「仕方ないな…その代わり、麓まではお前がトラック出せよ」

「了解しました。箒、仕舞ってきますね!」

 嬉しそうに声を弾ませた縁壱が、その身も等しく翻す様を見て、しのぶが首を傾げた。

「何かあったの? 縁壱さん。すっごい楽しそう」

「いや、分からん…ドライブに行きたいそうだ」

「わ! 嬉しい。もしかして、ピスタ?」

「ああ、ご所望だったな…」

 ジーンズの後ろポケットに手を突っ込み、縁壱の背中を見つめる。面倒くさそうに言った巌勝の顔が、綻んだ。

しのぶがカナエと顔を見合わせ、くすりと笑う。

 程なくして、トラックのキーと何やら小さい巾着を手に縁壱が戻ると、巌勝は、その荷物に首を傾げた。

『あれは…確か。継国の宝物(ほうもつ)じゃなかったか?』

 水引(みずひき)を編み込んだ、継国の家紋が入った巾着だ。布は、歴代の神主が禊(みそ)ぎの滝に浸しては乾かしを百日繰り返して整えた、魔力の高い物だ。滅多に外へ持ち出すことなどない。

 何が入っているものやら、ぷっくりと膨れて、姉妹の興味をそそっていた。

 綺麗だの、

 可愛いだの、

 中に何が入っているの? だの。

 トラックに乗り込み麓へ降りる間も、のらりくらりと交わす縁壱との会話は途切れず、すぐに、古書堂に着く。

「ちょっと待ってろ、ガレージを開ける」

 ピスタと入れ替わりにトラックを収めておくべく、巌勝は自宅へ足早に戻ると車を出した。

 縁壱がバックで丁寧に、トラックを入れる。

「「やった~! 巌勝さんのフェラーリ!」」

 姉妹が手に手を取って飛び跳ねる。

「ったく…仕方ないな」

 巌勝は最後に乗り込んで、助手席の縁壱を見た。

「どこか、行きたいところでもあるのか? ないなら」

 言いかけるが、縁壱が首を縦に振った。

「ナビに入れても?」

「ああ、構わん。遠いなら飛ばすぞ、捕まっても知らんからな」

「いいですね! 急いで下さると有難かったりします」

「…?」

 縁壱にしては珍しい。

 と思った巌勝の顔が、反射的に青ざめた。

「お、ま…!」

 シートから身を乗り出し、縁壱の方に身体を向ける。

「なんで! 嫌だぞ、俺は行かん!」

「もう遅いです。みんな、乗り込んでしまいましたし」

「え? どこ? どうしたの?」

「こいつ!」

 と、巌勝は縁壱を指さして中央から後部座席に顔を出す。

「あの住所入れやがった!」

「あの住所…?」

 カナエが首を傾げた横で、しのぶが、「あ!」という。

 妹の顔が少しずつ強張っていくのに、姉も、画面を見た。


『鬼灯旅館』


「縁壱さああああああん!?」

 カナエの絶叫が轟いた。

「お前! その巾着! 浄化の道具が入ってるのか、行くなら一人で行け!」

「嫌ですよ…だから兄上が山を登ってくるの、待ってたんじゃないですか」

「はあああ!? 阿呆かお前は! 誰が二度と行くかあんなところ」

「でも、行かねばならない用事があるのです。それはそれは、とても大切な…」

 哀しげに、神妙な面持ちになった縁壱に、三人は、あの日の夜を思い描いた。

『清司郎達に、まだ何か…必要な事があるのか。そういや井戸は、祈祷してないな。いやいや、その割には正装じゃないぞ、いつもの袴姿だ』

 巌勝が目まぐるしく頭を回転させる後ろで、

「縁壱さんにしか分からないことが…あるのかな」

 しのぶが言った。

 カナエも仕方なく頷くと、シートに深く腰を落ち着けて、

「まあ、成仏はしてるものね。もう、あの時ほど怖いことはないわよね」

「ええ、それは確かです」

 縁壱は真顔で頷いた。

 巌勝は深々と溜息を吐いて、

「はあ…ったくもう! 仕方ない。じゃ、飛ばすぞ。夜をあそこで越すなんて、それだけはまっぴらごめんだ」

「流石です! 兄上」

 かくして、巌勝の運転するフェラーリは、目を見張るほどの速さで高速を疾走し、あっという間に県を跨いだのだった。

 夕刻どころかまだ日が割とあるうちに、廃屋にまで行き着く。

「これが実際だったんだ…」

 とはカナエの感想だが、それは巌勝達も、等しく思ったことだった。

「縁壱。手早くな」

「あ。一人では怖いです。兄上、一緒に来て下さい」

「お前な…!」

「ちょっと待ってよ! 残される私たちだって怖いわよ!」

 カナエが涙目になって叫ぶ。

 しのぶはと言うと、先程から思案気で、

「ねえ、縁壱さん…」

 と、何やら思うことがあるようだった。

 そんな彼女を見た縁壱は、しのぶの口元に人差し指を当てて、

「きっと当たりです」

 にっこりと微笑む。

「ですから、口にしてはなりません」

 ぞ…と一層青ざめて悪い方に考えたカナエに対し、巌勝は、しのぶのまともな顔色の方から判断した。

「縁壱お前。何か企んでるな…?」

「滅相(めっそう)もない。兄上、悪い癖ですよ」

「そんな俺に誰がした!」

「私? ですかね?」

 双子のやり取りに、しのぶが笑う。

 カナエが少し落ち着いて、

「ね、魔の刻(こく)が来ちゃう。用事があるなら早く済ませよう?」

「それもそうですね、では、行きますね」

 言うと、縁壱は足早に廃屋に向かった。

 彼の足取りに三人は合わせざるを得ず、周りを見る間も与えられなかった。あっという間にエントランスを潜り、軋む床にゾッとしながら、穴の開いた階段を登り、三階まで行き着く。

 巌勝がはっとした脇で、縁壱が、

「もうすぐです」

 果たして、着いた場所は、自分たちが泊まった…もとい、泊まるはずの部屋だった。

 てっきり井戸へ連れて行かれるのかとばかり思っていたのであろう、カナエは、

「ここ…? なんで?」

 と首を傾げる。

「まさか…」

 と呟いたのは巌勝だ。

 察した様子の兄に、縁壱はさっさと中へ踏み込んで、荒れ果てた室内を奥へと進む。

 崩れた家具をどけて、縁壱が手にしたのは、

「ありました…! 日輪刀」

「!!!」

「やっぱり…!」

 心底驚いたカナエの脇で、巌勝ががっくりと肩を落とす。

「なんで、んな、大切な物を…!!」

 しのぶに至っては、くすくすと笑っていた。

「あら…錆びてますねえ」

「錆びてますねえ、じゃないわよ! 何よ! ばっかじゃないの!?」

 自分と似たようなことを言うカナエに対し、巌勝が何とも言えず笑った。

「どういうこと? ねえ! ちょっと! 答えによっちゃ赦さないわよ!」

「カナエさん…怖いです」

「ここでその単語使うとか正気!? 今以上に怖い目に散々遭ったじゃないの! 私が怖いとか何が基準よ、ええ!?」

 すっかり怒鳴る手間が省けた巌勝は、笑いながら、部屋を見渡した。当然、姉妹の荷物も古びて放置されている。

 しのぶがその荷に寄って、

「これ、お気に入りだったんだけどな」

 と、手にしたのは小物入れだった。

「縁壱の日輪刀ならいざ知らず、ここに長年放置された物は、もう、持って帰らない方がいいぞ」

「…そうよね」

 二人の会話に、カナエ達も、漸く口を噤みこちらを見る。

 巌勝はしのぶの傍に寄って身を屈めると、

「姉とお揃いだったのか」

 もう一つの荷物から、色違いだったと思われる小物入れを手に取った。

「うん。姉さんが買ってくれたの。嬉しくて、どこに行くにも持ち歩いてた」

「そうか…」

「しのぶ! また買ってあげるわよ。今度はもっと素敵なの。ね?」

「姉さんに貰った物なら、なんでも素敵よ。ありがと…!」

「さて。じゃ、戻りましょうか。夕刻が近付いてきましたよ」

「ちょっと縁壱さん、私はまだ怒ってるんですからね!」

「あ~~~兄上…」

 救いを求めてこちらを見向いた縁壱に、巌勝は、肩を揺らした。

「じゃ。最後に一つ。ちょっと聞いていいか?」

 意味深な笑みを浮かべて言った巌勝に、一瞬思考が止まった様子で三人が見向いた。

 巌勝が言う。

「旅のしおり。お前…覚えてるか? 作ったの」

「「!」」

 縁壱としのぶがハッとした。

 二人が顔を見合わせる横で、カナエは首を傾げる。思わず、しのぶが問いかけた。

「お昼のカフェ。選んだのは覚えてるわよね? 姉さん?」

「え? あ、うん」

「その後。しおり作ったの、覚えてる? 旅館の内装とか、ルートとか。姉さんが選んで書いたのよ?」

「ん〜〜〜???」

 全く憶えのないと言った様に、しのぶが縁壱を見上げた。

 縁壱は巌勝を見、それに釣られてしのぶも彼を見る。

 巌勝は、くっく…と笑いを堪えると、

「ま、そういう事だ」

「え? 何!? どういう事? 分からないの、私だけ? ねぇ、巌勝さん!?」

 背中を掴んだカナエに巌勝は楽しそうな笑みを零すと、颯爽と歩き出した。

「ちょっと! 待って? ねぇってば!!」

 慌ててカナエが追いかけていく。

「行きますか」

「ふふ! そうね!」

 縁壱としのぶも、足早に後を追った。

 傍の鬼灯洋燈(ランプ)が「ジ…」と、小さな音を立てる。

 が、四人は気付かず、その部屋を後にした。

 継国神社は、恐らく? 今日も平和だ。


継国さん。第四話:鬼灯・完

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