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第四話:鬼灯

・伍・
 ~躑躅の章~

 部屋へ戻ると、三人は荷物をスーツケース側に置いた。

 縁壱が気付く。

「盛り塩がしてありますね」

 部屋のあちこちに白い山を見つけて、呟いた。

 怖くなったのだろう、姉妹がすり寄って来、同じように部屋を見渡した。

 カナエが言う。

「巌勝さんよね?」

 縁壱は頷いて、

「見て下さい」

 窓際に寄った。

 カーテン下の盛り塩だけが、どろどろに溶けていた。

「どうやらここから入ろうとしたようですね」

「やだ…」

「兄上のことですから」

 と、縁壱はカウンターキッチンへ向かった。

「やっぱり」

 恐らくフロントに電話でも掛けて、大量に貰っておいたのだろう。洗面器一杯に、塩が置いてあった。

『これだけの量を、なんて言って貰ったのか。兄上…!』

 胸が締め付けられた。

 今、部屋に違和感はない。異形の者は、きっと、兄の機転で入れなかったのだ。温泉に、と外に出たことが、返って危険だったのかも知れない。

 縁壱は、塩を手に掬い、窓辺に寄った。歩きながら、ここ数日何回も唱えている祓詞(はらえことば)を唱えて塩に刻む。溶けた塩の隣に新しい盛り塩をすると、二人に向き直った。

「兄上が貼ってくれた結界が、この部屋では活きています。ここにいる方が、今は安全かも知れ…」

「ダメよ!」

 言い終わらないうちに、カナエが拳を握って叫んだ。

「四人一緒よ。継国に帰るのは。私たちにだって、何かできるはずだわ」

「そうね。姉さんの言うとおり。足手まといにしかならないかも知れないけど…お願い、縁壱さん。何か、させて?」

 二人の眼差しに、縁壱は「ありがとう」と囁く。込み上げてくるものをぐっと堪えて、表情を引き締めた。

「まず、兄上ですが。建物の構造を確認するって言っていました。具体的には、一階を見て回りたいとのことで」

「じゃ、早速行こう? 若旦那に聞いた方が早いかしら」

「なるほど、そうですね。お忙しいかも知れませんが、捕まえられそうなら話を聞いてみましょう」

「待って、話は纏められるうちに纏めちゃおう? 姉さんは、奏愛(かなえ)さんに乗っ取られるのは、トリガーが分からないのよね?」

 しのぶの言葉に、カナエが考え込む。

「そうなの…何がきっかけだったのか…あ、でも、共通しているのは、伝えたいと思う事柄があった場所に着くと、そうなるみたい? かな?」

「一度目と、二度目。それに夢…もそうだと仮定して、『彼女』が伝えたいことは分かりますか?」

 縁壱も問いかけた。

 カナエは低くうなり声を上げながら瞼を伏せて、

「意識のはっきりしてた二度目。これは分かるわ。恐らく、私が数え間違えた『数え地蔵』。あれ、十四体目は清司郎(せいしろう)さんじゃない、奏愛さんの赤ちゃんよ」

「赤ちゃん? どういうこと?」

「若旦那は『清司郎さんに縁(ゆかり)のある』って言ってたわよね。たしかに、赤子が清司郎さんとの子供なら縁があることに違いはないのだけれど、その一言を聞いた時、私の中で私が否定したのよ」

「それが、奏愛さん…?」

「多分そう。夢もそうなの。生きたいと思ったのは、赤ちゃんを救いたかったからだわ。きっと、相手のことを…恐らくは清司郎さんを、愛していたのよ。とても」

「そうなると、どうして清司郎さんが禍(まが)い者になってしまったのかを知る必要がありますね」

 確かに、と姉妹が頷く。

「一度目の時空越えは?」

 縁壱が再度尋ねると、

「それが分からないのよね…、見たのは『鬼灯街道』。ほら、来る時石畳の街道を車で通ったでしょう? あそこ。『鬼灯街道』って呼ばれてたみたいで、両脇の土産物屋さんで鬼灯の鉢を売ってたのよ。見たのは、育ての親であるお義母(かあ)様と、夏の暑い日…その、鬼灯市に行った帰りだった」

「それだけ?」

「うん、あ、でも」

 カナエがはっとする。

「奏愛さんの育ての親は、清司郎さんの実母だわ」

「!」

「どこからか、流れてきたらしいの。理由があるんだろうけど、それは分からなかった…ただ、愛情を注いでくれて」

「待って下さい?」

 縁壱が考え込むように顎に手をやる。

「育ての親? では、奏愛さんの生みの親は?」

「あ…ええとね、幼い頃に亡くなったらしいわ。それは、意識してた」

「なるほど、その後に、流れ者であるその親子が、この旅館に入り込んで、奏愛さんを育てたと言うことですね?」

「そうそう! お父様が大層気に入って、住み込みで働かせたって。プロポーズもしたみたいだけど、ずっとそれを断ってたみたいで」

「ふむ…」

「あ、そっか。全部繋がってたんだ」

 カナエが呟く。

 二人が視線を投げると、

「そのお義母様がね、…あ、違う。ええと…柚木が助けてくれたんだけど、井戸から」

「それは夢の話ですね?」

「うん。その井戸から助けてくれた後、お義母様がずっと傍にいて励ましてくれてたのよ。自分の実の息子が死んだのにもかかわらず…のことを。あ、違う、奏愛さんのことを。冷えた身体をね、暖まるからって白湯(さゆ)やホットミルクを入れてくれて」

「…奏愛さんを大事に思う気持ちは伝わりましたが…」

 と、縁壱が不可解な面持ちになった。

「息子の清司郎さんは? 彼は、遺体を引き上げました?」

「!」

 カナエの顔が青ざめた。

「…見てない」

 蚊の泣くような声で言い、ぶるっと大きく一度震えた。

「そう言えば。見てないわ、その後の井戸のこと。は自力で柚木(ゆのき)が用意してくれた梯子を登ったし、私はみんなに言わなかった、自分が、清司郎さんを殺したって」

「…」

「だから、私が助けられた後、みんな、井戸を離れて従業員の控え室に戻っちゃったのよ。私を囲んで…」

 縁壱は、しのぶと顔を見合わせる。

 しのぶも身を震わせて、

「清司郎さんの遺体、まだ、井戸の中じゃ…」

「大いにあり得ますね、それなら彼が何故禍い者になったのか、合点もいきます」

「じゃ、井戸を確かめて骨を引き上げれば…清司郎さんは、救われる…?」

「分かりません。清司郎さんがカナエさんを狙う理由は分かったような気はしますが、奏愛さんがカナエさんを乗っ取る理由がそれだとしたなら、何故、兄上が姿を消したのかが分からなくなります」

「あ…」

「なんか、ややこしい」

 カナエが苦笑う。と、残る二人も小さく笑みを零した。話が見えてきて、余裕が出てきた証拠だった。

「それに」

 と、縁壱が続ける。

「育手の親御さんも、何故井戸を放置したのか疑問です。息子ですよね? 自分が腹を痛めて産んだ。真っ先に奏愛さんが怪しいと思うだろうに、何故、奏愛さんを見守って清司郎さんを放置したのか」

「従業員のみんなもそうよね? 清司郎さんが居なくなったのは分かるのに、…そっか、おかしいわよね? 若旦那の話によると、その後、育手の親御さんも奏愛さんも、旅館を盛り立てたのよね?」

「ええ。清司郎さんが不憫でしょう…悪鬼にもなりますよ」

「放置される、何か…それだけのことをしたとか…?」

 しのぶが申し訳なさそうに言う。

 それが清司郎に対してだったのかは分かりかねたが、縁壱も、「そうですよね…」と、思わず同意してしまった。

「ひとまず、奏愛さんと清司郎さんはある程度掴めた気がします。話を兄上と柚木さんに戻しましょう」

 即座に、しのぶが反応した。

「柚木さんの言ってた真実って、清司郎さんを井戸から引き上げて欲しいって事じゃ」

「私も話途中でそうは思いましたが、多分、違うと思います」

「え? なんで?」

「兄上が確かめたんです。依頼時。真実を明らかにする、それは、世の中ではなくある方に、って」

「あ…」

「『遺体を引き上げる』ってことなら、既に知っている奏愛さんには意味がないって事よね?」

「その通りです」

「清司郎さんも当人だから、該当しない…」

「ええ。だから、二人じゃなくて全く別の人になのか、或いは、真実そのものがそれではないのか」

「後者の方が確率が高いって事ね。だって、後私たちが知るのは、お義母様くらいだもの。でも、お義母様だって予測は付いてるはず…」

「そう言うことです。そして、そのヒントを兄上は何かに得た」

 三人はしばし考え込んだ。

「巌勝さんは、建物の構造を調べる、って言い残したのよね?」

 しのぶが顔を上げた。縁壱を見る。

「ええ。やはり話はそこに戻りますかね」

「建物の構造…。ね、従業員の控え室の事じゃない?」

「! そっか…今の、じゃなくて、清司郎さん達の時代の」

 縁壱も、ぽん。と手に手を当てる。

「助かった奏愛さんが、向かった先…」

「うん」

 しのぶが頷く。

「巌勝さんは詳細を知らなかったかも知れない…けど、時代は聞いていたのよね? 柚木さんから。巌勝さんが知り得ているのは柚木さんしか居ないから、まずは従業員の控え室を探したんじゃない? 柚木さんの事を調べるために。きっと先に行き着いたのよ。その時代の、その空間に」

「だから、電話が繋がらなかった…?」

「きっとそう。大丈夫よ、巌勝さんの事だもの。きっと無事だわ」

「ああ。兄上…!」

 縁壱が、へなへなと腰を落とした。

 姉妹は顔を見合わせて後、縁壱の傍にしゃがみ込む。片割れがいなくなることの辛さは、二人にもよく分かるつもりだった。

「縁壱さん」

 カナエが微笑んで呼ぶ。

「ええ、行きましょうか。一階でしたね」

「スタッフルームの入り口を探すのね」

 三人は立ち上がりつつ、

「やっぱり若旦那に聞いた方が早そうね、昔の入り口探すんでしょう?」

「そうですね。まずはフロントへ行ってみましょうか」

「「うん!」」

 足早に、部屋を出た。



 時刻はそろそろ、二十三時(子の刻)を回ろうとしていた。

 皆、それぞれの部屋へ戻ったのだろう。深い夜を迎えて、辺りは静まり返っていた。旅館の電気もほぼ消えて、非常灯のグリーンライトが時折不気味な光を滲ませる。所々に置かれた鬼灯洋燈(ランプ)の温かみのある色が、救いだった。

 フロントへ行き着く。

 女性スタッフが一人待機していたが、話を聞くと、どうやら若旦那ら経営している一族は、既に帰宅したようだ。

「つかぬ事を伺いますが」

 それでも縁壱は諦めることなく、

「はい」

「こちらの旅館は面白い造りをしていますよね? 左右対称で。スタッフルームはどちらにあるんですか?」

 フロントの後ろにも入り口がないようなので。と付け加えると、彼女は満面に笑みを浮かべて答えてくれた。

「ああ、実は、二階の端に出入り口があるんですよ。面白いでしょう?」

 どうにも暇なのか、色々と教えてくれた。

「秋桜(こすもす)館からしか出入りはできないようになっているんですけどね、上下に階段があって、部屋は一階にあるんです」

「へえ! 面白いですね、それはずっと昔から?」

「いいええ」

と、彼女は大仰に首を振った。

「ここ、元は旅籠(はたご)だったことは知ってます?」

「うん」

 カナエの出番だった。

「明治に建て直す前でしょう? 江戸から続く老舗だって聞いて、とっても楽しみにしてたの!」

「そうでしたか! ありがとうございます」

 女性は嬉しそうに手を合わせてから、

「ちょっとわかりにくいんですが、元々はエントランスの正面…ほら」

 と、階段に見向き指を指す。

 釣られて三人がそちらを向いた時、

「「!」」

 カナエとしのぶは息を飲んだ。

 縁壱が気配に気付くが、スタッフの話は続いている。三人とも口を閉ざして、殊に縁壱は二人を守るように、階段と二人の間にその身を割って入れた。

「あの階段の下に、今では使われていない旧舎への入り口がありまして。月に一度、掃除しに入る程度なんですけどもね。元々はそこが鬼灯旅館の本体…旅籠で、その後ここが増築されて、しばらくは、元旅籠がスタッフルームだったんですよ」

「ちゃんとあったのに、わざわざ二階に新しい入り口と部屋を階下に拵えたんですか?」

 縁壱が不思議そうに尋ねると、女性は「ここだけの話」と、他にはだあれも居ないのにもかかわらず、声を潜めて身を寄せてきた。

「どうやら出るらしいんですよ、これが」

 と、胸の辺りで両手をだらんと垂らす。

 今日一日、それなりに怖い思いをしてきた三人は、苦笑った。最早、それくらいでは驚かない。

「過去には死人も出たとかで、封鎖しました。あ、いえ、月に一度は業者がね。掃除にね。来ますけど。本当に清掃かどうか怪しいですよ~」

「大変申し上げにくいことではありますが、…見せて頂けます?」

 縁壱の言葉に、女性は、これでもかというくらいに目を丸くして、その後声高に笑った。

「物好き~~~!」

 とても愉快な女性らしい。

 三人も釣られて思わず笑ってしまった。まあ、このくらいでないと、深夜のフロント担当など、勤まらないのかも知れないと一方では思う。が、

「ダメです」

 笑い納めた彼女は真顔になって、そこは、きっぱりと告げた。

 縁壱も、

「ですよね」

 と、「ふふ」と笑う。

「ありがとうございました、貴重なお話。やっぱり老舗の旅館は一癖ありますねぇ」

「ふふ! こちらこそ。深夜にお喋りとか楽しすぎます。内緒ですよ!」

「はい」

「お休みなさいませ、ごゆるりとどうぞ」

「ありがとうございます」

 フロントを立ち去ろうと背中を向けた三人に、女性は笑顔で就寝の挨拶を告げた。

 足早に去って、階段を少し登ったところで身を屈める。

「どうする?」

 ひそひそと、言ったのはしのぶだ。

「ねえ、それより…何かおかしくない?」

 カナエが眉根を寄せて呟いた。

「旅館を貶(おとし)めるようなこと、スタッフが口にする?」

「ホントだ。旅館に風評被害なんて、致命的よね?」

 しのぶもはっとして言うと、

「もしかして」

 縁壱が察した。

「二人とも、先程は何に驚いたんです? それと関係があるのでは…」

「燕尾服のお爺さんがいたの」

「柚木さんよ。あれは、奏愛さんの執事。佇んでた」

「と、言うことは」

「ええ。間違いないわ。あそこが入り口よ」

「とは言え…彼女がいるフロントの横を通らなければ、階段の下には潜り込めません」

「それ」

 しのぶが縁壱を指さした。

「私、部屋に戻ってフロントに電話掛けよっか。用事があるからって呼び出すの」

「いい案ですが悪い案です」

 縁壱が面倒くさい言い方をする。

 カナエが答えた。

「三人バラバラになるのは好ましくない、でしょう? 縁壱さん」

「そうです」

「あ、見て!」

 しのぶがフロントを指さす間に、三人は階段から飛び出した。

 書類だか伝票だかを整理していた彼女が、フロント脇の――恐らくこちらからは見えないのだろう――机下に屈んだ。

 その隙に、三人は階段の下へ潜り込む。

 薄暗闇だ。姿はすぐに闇に溶け込んで、フロントから彼女がまた顔を出した時には、もう、彼らの姿はなかった。

 フロントの、鬼灯洋燈が一度揺らめく。

 階段下を照らしたように感じられたが、そこには、扉などなかった。彼女も、それきり、消えた。

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