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第四話:鬼灯

・弐・
 ~椿の章~

「兄上。私は…傍にいても?」

 縁壱の表情を見て、巌勝は穏やかな顔になると確かに一つ頷いた。

 弟をそれ以上不安にさせないための表情だったのだが、果たして、彼はちゃんと理解したようだ。

 ほ。と一つ息が漏れて、膝に手を乗せ大人しく見守り始めた。

 巌勝はまた相手の方に見向くと、

『あの格好は…執事か? 燕尾服を着ているな』

「どうぞ、こちらへ」

 手を差し出して、丸椅子(ハイスツール)の一つを勧めた。

『ありがとうございます』

 しっかりとした受け答えだ。

 丸眼鏡と厚いレンズが時代を思わせた。服装は現代にも通じる燕尾服(もの)だが、腰に懐中時計がかかっているところを見ても、一昔前なのは間違いがない。

 顔や手に刻まれた深い皺が、老練の佇まいを際立たせる。靴音を控えめに響かせながら店内を歩んでくると、老人は、丸椅子にす…と座した。

『所作に無駄がない。美しいな…』

 巌勝がカウンターを回ると、彼は、

『ペリエを』

「! 畏まりました」

 仄かな笑みを浮かべて、胸に手を当て一礼をする。

 奥の冷蔵庫に行って、南仏のナチュラルウォーターを手にすると、フルートグラスを一脚用意してもてなした。

『依頼するに値するか、見極めているのかも知れんな…上等だ』

 注がれていく炭酸水(ペリエ)に、老人が微かに目を丸くした。

『これは…珍しい。いや、この時代では、当たり前なのですかな。炭酸水は』

「失礼ですが…」

『申し遅れました。いえ、名は告げられないのでしたね。もう随分前の時代…明治から来ましたよ』

「明治…!」

 複雑な思いがした。

『俺がまだ、鬼であった頃…』

 時代的にはもう、数百年も前のことだ。地獄で過ごした時間に換算すれば、二千年以上も前の時間(とき)になる。

 文明開化は、目の当たりにしてきた。古きモノと新しきモノが入れ替わる節目の時代。世の中は急速に近代化が進み、洋物が時代を席巻していった。

 昼間の雑踏を見ることは叶わなかったが、瓦斯・電気が普及されて行くにつれ、夜でも辺りは昼と見紛う程の明るさで照らされていった。愛した月夜も宵闇も、失われていくようだった。

 まるで、己の存在をも、否定するかのように――――。

「兄上?」

 会話の止まった様子に、縁壱が疑問を感じたのだろう。

 呼びかけにはっとすると、老練の紳士を見つめた。

『もしや…明治はお懐かしゅうございますかな?』

 年の功か、と、巌勝は苦い笑みを零して首を縦に振った。

「あまりいい思い出はありませんが…自身を形成した、一時代です。否定はできません。生き抜くことも、覚悟していました」

『なるほど。複雑なのですな』

「はい」

 紳士は卓上に肘を突いて、指を組んだ。見上げてくる眼差しはとても穏やかで柔らかく、何処か、納得したように頷く。

『お願いがあるのです』

「…はい」

 淑やかな口調だが、有無を言わせない凄味があった。

 尤も、何世代も渡ってきた紳士の頼みだ。それなりの理由があるはずと思えば、断る理由もない。

『真実を、明らかにして頂きたいのです』

「…それは、世の中に? それとも」

『ある人に』

「言えませんね?」

『そうなのですよ』

 二人は、顔を見合わせ小さく笑う。

『ただ、もう導いております。旅行、行かれますね?』

「! まさか…」

『ええ。なかなかに粋な演出だったでしょう』

 巌勝は腰に両手を当てて、「なんとも」と笑みを零した。

『どうか、宜しくお願いいたします。何百年も経って…漸く。覚悟ができました。あの頃も、こういう思いでいられたら良かったのに』

「自身を受け止め他者を認める…簡単なようで難しいものです。何が大切か、見失うほどに。針の穴の先のみを見つめて生きているようなものなのに、それを外して周りを見ることができない」

『貴方はまた。苦労されましたねぇ』

「遠回りしました。本当に、とても。とても…」

『ですがお顔はとても素直だ。今は、その心に宿っておられるのですね。慈しみも、愛情も』

「この身に余るほどの愛情をある女性から頂きました。それが今の原点です。ただ…この歳になってやっと、『適当』の意味が分かりかけてきました」

『人は見た目では判断できませんな』

「本当に」

 二人はまた、笑みを零した。

『貴方の様な方が『椿(し)の宮(みや)』の『狩人(もりびと)』で良かった。どうか…宜しくお願いいたします』

 立ち上がり、深々と腰を折った紳士に、巌勝も、深く頭を下げた。

「できる限りのことを、致します」

『…ありがとう』

 柔和な笑みを残して、紳士は消える。

 気配すらなくなったところで、巌勝は、遠く眼差しを投げた。

「真実…か」

 それは、諸刃の剣だ。

 何もかもを明らかにし、告げることが、必ずしも良いことばかりとは限らない。

『だが、あの紳士はそれを望んだ。きっと…何か深い理由があるのだろう』

 何百年も、悩み続けるほどに。

「…兄上」

 縁壱の声に、現実に戻る。

 弟へ向けた眼差しは、いつにも増して優しいものになった。

「言葉にすると、より確かなものを感じることがあるな」

「兄上の今の顔。もう…ずっと昔。遠い昔。見たことがあります」

「…」

「笛を作って渡して下さいました。あの時…嬉しくて固まったのですよ、私」

 巌勝は、納得。と言うように笑った。

「そうだろうと思った。あの時は、分からなかったけどな」

「私も。自分の気持ちをどう表現したらいいのか、分かりませんでした。嬉しいなら嬉しいと、ただ一言。告げれば良かったのに」

「縁壱…」

「『依頼主』は、過去からの訪問者だったのですね?」

「ああ。俺がまだ、鬼だった頃生きてらした方だ。これほどまで永い間…、何を思っていたのだろうな…」

「人ごとではない。そんな感じでしょうか…兄上?」

「そう言うことだ」

 巌勝は小さく吐息を漏らすと、カウンターは上部の、ワイングラスハンガーからフルートグラスをもう一脚降ろした。

「炭酸が抜けるからな、飲んでしまおう」

「いいですね。わざわざ取り寄せてるんでしょう? 兄上」

「まあな」

「いっそのこと、ソムリエの資格でも取ればいいのに。古書堂よりそちらの方が売り上げが良さそうですよ、兄上がお店を開くなら」

「お前は時々…」

「阿呆になる?」

 顔を見合わせ、二人は肩を揺らした。

 縁を合わせたグラスの中身も、軽やかに揺れた。



 その週の末。

 駅前で合流した胡蝶姉妹は、両親を伴って現れた。

 柔和な面立ちの二人は深々と頭を下げると、

「継国さん、いつもお世話になります。この度もなんだか…」

「お母さん。世話してるのは私たちの方!」

「そうそう! 縁壱さん、ぽわっとしてるんだもの~」

 二人の言い様に、巌勝が口元に手を当て顔を背け、「ぷ」と吹き出す。慌てた母親が、

「何言ってるの! もうホント…口さがない娘達で。すみません」

「いえいえ。当たらずとも遠からずなので。お恥ずかしい限りです」

「「ほらね?」」

「こら!」

 縁壱ら三人が顔を見合わせて笑う。

 その様子に安心したのか、両親は、もう一度深々と頭を下げた。

「宜しくお願いします」

「大切な娘さん、お預かりします。こちらこそ、失礼いたします」

「さ。じゃ、行くか」

 巌勝は二人の手首に巻かれた組紐を一瞥し、言った。

「はあい!」と声の揃う姉妹を連れて、ホームに向かう。縁壱が最後にもう一度頭を下げて付いてくるのを感じながら、

『俺がやった組紐。二人に守りのまじないを掛けたのか…! 何があった』

 まさかの場所にあったと、巌勝は微かに目を丸くした。

『『依頼主』が来た時は何も言わなかったしな…その後に何かあったのか、それとも。思うところがあって言えなかったのか…』

 だが、こちらの心配をよそに、姉妹の足取りは軽く、お喋りは絶えない。新幹線で県を一つ跨いだ旅路は、縁壱を加えた三人の談笑で、あっという間に過ぎた。

 大きな駅を街へ降りる。

 そこからはローカル線に乗り換えて、宿の最寄駅まで行く事もできた。ところがその先が、大層距離がある。渓谷沿いの国道を山に向かって行かなければならないし、折角の旅行だ。観光もしないと姉妹には物足りないだろう。何より、縁壱経由で『旅のしおり』なる物を、姉妹から手渡されてもいる。

「車をレンタルするからな」

 しおりを読み込み道程《ルート》を暗記していた巌勝は、駅近くのレンタカーショップへと向かった。はあい、と言う明るい声の中には縁壱のそれもあり、内心苦笑う。

 コンクリートの上を滑る、姉妹のキャリーの音までご機嫌な様子だ。兄弟と姉妹では荷物の量にも倍以上の差があることに、巌勝は面食らった。

「兄上」

 縁壱が駆けよって隣に並ぶ。

「もしかして、予約までしてくれたんですか?」

「まあな。何もかも町内会がしてくれるわけないだろう。確認を取ったんだ。ま、正解だったな」

 ちらりと姉妹の荷物を見ると、苦い笑みがこぼれた。

「流石です…!」

「ったく…」

 仕方がないな、という顔付きになる巌勝に、縁壱が嬉しそうに微笑む。

 無事、行き着いて車を借りる。真っ青なボディが爽快な、SUZAKIのSwiftだ。レンタル車に間違いがないか、巌勝がナンバーを確認する。

『わナンバー、19―55。よし』

「わあ! ぽてっとしてて可愛い!」

「みてみてしのぶ! 目つきは悪いわよ~、結構喧嘩売ってる」

「あはは! ホントだ!」

「「でも色は綺麗ね!」」

 車を何周か回りながらはしゃぐ姉妹を尻目に、縁壱が、ちらりとこちらを見向く。

「兄上、趣味丸出しですね」

「レンタルできる物の中で、コスパ的にも釣り合いが取れて、走りが面白いのはこれをおいてないだろう」

「運転は私がしますよ?」

「え!」

「これ、山道でのハンドリングを想定して選びましたよね? 兄上の感覚で飛ばされたら、二人がびっくりしちゃいます」

「ちょっと待て。選んだのは俺だぞ」

「それはそうですが、旅先ですから。安全第一で。私ならPOYOTAのAQUAを選びますよ」

「あんないい子ちゃんな車、面白くないだろうが」

「だから兄上には任せられないんですっ」

「だ~~~!」

 天を仰いだ巌勝に、縁壱はくすくすと笑った。

「さ、みんな荷物を載せて。出発しましょう!」

「「はあい」」

「突然仕切るな! それならピスタで来れば良かった!」

 三人が、巌勝の様子に声を立てて笑った。


 道中は、姉妹の『旅のしおり』に双子は従った。余程楽しみにしていたのだろうと、等しくそう思ったからだ。

 昼は選び抜かれた話題の店――姉妹のお眼鏡に適った栄えある一位なのだろう――へ行く。

 割と洒落たカフェでこの後のことを話しながら舌鼓を打つ。腹も心持ちも満たされて席を立った時には、カナエがさっと伝票を手にして巌勝は驚いた。

「巌勝さん、色々ありがとう」

「…なんだ、意外と大人だな?」

「お母さんに習ってきたもん」

 言って、少し照れた様子を見せつつ頬を膨らませる。

「後でちゃんとお礼するよ? 旅行、連れて来てくれて、ありがと!」

「それを言うなら縁壱に、だな。ぽわっとしてるが」

「ふふ!」

 胡蝶家の気遣いにここは甘えることにし、巌勝は礼を言った。

 午後は、美術館や有名な城に車を走らせ、散策する。

 城を巡る道中では、「数えると毎回数が違う守り地蔵」が有名で、四人もそれぞれ数えてみたりした。

「幾つだった?」

 しのぶの言葉に、縁壱、巌勝が「十三」と答え、しのぶも同じく「十三」と伝える。カナエだけが「十四」だったが、帰り際また数えると、今度は四人バラバラで、縁壱に至っては、一つ少なくなってしまった。

「面白いね! なんでだろう?」

「行きと帰りでは見え方が変わるのかも知れませんね」

「目の錯覚か。まあ、岩絵とかもそうだったりするからな」

「へえ~、また今度違うところ捜して見よ!」

「飽きないな、お前」

 カナエの言葉に巌勝が何とも言えず呟くと、三人が笑った。

 すっかり辺りは橙色の光の帯に照らされる時分になって、

「いい時間ですね。お宿へ向かいましょうか」

 縁壱の言葉に三人が頷く。

「お腹すいたね~!」

「今日のお夕飯《ディナー》楽しみ!」

 姉妹がスキップを踏みながら前を行く。

「私、縁壱さんのスーツ姿も楽しみ!」

「言えてる! 巌勝さんのは見慣れてるけどね!」

「キャンプの私服は酷かった~」

「結局浴衣になっちゃったしね」

「今もそうだもん」

「刀まで袋入れて背負ってるんだよ? おかしいって」

「すぐ抜けない刀ってどうなの? 意味なくない?」

「だからぽわっとしてるんだって~」

 まだまだ続く縁壱話に、後ろで巌勝が懸命に笑いを堪える。

「兄上……」

 しゅん。となった弟の姿に、

「お前にも敵わない相手がいるんだな」

「二人は無敵です……」

「あはは!」

 四人はそれぞれ、車に乗り込んだ。

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