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第壱話:白詰草

・伍・
 ~継国さん。~

 八月十七日。

 継国神社(つぎくにじんじゃ)の社務所(しゃむしょ)に集まったのは、神主の縁壱(よりいち)、兄の巌勝(みちかつ)、胡蝶(こちょう)姉妹、不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)、そして、竹井(たけい)諒太(りょうた)だった。

 玄弥は桜町(さくらまち)警察署から、とある土を運んでくれていた。勝手に縁壱達が持ち運ぶわけにはいかなかった土(もの)だ。

 諒太は、妻・紗栄子(さえこ)の写真と骨壺を持参していた。沈痛な面持ちではあるが、一週間ほど前にここを訪れたときよりは、顔色がずっといい。事件の全貌(ぜんぼう)が、明らかになろうとしているからだ。

『後は、時間までに…』

 縁壱は時計を眺めた。

 時刻は既に、十七時(酉の刻)を大きく回っている。そろそろ、黄昏時…魔の刻だ。

『間に合うといいのですが…』

 紗栄子の初七日も、もう終わる。

 今年のお盆も、終わってしまった。

 猶予の期限は、刻一刻と迫っていた。

『あれだけの数のご先祖様に迎え入れられていた紗栄子さんです。きっと、天国に昇ってしまう。諒太さんと最期の別れをするなら、もう後、一時間ほどしか…』

 気を鎮めようと、縁壱は、胸に手を当てて大きく息を吐いた。自然と瞼が閉じる。ゆっくりと押し上げたとき、

「一応、着替えてくるね」

 傍のしのぶが中腰になりながら言った。

「姉さん。行こう」

「…そうね」

 立ち上がった二人に、縁壱は「お願いします」と声を掛けた。別室に向かう背中を見つめたとき、アンティーク電話が鳴った。

「!」

 大きく心の臓が跳ねる。

 縁壱は少し離れた巌勝と顔を見合わせた。兄が固唾を呑んで見守ってくれているのを目に収め、電話に見向く。

 受話器を取った。

「もしもし」

『縁壱か。待たせたな』

 電話の主は、待ち焦がれた相手からだった。行冥(ぎょうめい)だ。

 電話口で何度も頷きながら話に耳を傾ける。その場に居合わせた者達の熱心な視線を背中に感じた。

「分かりました。ありがとうございました、悲鳴嶼(ひめじま)さん」

『ああ、お疲れ!』

「お疲れ様でした」

 受話器を置くと、もう一度息を吐きだした。

 正座をしたまま両手を脇について、身を彼らの方へ滑らせる。一人一人眺めると、皆一様に、

「どうだったんだ」

 と言った顔をしていた。

 背筋を伸ばし、口を開きかけたときだ。

『しのぶさん。カナエさん』

 きっと、電話のけたたましい主張に舞い戻ったのだろう。上は着物、下はまだ私服で、如何に気にして慌ててきたのかが分かる。

 縁壱は、彼女らに確かに一つ、頷いた。心持ち、穏やかな顔付きになったのが自分でも分かった。

 途端、二人も笑顔になって、

「やった!」

 手に手を取り軽く飛び跳ねた。軽快に足音を立てて、着替えのために、隣室へ戻っていった。

 縁壱は改めて皆に視線をやると、

「玄弥さんがいますが、私から話をさせて頂きますね」

 一言断りを入れた。玄弥も頷いて、事の成り行きを見守ってくれる。

「犯人が捕まりました。諒太さん。…犯人は、紅葉(もみじ)さんの学童館の、指導員でした」

「え!?」

「結論から言いますと、他県へ逃げていたようです。県警の協力で今回の逮捕に至ったようで…時間がかかったのはそのためですね」

「そんな…学童の…。じゃ、駿介(しゅんすけ)は…」

「松下(まつした)さんは、巻き込まれた形になります。まあ…殺人幇助(ほうじょ)が争点で裁判は進むでしょうが…松下父娘の供述で今回の逮捕が叶ったわけですが、駿介さんの話によると『貴方がいなくなって一番得したのは誰だ?』と脅迫されていたらしいです。娘が同じ目に遭うと察した彼は、凶器である包丁を受け取り、庭の花壇に埋めていました。駿介さんは、貴方方の家族写真を撮ったその日からこれまでのことを、取り調べで詳細に話したそうですよ」

 諒太の両目に、大粒の涙が浮かんだ。

 縁壱は、淡々と続けた。

「兄上の元には、松下さんのお母様…つまりは紫里(ゆかり)さんの祖母、静江(しずえ)さんが、紅葉さんの十年後の姿を想像して、現れたようです。服装やら背丈やらが紗栄子さんのそれを真似たのは、兄上を、貴方方夫婦の元へ導きたかったからだとも思えますが…、恐らく、大きくなった時の紅葉さんの姿を真似るには、それが限界だったのでしょう。静江さんは仮の姿で、告げたそうです。『お父さんを助けてほしい。お母さんに会わせてほしい』」

 とうとう、諒太の瞳から涙がこぼれ落ちた。ぐ…と、一度、腿に当てた両拳が力むのを縁壱は見る。嗚咽を必死で堪えて話を聞く彼に、縁壱は、そっと、続けた。

「きっと、地縛霊となり動けなかった紅葉さんの代わりに、静江さんが、今回の事を全て準備したのでしょう。貴方が、直接私の元へいらっしゃいましたから」

 諒太の喉奥から、一つ、声が漏れ出た。

 それを皮切りにして、肩を揺らししゃくり上げながら何度か深呼吸をする。息を整えて面を上げたときには、瞳に光が戻っていた。強い生気が蘇りつつあった。

「あの。…縁壱さん」

「はい」

「学童の。あの先生は、なぜ! あんなに紅葉を…いえ、みんなを、可愛がってくれていたのに…!」

「性癖でしょう。余罪があるそうです。目下、それを取り調べているそうです」

「!」

 ふと、巫女姿になった胡蝶姉妹が現れた。二人を見た縁壱の顔が僅かに綻ぶ。外を眺めて、

「間に合いましたね」

 まだ日が沈みきるには時のある空を見た。

 縁壱は立ち上がりながら、

「さあ。参りましょう。兄上が受けた依頼がまだ完了しておりません。静江さんが話した願いではありますが、きっとあの御婦人は、紅葉さんの願いを直接聞いて、約束したのだと思いますよ」

「『お父さんを、助けてほしい。…お母さんに、会わせて……』」

「ええ」

 一度は堪えた、諒太の涕涙が溢れ出た。

 だが彼は、強く腕で涙を拭う。骨壺と遺影を持って、立ち上がった。

 一同がそれぞれに荷物を持って立つのを目にする。胡蝶姉妹が「こちらへ」と足早に誘導するのを見送って、縁壱は、刀置きの側に寄った。

 その横に、兄が並んだ。

「兄上」

 少し顎を上げて、整った顔立ちを見つめる。

 兄は視線を合わせはしなかったが、

「すまない、負担をかける」

「…いえ」

 小さな声に、囁くように返した。

「これは、神主としての仕事でもありますから」

「縁壱…」

 そうしてやっと、目が合った。

 縁壱は仄かに笑みを浮かべて、

「行きましょう、兄上」

「ああ」

 先に行くと、力強い兄の気配を感じた。まるで、背中を護られているように感じられた。胸に湧く暖かなものに日輪刀を翳して、ゆっくりと瞬きをする。不思議と、心が落ち着くようだった。

 やがて、継国神社は裏手の継国山(つぎくにさん)山頂にある、舞殿(まいどの)に一同は身を移す。

 だだ広い台地に、屋根のない四角い舞殿はひっそりと佇んで、傾いた夕日に照らされていた。

『幾星霜も、継国家が護り続けた、神院(しんいん)…』

 兄の話では、一族は滅びたはずだった。

 だが、この世界では、自分たちは確かに、あの父の子として産まれ、生きている。

『それぞれに、役目を負って…』

 舞殿の前の神棚に居並ぶ間に、しのぶが足早に、榊(さかき)を舞殿に捧げ立てた。

 一方で、カナエが持つ榊は神棚に添えられる。

 その脇には御神酒(おみき)を置き、中央に、諒太が遺影と骨壺を置いた。続いて玄弥が、その隣に、土の入った絹の袋をそっと置く。

「それは…まさか」

 諒太が気付いた。目を見張り、震える声で問いかける。

 玄弥は神妙に頷いて、

「紅葉さんが眠っていた場所の、土です」

「っ…!」

「竹井さん、すみません」

 玄弥が咄嗟に、頭を下げた。

「ご遺体(紅葉さん)は、まだ監察医の元で。どうにも連れ出すことはできません。大変心苦しいのですが…」

「いえ! いえ…!」

 諒太は何度も、「ありがとうございます」と喉を詰まらせながら言った。

 その間に、姉妹が舞殿脇に移動する。本来ならそこは、神楽団(かぐらだん)が陣取る場所だ。二人は立ったまま…カナエは篠笛(しのぶえ)を、しのぶは神楽鈴(かぐらすず)を手にして着々と準備を進める。

「縁壱」

 巌勝に話しかけられ、縁壱は日輪刀を抜刀した。

「兄上。ありがとうございます」

 鞘を兄に託した。一歩一歩踏みしめて、舞台に上がる。

 中央まで歩むと、天に近いここからでは大きく見える真っ赤な夕日に、一礼した。身を起こすと刀を構え、すぅ…と、呼吸を紡ぐ。

 しのぶの気配が重なった。見向くことがなくとも、縁壱は、彼女と共に始まりの唄を奏でた。


「誰(た)そ(黄)――

   彼(かれ)(昏)の――――


 今は――

   君(きわ)(際)――――」」


 流麗な声が茜の空に流れ響いた。唄に乗って、カナエの篠笛が高く音色を添え始め、神楽鈴がしのぶの手元で跳ねて鳴る。

 縁壱は、身を翻した。日輪刀で第一の型、炎舞(えんぶ)を辿った。

 刹那、炎の舞い上がる豪快な音が、山頂に響き渡る。

 日輪が地上にも現れ、錦を織りなしていった。

 縁壱が舞う十三の型は嫋やかに描かれ、カナエの笛としのぶの唄に乗って天を流れて行く。優しい炎がゆっくりと、夕闇に解けていった。

 ヒノカミ神楽が一巡した時だ。

 沈みかけた斜陽から、

『お母さん!』

 幼子の声が響いた。

「紅葉!?」

 諒太が思わず、声を上げた。声の主を求めて山の縁へ駆けると、「危ない」と、巌勝に止められた。

「巌勝さん…!」

「見守ってあげて下さい、貴方はまだ、生きているんです」

「!!」

『紅葉!』

 紗栄子の姿も、舞の向こう、斜陽の帯を渡って現れた。母娘はしっかりと、諒太の目の前、遙か高みで抱き締め合った。

「紗栄子…! 紅葉……!」

 耐えきれず、膝が崩れ落ちる。

 自然と巌勝も片膝を付き、手を添えた。

 縁壱達の神楽はまだ、続いている。

 母娘がこちらを見、笑顔を投げた。

『あなた…』

『お父さん! ありがとう!』

「っ…! 紅葉…!」

『先に逝くね! ごめんね! 大好き…!』

「ああ。ああ。お父さんも…大好きだよ! あっちでも…お母さんを頼んだぞ!」

『うん! 任せて!』

『あなた…諦めないでいてくれて、ありがとう。愛しているわ。また、きっと…!』

「紗栄子…! うん、うん! また、きっと――!」

 闇が降りてくる。

 夜の帳が炎を飲み込み始めた。黄昏時は、細く長く、一筋の光の帯を地上に落とす。山の端に消えゆく太陽と共に、二人の姿も少しずつ、薄れていった。

 やがて、姉妹の奏でる神楽唄が最後の一音を紡いだ。余韻を残し、夜を迎えた。

 …諒太の顔からは、死相(しそう)が消えていた。





「兄上。朝ですよ、そろそろ起きて下さい」

 タオルケットを引っぺがそうとした縁壱の豪腕を、巌勝は、抱き枕のようにタオルを抱えて抵抗した。

「みっともない…、それが泣く子も黙る黒死牟(こくしぼう)の姿ですか」

 見る間に額に青筋が浮かんだ。

 片目を開けて縁壱を睨むと、

「お前はいつも、一言多い! 鬼だった頃の話を持ち出すな!」

「そのうち悲鳴嶼さんや玄弥さんも気付きますよ? なんなら話しますよ?」

「やめろ! 阿呆かお前は」

 がばっと身を起こすと、縁壱が微かな笑みを浮かべた。

 心底驚いて、身が仰け反る。

 縁壱は確かに微笑んで、言った。

「起きましたね。はい、後はよろしくお願いします。ちゃんと片付けて下さいね」

「っ~~~~」

 境内(けいだい)をすれすれに、朝日が撫でていく。

『なんでこんな朝早くたたき起こされねばならん…!』

 掃き掃除をと外に出た縁壱を横目に見ながら、巌勝は、溜息をついた。

 枕元に置いてあった眼鏡をかけると、視界がよりはっきりとする。それがまた憎らしく、吐息が漏れ出た。

 すっかり眠気も取れて、「仕方ない」呟く。

 社務所とは言え、戸を開け放してしまえば境内が丸見えの部屋だ。時期が時期だし、すぐにここは人でごった返してしまうだろう。

 巌勝は立ち上がり、布団をきっちり四隅揃えて畳むと仕舞った。

 乱れた浴衣を整え縁側に寄り、戸を開け放つ。廊下に出ると、柱に寄りかかり片膝を立てて座った。規則正しく響いてくる、箒の音に耳を傾ける。弟の姿を何気なく、眺め続けた。

 やがて、

「今回の事だが」

 少し大きめに話しかけると、

「ええ」

 と、掃除の手は止めずに反応だけが返ってきた。

 構わずに、続けることにする。

「誰があの祖母…静江(しずえ)さんか。に、話したんだろうな? 俺たちのこと」

「ああ。それは恐らく、手鞠唄の子供ですよ」

「! 見たのか?」

「ですから、私は見えないって、あれほど…」

 縁壱の手が止まった。振り返った面は若干、憤りがあるようだ。

 ふと、その背中に、

「お。縁壱!」

 行冥が声を掛け、玄弥を伴って現れた。縁壱がもう一度向こうを向くのを巌勝は笑って目に収めながら、三人のやり取りを見つめた。

 行冥は、手に菓子折を持っていた。

 縁壱の相好が崩れたように感じられた。後ろ姿にも、それがよく分かる雰囲気だった。

「兄上!」

 振り返った表情は、満面の笑みだ。

 その目映さに、面食らう。

『そろそろ、見慣れないとな…』

「お茶! 入れて下さいっ」

「お前な…!」

『却下! 絶対認めるか!!』

 言うし思うが、身体は素直なもので立ち上がる。「あ~~~」と濁声を出して両手で髪を勢いよく乱すと、行冥達が笑った。

「本殿に立ち入っても良いか? 継国さんにお参りしてくる。今回もお手柄! 本当、助かった」

 キッチンへと向かう背中に行冥の言葉を聞き、巌勝は後ろ手に振った。その耳に、

「解決したのは、殆ど兄上ですよ!」

 縁壱の自慢げな、明るい声色が届いた。

 思わず巌勝は、「ったく」と、何とも言えない顔で笑った。


 継国(つぎくに)神社(さん)は、今日も平和だ。





「累(るい)ー!」

 階下から、明るい母の声がする。

「そろそろ時間(学校)よー、起きないと!」

「…はぁい!」

 眠い眼を何度かこすり、ベッドに身を起こした。あくびをしながら伸びをする。

「夏期講習なんて、面倒くさいなあ」

 言うが、笑顔だ。沢山の友たちと机を並べて勉強するのは、嫌いじゃない。

 さっと夏服に着替えて、鞄を手にする。

 徐ろに、卓上に飾ってあった手鞠に口付けた。

「行って来るね! ―――!」

 声を掛けて手を振ると、足早に自室を後にする。

「お母さん! おはよ~!」

「おはよう、累。ちゃんと朝ご飯は食べていってね!」

「はぁい!」

 階下に響く二人の会話に、卓上の手鞠が『しゃん』と一つ、揺れて音を奏でた。



第壱話:白詰草・完

・伍・~継国さん。~: テキスト
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