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第壱話:白詰草


・伍・

​ ~椿の章~


 あれから、一年以上が経った。季節はもう、二度目の秋…だったはずだ。

 だが、庭の花壇には、白詰草が咲き乱れていた。昨年の秋からだ。

 春の野草じゃなかったか? 白詰草は。どんなに摘んでも根から引っこ抜いても、後から後から生えてくる。気味が悪くて埋め立てようと母に持ちかけたが、母は、頑として聞かなかった。


 その頃、会社の方は、昇格が決まっていた。

 プロジェクトがうまくいって、売り上げも予定の倍を超えたからだ。今思えば、それは、とんとん拍子に出世街道を歩む、第一歩だった。


 翌年の春には、家をリフォームしようという話になった。

 妻の機嫌も直ってきたし、心残りがあるとするなら、庭だけだった。これを機会に全部新しくしてしまいたかった。なのに、母だけは、それを赦してはくれなかった。


 その日も朝から、庭の手入れをしていた。

 敷き詰めたように咲き誇る白詰草の一角ばかり手を掛けていては、疑われる。仕方なく、庭木の剪定や雑草を抜いて、それから…と思ったら、突然、娘が言った。いつの間にか、花壇の脇に立っていた。

「保育園でね、紅葉(もみじ)ちゃんと四つ葉のクローバー探したの」

 心臓が飛び出るかと思った。

 何故急に、娘が、そんな話をしようと思ったのか…恐らく、また自分が、白詰草を引き抜こうとしたからだろう。

 娘は、こちらの手元を凝視していた。彼女の目には、きっと、紅葉との想い出が白詰草に重なって見えていたのだろう。

「紅葉ちゃんね、白詰草で冠編むのも上手でね」

 娘は続けた。

 瞳に、涙が溜まり始めていた。

「紫里(ゆかり)にたくさん、編んでくれたの…!」

 言うと、彼女は顔を覆って座り込んでしまった。次第に激しくなる泣き声が、胸を貫く。

 この白詰草は、何としてでも抜ききらなければと思った。

 手当たり次第に乱暴に、引っ張った。今日は除草剤も準備している。ある程度綺麗にしたら、花壇に溜まりができるほど隅から隅へと隈無く掛け流した。溢れた量すらも、やがては土へ染み込み、跡形もなく消えていく。

 ほっとしたのも僅か、二日ほどだ。

 一旦は枯れて、茶色く染められた花壇。三日目には、新しいクローバーの芽が、あちらこちらに浮き出ていた。


 腰が抜けた。


 原因は分かっている。

 だが、どうすることもできない。

 ふと、生えるに任せていたら、どうなるのだろう? そう思った。

 抜けば紫里は泣き叫ぶし、母もあまりいい顔をしない。

 それなら。と。放置することにしたのだ。


 そうして一年。

 白詰草は、今日も陽を燦々と浴びて、真っ白い花を咲かせている。





 火葬場にはそれなりに人がいた。幾つかの葬儀の予定があるようで、巌勝(みちかつ)は、入り口で名前を確認した。竹井家(たけいけ)は、二階の待合室を利用しているようだった。

「悲鳴嶼(ひめじま)。こっちだ」

「…ああ」

 彼は部下を一人連れてきていた。

 不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)、だ。

『…』

 極力平静を装って、辞儀をする。若者は、他者と変わらず継国(つぎくに)の名に驚いて、多少緊張したようだった。だが、それ以外に何か問いかけられることはない。

 内心複雑な思いを抱きながらも、反面ほっとした。

 彼は、あの頃(・・・)とは雰囲気が多少違う。人相は荒いが、根はとても優しそうだ。きっと昔も、あんな状況でなければ、穏やかな一生を過ごせていたに違いない。

 挨拶を交わすと踵を返しながら息を整えた。

『悲鳴嶼に最初逢ったときも、こんな感じだった…』

 思い出すと、胃が引っ繰り返りそうだ。

『それも、悲鳴嶼(奴)はあの時…名乗り合う前だった。驚いた顔に、もしや、気付いたのではと思ったが…。あれから何も、ない…』

 一歩先を巌勝は歩き、階段を登る。

『これから先も、奴らに出逢う度、こんな思いをするのか…』

 思うが、自ら巻いた種だ。

 自分で刈り取らねば、意味はない。

『深く考えても、仕方ない。自分で選び取った道だった』

 深呼吸をして、気を取り直した。

 この建物は、四階建ての、大きな窓が四方を囲むガラス張りの建築物だった。一階が火葬場と事務所、二階以上が待合室になっている。一日を通して光が降り注ぎ、あたかもあの世への道を整えているかのように思えた。

 真白いソファと机と、レストルームや売店があるくらいの質素な内装。一層、静寂を際立たせるようだった。

 階段を登り切ると、左手へ曲がる。

 幾つか未使用の部屋の入り口を横切って、目的の場所へ着いた。

 竹井家の控え室は割と小さい方のようだ。こういう時他人が扉を開けるのは、だいぶ躊躇われる。だが、行冥(ぎょうめい)ならこれも仕事だ。彼は快く引き受けてくれ、ノックをすると静かに扉を引いた。

「失礼します」

 声を掛けると、喪主の竹井諒太(りょうた)がすぐに立ち上がった。

 関係者達の視線は、諒太が出入り口に向かったところで外れた。行冥の事を、ここの職員だとでも思ったのかも知れない。思い思いに菓子を摘まみながら、また、昔話をし始める。

 諒太とて、そう思ったようだ。行冥は、

「松下(まつした)さん。いますかね。…こういう者ですが」

 と、警察手帳を彼にだけ見えるよう、そっと、臍の辺りで翳して見せた。

 驚いた表情の諒太の脇から、巌勝は、中を覗き込んだ。

 思った通り、紫里は一人、まだ、こちらを気にしていた。目線が合うと、軽く手を振る。

『継国さん…!』

 顔がそう物語って、席を立った。こちらの出入り口は大人四人に塞ふさがれている。彼女は急いで前の出入りの扉に寄った。

 すぐさま、父親が娘の動向に気付いた。皆の手前で理性が働いたのか、開きかけた口が閉じる。怒号を控えたようだ。だが、彼の方も目は口ほどに物を言い、自身に足早に寄ってくる娘の後を、慌てて追ってきた。

「悲鳴嶼」

 耳打ちするように言って、二人を顎で指す。

 諒太も気付いてそちらを見るが、

「あの。何を…今更? 貴方、今朝方も…」

 色々と諦めている声色だった。しかし、式場で一瞥をくれたあの時に、視線に入り込んだ男のことは、ちゃんと覚えていたようだ。

 巌勝は、より、小声で言った。

「貴方、昨夜遅く、継国神社を訪れましたね」

「! ええ…」

「貴方が話した相手は、私の弟でして」

「そうでしたか…」

「どうしても、松下さんに確かめなければならないことがあるので。二人を少し、借りますよ」

「……分かりました」

「放して!」

 同時に、紫里の声が廊下に響いた。

 中の人間が一斉に振り返ったのを見、行冥がさっと扉を閉める。その時には、玄弥が闊歩し二人に手帳を突きつけ、

「娘さんを放して下さい」

「警察…! 紫里、貴様!」

『それが娘への態度か…』

 三人の様子を見ながら、巌勝は溜息をついた。漏れた吐息を聞き逃さなかったのだろう、駿介(しゅんすけ)は血走る眼をこちらに向けた。

「今度は何の用だ! 娘につきまとうな!」

「貴方が話をさせてくれないから、こうして警察を連れてきたのですよ」

「横暴だろう! 話す気も何もない」

「それを決めるのは、お嬢さんです。私たちはまず、彼女に用があるので」

 行冥がすかさず言った。

 彼はがたいにそぐわぬ優しい面立ちで彼女に見向くと、片膝を突いた。彼女を少しだけ見上げるようにして言った。

「話したくないなら私たちもこれで帰ります。強要はできません」

「…」

「ただ、巌勝が…あ。こいつが」

 と、隣に佇むこちらに視線をくれて、

「巌勝が、貴女のことを心配していたので。話すなら、今しかないとも言えますよ」

 駿介が歯軋りをする。紫里の腕を強く引っ張った。反動で彼女が蹌踉めくが、玄弥が支える。痛みが走ったであろう手首を、紫里は強く振り解いた。

「もう嫌よ!」

 身をくの字に折り、決死の形相で父親を見ていた。

「お父さん! あの花壇に、何を隠してるの!?」

「!」

 巌勝は、行冥と顔を見合わせた。

 たじろいだ駿介の身が大きく震えて、半歩後退った。

 こういう時の相手に対する初動は、玄弥も場慣れしているのだろう。彼はさりげなく駿介の後ろに立つと、退路を断つ。

 気付かなかった駿介が、背を向けた。が、既に行く手を遮っていた玄弥に、「う」と低い呻き声を上げると、身を仰け反らせた。その肩に、立ち上がった行冥の手が置かれた。

「娘さんからもう少し詳しい話を聞かなければなりません。ですが…貴方にもいて貰う必要がありそうですね」

 その時だった。

 巌勝は、緊迫した彼らの肩越しに、視線を感じた。つい…と瞳をそちらに流して、明るい日差しが差し込む広い窓を何気に見る。

 目に映った光景に、

『二階だったよな? ここ』

 思わず自問した。

 大きな窓の外に、人が立っていたのだ。

『と。言うことは、だ。今度は…誰だ』

 紫里が重大な事柄を告げようとしているときに、話をややこしくしないでくれと、内心で思った。目を凝らす。

『あ』

 人の形をした幽体(ゆうたい)は、今朝方古書堂に来た彼女だった。

『紅葉…?』

 見た目だけならそうなのだろう。だが、どうにも繋がらない話の数々が、彼女の次の動作…と言うより、その変化で、合点がいった。

『!』

 紅葉の形(なり)をしていた幽体は、ゆっくりと形(かたち)を崩し、別の人形(ひとがた)になった。或いは、――直感ではあったが――戻ったと言った方が、より、近いのかも知れない。

 それは、一人の老婆だった。どことなく、駿介に目元が似ている。

 感じたことは正しかったと、思えた。

『なるほどな…!』

 巌勝は、丁寧に彼女に頭を下げた。刹那、彼女は安心したように微笑んだ。深々と一礼をして、消えた。

 一行が場所を変え話を始めようと動作を移す直前に、

「紫里さん」

 巌勝は急いて話しかけた。四人の歩が止まり、視線を集める。

「はい…?」

「貴女、お婆さん子でしたか? もう…お亡くなりになられているとは思いますが」

「おばあちゃん?」

 紫里はきょとんとして疑問符を投げた後、とても柔和な顔になった。

「おばあちゃん。うん…おばあちゃん…!」

 瞳が潤む。

「おばあちゃんが言ったの…!」

 彼女はその場に泣き崩れた。

「『今見たことは忘れんさい。おばあが全部墓へ持って行くけぇ、お前は何も知らなくていい。幸せに暮らすんじゃ。やっと、駿介が元に戻ったけぇ。な? 約束じゃ』って…!」

「…」

「お父さんが、庭に何かを埋めていたのを二人で見たのよ。あの時は、お父さんが何をしているのかも、おばあちゃんが何を言おうとしたのかも、分からなかった。でも…でも!」

「紅葉さんが戻らず…」

「うん。うん…!」

 巌勝は傍らにしゃがんで、彼女の背中に手を置いた。一層激しく彼女が泣きじゃくる中、行冥が玄弥に言う。

「車を表に回してくれ。すぐに松下家へ向かう」

「!」

 青ざめた駿介の腕を、行冥が咄嗟に掴んだ。

「巌勝」

「…ああ」

「ここからは俺たちが。彼女にも話を聞きたいところだが、今は酷だろう。応援を寄越す。後から合流してくれ」

「分かった、問題ない」

「…まただな。継国(つぎくに)神社(さん)に感謝する。きっと…解決するだろう」

「縁壱(よりいち)の方も謎が解ければな」

「! 確かに…まだ残ってる、か」

「今度はちゃんと、電話するよ」

「良かった!」

 行冥は最後に笑顔になって、半ば駿介を連行するように、強引な様子で去って行った。

 無言で見送って、また、彼女に視線を戻す。

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