第壱話:白詰草
・肆・
~躑躅の章~
一度途中でバスを乗り継いだ。後は終点まで運んで貰うだけとなったところで、縁壱(よりいち)は、後ろの座席に腰掛けた二人に話しかけた。
「そう言えば、誘拐事件として扱ってるって、話してましたよね? 今朝」
「ええ」
答えたのはカナエだ。
しのぶは頬杖をついて、窓の外の景色を遠く見ている。
「担当しているのは悲鳴嶼(ひめじま)さんではない?」
「話は行っているかも知れないけど、確認は取っていないわ」
「そうですか。先程聞いてみれば良かったですね。…しのぶさん?」
呼び掛けると、彼女が慌ててこちらを向いた。
「あ、はい」
「悲鳴嶼さんから電話があったら、ええと、…昨日ですよね? 誘拐事件が発生したのは?」
言いかけて、もう一度カナエに話しかける。
彼女は確かに首を一度振り、問いかけた内容を察したのだろう、軒並み青ざめていった。
縁壱はそれには見て見ぬ振りをして、しのぶに見向く。
「電話があったら、昨日、桜町(さくらまち)警察署で誘拐事件を扱ったかどうか、聞いてみて下さい」
「はい」
「縁壱さん、それって…」
耐えきれなさそうに、カナエが口を挟んだ。
「ええ」
縁壱は人差し指を立てて、
「まず、一つ目。誘拐事件が実際に発生していた場合?」
「今私たちが追っている事件はそちらの事件であって、十年前の事件ではない…?」
しのぶが答えた。
「そうなりそうですね」
縁壱は中指を立てて追加し、
「二つ目。もし…誘拐事件が発生していなかったとしたら?」
「! いや~~~~!!」
車内にもかかわらず、カナエが叫んでしのぶに抱きついた。
何事? と、周りの視線を掻っ攫う。しのぶが苦い笑みを零して「すみませんすみません」と、姉を抱き締めながら頭を下げた。
縁壱の顔色が変わることはなく、震えて頭を抱えたカナエに代わり、しのぶが受け答える。
「私たちが聞いたり、見た人達も、あの世の人達…」
「その可能性が高いです」
しのぶは顎に手をやり俯き加減になった。暫くして、
「つまり、十年前の事件を再現していた…?」
「かなり、いい線だと思います」
「どうして継国神社に向かわなかったの? 直接話せば早くない?」
「話せないのですよ」
縁壱は、何とも言えない顔で答えた。
「話せない…? 物理的に、話せないって事? 幽体(ゆうたい)だから?」
「その辺は兄上の範疇なので、私にもよく分かってはいないのですが…。何より、私は見えないっていつも…」
「あ」
ね? と言うように、縁壱は苦笑う。珍しい表情にしのぶは内心、目を見張った。縁壱が続ける。
「兄上曰く、肝心なことは何一つ、言えないそうです。ヒントをくれるだけだそうで」
「もどかしいね。それなのに、頼み事はきっちりしに来るんだ?」
「ええ。なので、兄上は頭を抱えているわけです。幽体との会話は兄上の方が得意で」
「へえ…」
「今回は恐らく、『依頼主』が、胡蝶家(こちょうけ)が継国家(つぎくにけ)と関わりあることを誰かから聞いたのでしょう」
「…誰かから」
初めて、しのぶも青ざめた。
縁壱は微笑む。
「恐らく…手鞠唄の子供だと思います」
「……」
しのぶが絶句すると、カナエが漸くしのぶの胸元から頭を上げた。
「縁壱さん」
「はい」
「もしかして…縁壱さんは今回のこの件、全て分かってるの?」
「まさか。繋ぎ合わせている最中ですよ。ただ、もしも…継国家の管轄事案だとしたら、きっと兄上にも何某かの現象が起きているはず。それこそ、『依頼主』が直接逢いに行っていることも考えられます」
「でも…私たち、巌勝(みちかつ)さんには会えなかったから…」
「姉さん。会えなかったんじゃなくて、この分だと…巌勝さんも動いていると見た方が正しいのかも」
縁壱が首肯した。
「まあ、悲鳴嶼さんからの電話待ちですね。だって、本当に誘拐事件が起きていて、服装やらは偶然の一致かも知れないでしょう?」
「「ここまで一致していてそれはないでしょう!」」
姉妹の声が揃った。
縁壱は思わず小さな笑みを浮かべる。
程なくして、
『次は――三輪(みわ)~。三輪~』
車内アナウンスが流れる。気付くと、人はもう、三人以外いなかった。
桜町の西の外れは、三輪町の北東の外れでもある。町の境は三輪神社が目印ではあったが、正確には三輪山(さんりんざん)だった。神社の御神体が三つに連なる裏山、三輪山であり、桜町の住人も三輪町の住人も、一般は、年末年始にはこちらへお参りをする。継国神社は雪の降り積もった冬山を登ることになり、相当な物好きでもない限り足は遠のくのだ。
バス停からほど近いところに、朱色の大鳥居がある。高さ五メートルほどもある大鳥居だ。そこを潜ると、参詣道だ。石畳が山の麓へ向かって続き、緩やかな扇状地を登っていく。傾きが仄かに分かる程度の坂だ。
昨日事件があったにしては、閑散としていた。事件があったなら警察が非常線でも張っているかと思えていたが、その様子もない。自然と三人は会話をしなくなった。
長い石畳を半ば程まで来ると、左右は鬱蒼と並ぶ杉の木立に囲まれ始める。折しも、昼時になろうかとしていた。
突如、しのぶの携帯が震えた。
清閑な参道ではバイブの音も大きく聞こえ、三人の足が自然と止まる。
ディスプレイを確認したしのぶは、
「悲鳴嶼さんからだわ」
言って、耳元に当てた。
「はい。しのぶです」
『遅くなった。今大丈夫か?』
「ええ、大丈夫」
言いながら、参道の端を歩いていた三人は更に隅に寄り、稀にすれ違う人をやり過ごした。
「縁壱さんに代わる?」
しのぶが気を利かせる。だが、
『いや、いい。話が長くなりそうだ』
と言ったのと、
「あ。それはそうですね」
と、縁壱がぽん。と平手にグーを当てたのとが同時だった。
しのぶは縁壱の方を優先させた。
携帯を受け取った彼は、
「もしもし」
『……』
あからさまに電話の向こうの不機嫌な様を感じ取る。
「如何でした?」
構わず尋ねた。
観念したのか、行冥(ぎょうめい)が口を開いた。
『確かに十年前、竹井紅葉は行方不明になっている。三輪神社でのことだ』
縁壱が二人に視線をやった。
彼女らは何か意味があるのだろうと察しはしたようだが、内容までは分からない。じっと、話が終わるのを待つ様子だった。
『事件が発覚したのは夕方、母親の紗栄子(さえこ)が方々へ電話を掛けて、どこにもいないことが分かったからだ。その後、桜町は騒然となった』
「町内会へも話が行きましたか…?」
『そのようだ。町内会の取締役が動転した母親と一緒に警察に来ている。で、事情聴取をした後、すぐに子供達にも話を聞いて回った』
「神社でかくれんぼをしていたのですね?」
『! そうだ。鬼役だった』
「そうですか…。数を数えている途中に…?」
『ああ…』
「それも、行方不明になったのはちょうど…いえ、十年と一日前。八月八日では?」
『縁壱、お前…』
二人の間に、しばしの間が広がる。
先に口を開いたのは縁壱だった。
「悲鳴嶼さん、昨日、桜町で誘拐事件は起きましたか?」
『は?』
「子供の誘拐事件です」
『いや? そんな話はないな。昨日も今日も、至って平和だ。…お前達の不思議話さえなければな』
「そうですか……」
『俺も聞くが、巌勝から電話はあったか?』
「いえ。…と言うより、社(やしろ)にあったとしても、外に出てしまったので…」
『巌勝のことだ。それなら胡蝶姉妹のどちらかにかけるだろう』
「それもそうですね。となると、ない、と言うことになります。もしかして…兄上?」
『ああ。同じ件でお前の後に電話があった。これから折り返すところだが…お前らは話していないようだから巌勝側の話を伝えておく』
「ありがとうございます」
そうして暫く行冥からの話を一方的に聞くと、縁壱は、受話器のボタンを押した。
長い溜息をついて、礼を言いながら携帯をしのぶに返す。
「どうだったの?」
「そうですね…歩きながら話しましょうか」
三人は、また、境内に向かって歩き始めた。