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​今日という日。


・壱・


「カナヲ~! 炭治郎(たんじろう)さん来たよぅ!」

 玄関からアオイの呼ぶ声がして、

「はーい!」

 カナヲの明るい声が答えた。

 あの戦いから半年。

 未だゆっくり振り返る気持ちの余裕は、カナヲにはない気がしていた。それでも、日々は弛みなく過ぎていく。

『そろそろ、一歩を踏み出してもいい頃なのかな…』

 思いつつ、玄関に駆けて行った。

「おはよう。カナヲ」

「おはよ。炭治郎」

 サンダルに足を通した。見送ってくれるアオイを見上げて、

「じゃ、行ってくるね!」

「うん! ゆっくりね~!」

「ありがとう!」

 手を振った。

 カナヲは炭治郎の差し出した手に手を重ね、蝶屋敷を後にする。

「どこ行きたい? 今日はカナヲの誕生日だから、一番行きたいところにしよう」

 門を出る頃、炭治郎が言った。その言葉にカナヲは少し考えてから、

「本当にどこでもいいの?」

「うん」

「じゃ…お墓参りに行きたい」

「え?」

「姉さん達の…」

「そっか。うん。じゃ、花買ってく?」

「うん!」

 大通りまで、他愛のない話で盛り上がる。

 花屋に着いたとき、炭治郎が一歩控えて待ってくれるのを嬉しく思いながら、カナヲは、生前、カナエがよく座敷に飾っていた花を選んだ。

 二束に纏めてもらい、そこからは、カナヲが道を案内する。自然と言葉数が少なくなっていき、霊園のある寺の山門を潜るときには、風音が耳に優しく響くほどだった。

「ねぇ、カナヲ」

 不意に、炭治郎が話しかけてきた。

「うん?」

「聞いてもいいかな…。今更だから、答えたくなかったらいいんだけど…」

 桶に水を張り、手水(ちょうず)をそこに入れたとき、炭治郎が躊躇いがちに言った。

「カナヲ、花の呼吸使ってたよね? しのぶさんは蟲柱だし…ちょっとね。気になってた」

「あ…」

「この前みんなで舞を奉納しただろ? その時にね、ふ…と思ったんだ」

「そっか…そうだよね」

 あの頃は日々に追われて必死で、疑問に思うことなどなかったのだろう。時を跨げば、後々見えてくるものもある。

 炭治郎のそれはごく自然なことのように思えたし、墓参りに、なんて言いだしたものだから、聞きたくなってしまったのかも知れない。

 胡蝶家の墓へ足を運ぶ砂利道の最中、カナヲは、遠く、空を見上げた。ぽつりぽつりと、昔話をし始めた。

「しのぶ姉さんに、実の姉がいたことは炭治郎も知ってるよね?」

「ん。カナエさん…だよね?」

「うん。カナエ姉さんが、花の呼吸の使い手だったの。でもね、しのぶ姉さんも、花の型は、使えなかったわけじゃないのよ」

「え」

「型は、しのぶ姉さんだって使えてた。でも…色々あって。今思えば酷なことだったのかな…」

 カナヲの眉尻が、何とも言えずに下がった。申し訳なさそうな顔になったが、微かな笑みを浮かべる。

「けど…結局、しのぶ姉さんは私の手を放さなかった。剣士になることは赦されなかったから、選別はね。勝手に参加しちゃったんだけど」

「! そうなの!?」

「うん」

 くす、と笑みを零したカナヲに、炭治郎が思わず、「無事で良かった…」と呟く。

 カナヲは、「そうよね」と頷いてから、

「最初ね。しのぶ姉さんの袖を掴んだんだ、私」

「? …どういうこと?」

「師範。カナエ姉さんじゃなくて、しのぶ姉さんを選んだの。私」



・弐・


『ここにいるには、どうしたらいいんだろう』

 最初は確か、そんな理由だった気がする。

 炭治郎に言われるまで、考えたことがなかった。どうしてしのぶ姉さんを選んだかなんて。

 カナエ姉さんの方が優しかったし、何も言わなくても傍にいてくれた。いつも話しかけてくれるのはカナエ姉さんだったし、真っ先に思い出す笑顔は、カナエ姉さんのものだ。

『だけど…』

 咄嗟に掴んだのは、しのぶ姉さんの方だった。

 あの後…いつから私を、一人の継子(つぐこ)として見てくれるようになったんだっけ…。

 なんだかんだ、もらい手もつきそうだったし。

 けれど、それは嫌だった。

 堪らなく、嫌だった。

 絶対。そう、絶対。

 蝶屋敷を離れたくなかった。一年後の今日という日には、その決意は、もう、固まっていた。



 カナヲは縁側に正座をし、外を見ていた。

 時折頭が引っ張られる。

 正確には髪なのだが、しのぶの櫛を梳く力が強くて、頭毎後ろに仰け反るのだった。

 互いに言葉はない。

 仏頂面のしのぶと、真顔のカナヲを見る限り、仲がいいのか悪いのか分かりかねた。

 だが。

「なんか…違うなぁ」

 しのぶが首を傾げる。

 せっかく一つに束ねた髪の組紐を、解いてしまう。

 苦り切った顔になって、しのぶは今度は三つ編みし始めた。

 おさげ姿を見るべく、乱暴にカナヲをくるりと床の上で回した。

「う~~~~ん~~~~~」

 納得してはいない様子だ。

「これも駄目!」

 元の位置にカナヲをまた回す。

 何も言わずされるがままになっているカナヲの頬が、少し照れたように赤らんだ。

 しのぶは今度は、割と頭部の高い位置で、横脇に一つに束ねた。

「お?」

 組紐をしっかり巻いて、肩に流す。しのぶの顔がようやく笑顔になりかけた。蝶の髪飾りを最後に差すと、カナヲをまた回す。

 正面に顔を捕らえると、しのぶが満面の笑みになった。

「これがいい! 可愛いよ、カナヲ!」

「…」

 もじもじと、カナヲは少し俯いて、上目遣いにしのぶを見上げた。

 しのぶは何も言わなかった。が、その手がカナヲの頭にぽんと乗ると、カナヲの瞳が微かに揺らいだ。

「今日はね、カナヲが蝶屋敷に来て一年。そのお祝いなんだよ」

 しのぶがゆっくりと言葉を紡ぐ。

「今日がカナヲの誕生日。誕生日って分かる?」

 カナヲは首を横に振った。

「産まれてきてくれてありがとう! って、私たちがカナヲに言う日」

 しのぶの言葉に、カナヲの頬を小さな雫が絶え間なく、幾つも辿った。



・参・


『しのぶになんて、言おうかしら…』

 屋敷に戻る道の途中で、カナエは呻いた。

 本来なら喜ばしいことなのだが、難しい年頃を迎えたしのぶに、素直に言うのも気が引ける。かといって、いつまでも隠しきれるものでもない。

『何より、二人でこの道を歩み始めたのだものね…』

 溜息が出た。

 答えが出ぬまま屋敷の門を潜る。

 扉を開いてブーツを脱ごうと手に掛けたとき、

「やぁあ!」

 一際甲高く、「嫌だ」という意思表示の一声が聞こえた。

 その声色に、カナエの手が止まる。

『カナヲ!?』

 思いもよらない者のそれだったからだ。

 カナエの顔が青ざめた。

『あんな声! 何があったの…!』

 慌てて玄関を上がろうとして、脱ぎきらなかったブーツに片足を取られた。

「ったあ!」

 段差を跨げずつんのめった。床に強(したた)かに、鼻をぶつける。

 涙目になりながら鼻を押さえブーツを放ると、角にぶつけた脛を一度さすって、立ち上がった。

「カナヲ!」

 声のした部屋まで跳ぶように駆けていき、思い切り戸を開ける。

 アオイが不安な顔付きで事の次第を見守る先に、しのぶとカナヲがいた。

『あ! カナエさま…!』

 アオイがこちらを振り返る。気付いたのは彼女だけで、しのぶは、

「何度言ったら分かるの!」

 怒号をカナヲに浴びせた。

「そんなに真似したいならカナエ姉さんに教えてもらいなさいよ!」

「やぁああああだ!」

 カナヲが地団駄を踏んだ。

『信じられない…。カナヲが。カナヲが!』

 カナエは思わず、嬉しくなった。

 状況は全く分からない。だが、あのカナヲが全身で感情を表現するなんて、初めて見たからだ。

『きっと言葉が分からないんだわ…。いつもみたいにどうでもいいことでもないのね。ただしのぶの言うことは嫌だって気持ちだけは、はっきりしてる…』

「ねえ…ただいま? 二人とも?」

 カナエはそっと、言葉を紡いだ。

 カナヲは顔色を変えることもなかったが、しのぶは飛び上がるほど驚いて、こちらを向いた。

 異なる眼差しの中で、殊更しのぶの鋭い視線が刺さる。何か、責められているような気がした。

『ええと…。私が悪いの? かなぁ?』

 カナエは笑みだけは絶やさずにいたものの、冷や汗をかいた。

「な…何があったのかしら? しのぶ…怖いわよ」

 いつもみたいに、「笑ってほしいな~」とは、言えない雰囲気だった。一言でも発しようものなら、即、殺される。そんな様子だ。

「この子、剣を学びたいって! あたしの後を無言でついてくるの!」

「あら…。まぁ…」

 思わず、感心してしまった。

「姉さん!!」

 すかさず、突っ込まれる。

「いいじゃない、真似したい年頃なのよ」

「ふざけないで! そういうことじゃないでしょう!」

 私たちの剣は。

 そう、言葉が続きそうだ、と、カナエは思った。

 だが、アオイに教えてカナヲに教えない道理はない。

「そんなこと言わないで…しのぶ? ここへ来た子達は、一度は通る選択肢(道)じゃない」

 蝶屋敷には、他にも沢山の女子がいる。主立った顔ぶれがアオイなだけで、保護した子達は他にもいるのだ。

 姉妹のように剣士になりたいと、育手の元へ送り出した子もいた。志半ばで、命を落とした子もいた。

 それでも、鬼を屠るだけじゃない、できることからと、二人で努力してきて今があるのだ。

『カナヲとの出会いだって、偶然じゃない。きっと、それなりの縁があったから…』

 だが、しのぶは、

「そんなに言うなら、姉さんが教えなさいよ!」

 矛先をこちらに向けた。

 と、

「やだ! やだあ!」

 また、カナヲがそう叫んだ。そして、

「!」

 しのぶの両足に抱きつく。

 カナエは目を丸くした。

「…しのぶがいいって」

「あたしはやなの! 嫌なの! 絶対!」

 カナヲと同じような言葉を紡ぎだしたしのぶに、

『姉妹ねぇ…』

 思わず、笑みがこぼれた。

 その顔が、しのぶの感情を逆撫でたようだ。

「なんでよ…! あたしは花の呼吸が使えないの。カナヲはできるんだから、姉さんに教えてもらえばいいじゃない!」

「!」

「この子、姉さんの技の真似をしたのよ! 姉さんが任務でいない間に、見たの! あたし!」

「しのぶ…」

「あたしの気持ちなんて…二人には分からないわよ! 絶対嫌よ!」

 とうとう、しのぶも泣き出した。

『そっか…。そうだったのね…』

 カナエはそっと、二人に近寄った。

 両膝をつくと中腰になって、二人をしっかりと抱き締める。

「しのぶ」

 そして、見上げて優しい声で言った。

「今日ね、私…柱になったの」

「!」

「先に、行くわよ。しのぶ!」

「姉さん…!」

「こんなことくらいで、躓いていていいの? しのぶ。呼吸の種類の一つや二つ、自分の才能(薬学)でなんとかするんじゃなかった?」

「っ…」

「私だって…気が気じゃないのよ? 姉として。貴女の前を走らなくちゃって。いつも思うのよ? その気持ち、今なら分かるんじゃない? しのぶ?」

「! …」

 しのぶが、視線を落としてカナヲを見た。

「自慢の妹たちが頑張ってくれるの…、嬉しいんだけどなぁ…」

 何とも言えず本音が出ると、しのぶは、大声で泣きじゃくり抱きついてきた。それをしっかり抱き留めながら、カナヲと眼差しを合わせ、

「カナヲは、しのぶが大好きなのよね?」

 こっくりと頷いたカナヲに、一層、しのぶが泣いた。



・肆・


「なんか、凄いね…。カナヲにもそんな一面、あったんだ?」

 目を丸くした炭治郎(たんじろう)に、カナヲはくすりと微笑んだ。

「後にも先にも、その一度だけだけど。手元にはカナエ姉さんの、銅貨があったから…」

「そうなんだ?」

「私ね…、しのぶ姉さんが努力してるの、ずっと見て育ったの。カナエ姉さんは割と任務で屋敷を空けがちだったせいもあるのかも知れないけど…」

「…」

「物陰で悔し涙に自分を奮い立たせながら、何度だって立ち上がった…しのぶ姉さんのその強さがとても眩しくて、大好きだった。尊敬してた。だから、傍にいたくて…」

「そっか…」

 胡蝶家の墓前に着く。

 二人は暫く、無言になった。

 雑草を抜き、箒で軽く掃いて、水を掛ける。墓石を上から丹念に磨くと、買ってきた花を添えた。

 炭治郎が線香の束に火を点ける。

 見ていたカナヲが、喉を詰まらせた。

 彼に心の小箱を一つ空けて見せたことで、思い出が次々に溢れてきた。

 炭治郎が、火を点すことだけは続けながら、一歩自分の側に寄った。こつん、と肩に肩を合わせると、カナヲはこぼれ落ちるものを拭いきれずに、

「私…、沢山のもの、二人に…貰ってたんだ…! 意識してたより、ずっと、ずっと…多くのもの…!」

「カナヲ…」

「姉さんっ…!」

 蹲り、嗚咽を堪えるカナヲに、炭治郎もしゃがんでそっと手を添えた。

「今日は沢山、沢山、お礼を言って帰ろうね」

「うん、うん…!」

「色々、あったことも報告しなくちゃ」

「うん…!」

「きっと向こうで、笑いながら聞いてるよ。だから…カナヲ」

「炭治郎…! うん…!」

 炭治郎の優しい笑みに、カナヲも笑った。

 やがて、カナヲは涙を拭い、一緒に立ち上がる。

 手渡された線香の半分を香炉に置くと、そっと、手を合わせた。

『姉さん…あのね』

 そっと、胸奥で話しかける。

 伝えたいこと、思うこと、日々あったこと。

 話したいことは沢山ある。だが、二人から一番最初に貰ったのは、今日という日だ。そのお礼を、一番に言いたい。

『誕生日を、ありがとう。姉さん。祝ってくれて、出会ってくれて…ありがとう。大好き! 姉さん…!』

 祈りを捧げるカナヲの横で、一足先に瞼を押し上げた炭治郎が、ふ…と、気付いた。

「!」

 カナヲの肩に止まった、一対の蝶。

 声を押し殺して見守った。羽根を開いては閉じてを繰り返し、まるで呼吸をするようだ。

 やがて、二頭の蝶は、ひらひらと螺旋を描いて天へ昇っていった。同時に、

「炭治郎。お待たせ」

 言ったカナヲの口調は、晴れ晴れとしていた。その様子に、炭治郎の双眸も明るくなる。

『きっと、話せたんだね。二人と』

「行こっか」

「うん!」

 手に手を繋ぎ、荷物を抱え踵を返す。

 麗らかな午後の日差しが、寄り添う二人の影を描いていた。



今日という日。完

『今日』・本編・: テキスト
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