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残照

・壱・

「ひょ! ほ!」

 マンションの柵から柵へ、小気味良く跳ねて降りていく。

 二階まで到達したところで民家へ飛び移り、軽快に屋根瓦を蹴り続けた。

「今日も暑いなあ」

 太陽を見上げ、汗を拭いながら更に走る。

『夏期講習って、休んだら皆勤賞にひびくのかなあ?』

 何気なく思って、炭彦(すみひこ)は小首を傾げた。

『そんなことないよね』

 天秤が少し「睡魔」に傾いたところで、くすりと笑みが零れた。

 もうすぐ、夏休みだ。

 幼い頃は祖母の家によく遊びに行っていたものだが、いつの頃からだったろう、足が遠のいていた。亡くなってからは、家の手入れに赴くことはあったものの、それも次第に行かなくなった。

 兄のカナタや友達以上恋人未満な友人が、率先して行ってくれるからだ。

『燈子(とうこ)さんって、お兄ちゃんとどんな関係なんだろう?』

 いつも一緒にいるところをみているが、その関係までは知らない。

 弟の善照(よしてる)ともそう仲が良いわけではなかった。なんせ、毎度毎度、登校はこんな調子だからだ。まあ、気にすることもない。

『あ』

 いつもの屋根瓦が見えてきた。

 そこを降りると、後は通りを抜けるだけだ。

『じっさま二人、今日も囲碁打ってんのかな~』

 その宅の屋根へ飛び移ったときだった。

『…治郎』

「え?」

『炭治郎(たんじろう)! しっかり!』

 耳慣れたような声がして、身体を捻った。

 背後から聞こえたからだ。

 視線もバランスも崩れて、瓦を踏み外す。

「うそ!」

 ヤッバイ。

 思ったときには足を滑らせ、豪快にコケた。そのまま、瓦を崩しながら落ちていく。大地に打ち付けられる前になんとか体勢を、そう思ったとき、また、声が聞こえた。

 悲愴なそれだった。

『炭治郎…!』

 気を取られたのと、宙に放り出されたのとが同時だった。

 真っ青な空と、煌々と輝く太陽が目に入った。蝉の声が、やけに近く聞こえた。


 ひどい蝉時雨で目が覚めた。

 じっとりと汗が滲み、

『エアコン効いてない…』

 思いながら、瞼を押し上げた。

 その天井は、見慣れた二段ベッドの屋根ではなかった。

『ここ、どこ…』

 思う間に、

「炭治郎! 炭治郎、良かった…!」

「お兄ちゃん…!」

『炭治郎… お兄ちゃん…? 誰!』

 跳ね起きたつもりだった。脳は確かにそう、身体に指令を送ったと思うし、一度は大きく揺れ動いたと思う。だが、起き上がれなかった。

「炭治郎お、無理しちゃダメだよぉ」

 情けない声は男性のものだ。懸命に首を回すと、金髪の若者が布団に突っ伏して大粒の涙を零している。

『善照くん…? ああでもちょっと違う。とっても似てるけど』

 泣いてる彼は、もっと優しそうに思えた。

 見渡して、見慣れた顔がもう一つ、だが彼女も、多分他人のそら似だろうと思う。

「俺…」

 声を絞り出した。どうにか状況を把握しようと倦(あぐ)ねる。手を付いて身を起こそうとしたとき、左手が動かないことを知った。

「!?」

 支えられず、もんどり打つ。

「炭治郎!」

 大丈夫か、と言うように支えてくれたのは、猪頭だ。ぎょっとしたが、声は出なかった。喉が潰れたように、そして、発熱があるのだろう、大層高温に感じられて、眩暈がした。

「とにかく少しカナヲちゃんと二人きりにしてあげましょう? せっかく目が覚めたんだし。ね?」

「そうだね、うん、そうだ。炭治郎、ちゃんとカナヲちゃんと話するんだぞ」

『炭治郎… カナヲ… さっきから、どこかで。この名前…』

「あっ!!」

「え!?」

 濁声で一言発すると、傍にいた女性がはっとした。多分彼女が「カナヲ」なのだろう。

 退室しようとしていた金髪と猪頭と、そして見慣れたもう一人――彼女はまるで燈子さんのようだった――が、引き戸の辺りで振り返る。

 何でもない、と言うように首を横に振ると、彼らはなんとも言えない顔をして、部屋を後にした。

『ひいひい爺ちゃんと婆ちゃんだ!!』

「ごん、な…に、きれいな…ひど…だったんだ、ね…」

「! 炭治郎~~~!」

 一瞬で顔を赤らめたカナヲが、涙を浮かべて飛びついてきた。

 掠れた声で笑いながら、そっと抱き締める。

『なんで、こんなことに…俺がここにいるって事は、本物の炭治郎爺ちゃんは、今頃…?』

 冷静になって初めて、ここが、幼い頃遊びに来ていた婆ちゃんの家だと言うことに気付いた。

『婆ちゃんが死んでから、来ることもなくなっちゃってたけど。カナタは燈子さんとよく、掃除しに来てたよな…』

 懐かしい匂いのする家。

 こんなに日差しが沢山入り込む家だとは、あの頃は気付かなかった。どこか家も優しく包んでくれているような、温もりの溢れる家だった。

「カナヲ…」

 さん。と付けそうになって、慌てて言葉を飲んだ。答え合わせが間違ってなければ、二人は夫婦のはずだからだ。

「うん」

 目尻を強く拭いながら、彼女が身を起こした。

「俺…身体が重たい、どうしたんだろう、すごく…熱いよ…」

 少しずつ喉の調子にも慣れてきて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 カナヲは口元を震わせ懸命に込み上げてくるものを堪えてから、教えてくれた。

「御館様からお返事が来たわ」

「おやかた、様…」

「痣(あざ)の影響だろう、って…。義勇(ぎゆう)さんや不死川(しなずがわ)さんと、同じだろうって…」

 出てきた名前には全く聞き覚えがなかった。

 御館様というのにも、心当たりはない。ただ、婆ちゃんから、鬼退治をしていたご先祖様達の話と、その桃太郎達を束ねる存在がいたことは、聞かされていた。

 いつか、鬼も人として生まれ変わることができたなら――――

 そんな風に思いながら、時には胸躍らせて、武勇伝を聞いていたものだけど。

「そっか…」

 複雑な思いが錯綜して出た言葉は、この場には、「正しい」回答だったようだ。

 カナヲは小さく、

「うん……」

 と、また、目元を拭った。



・弐・


「こォおの馬鹿もんがア!」

 目覚めてすぐにまた、意識が飛ぶかと思った。

 耳を劈く言葉は上手く聞き取れなかったが、罵声であったろうことは察する。次第に目に入る光景に、

『誰だろう…?』

 何度か瞬きをした。

 複数の顔が、自分を覗き込んでいる。二つは老人のそれで、二つは見覚えがあった。

「不死川さん! 玄弥(げんや)!」

「「はァ!?」」

 二人が顔を見合わせて、「名乗ったか?」と確認を取り合う。被った帽子に警察官だと言うことが分かった。ただそれも、自分が知るそれとは若干形が違う。

『え? え?』

「起きれるか、若僧」

 老人の一人が言った。

「鱗滝(うろこだき)さん…!!」

 身を起こしながら言うと、その老人は沢山の皺を寄せて嬉しそうに微笑んだ。

「なんじゃ若僧、儂(わし)の名前いつの間にか知っとったか」

「毎朝毎朝人ン家の庭疾走しおってからに。知らぬ訳もあるまいが! いつかこうなるんじゃないかと思っとったんじゃ。この馬鹿もんが!」

「あの… え…」

 こちらが見知る割には、相手は自分のことを知らない様子だった。

『そう言えば、なんか…服装も…』

「お前な!」

 身を起こすと、風柱の怒号が飛んだ。

「今朝も苦情が既に寄せられてんだぞ本当に馬鹿か!」

「先輩先輩、言葉!」

「うるせェ! 事故が起きてからじゃ遅いんだよ危うく病院送りだったじゃねえかこの馬鹿野郎!」

「ええと… ごめんなさい…」

 詳細はまだ飲み込めないが、この怒りを静めるにはとにかく謝るしかなさそうだった。どうやら自分が何かしでかしたことだけは、確かなようだ。

「お前! 名前は!」

「あ、ええと…竈門(かまど)、竈門炭治郎です…」

「電話! 言われる前に名乗れ!」

「電話? 電話って…なんですか…」

「はぁア!?」

「こりゃ頭を打ったかあ」

「名前は覚えているようだが…」

 老人二人が溜息を吐きながら言った。

「あの、俺…」

「なんじゃ、直前のことも覚えてないんか」

「お前、毎朝家の屋根伝いに学校に通ってるだろう。今朝は足踏み外したんだろうな、この庭におっこってきたんだよ、上から」

「え…!?」

 鱗滝と思われた老人が上を指さした。

 皆、釣られて屋根を仰ぐ。

 立派な屋敷に驚いたのは、自分だけだった。

 慌てて立ち上がり、周りを見渡す。

『ここ… どこだ…!』

 見慣れぬ景色に彼らの輪を押しのけて、思わず屋敷の囲いの上に飛び乗った。そうして手を付いたとき、

『手…! 手が動く…!』

 左腕が無意識に動くことを知って、驚きと感動に満ちた。

「あ! コラ逃げんな!」

 自分の腕を見ながらしばし固まって、言われても「ここは逃げるが勝ちじゃないか?」などと思ったとき、自分が見慣れぬ格好をしていることに気が付いた。

 白いシャツ、格子柄の上着。履いている物は洋物の袴だろうか…名前が分からない。肩にあるのは鞄だと思われるが、形が斬新だった。

 そうして塀から屋根へ飛び移ると、

「うわあ…!」

 広がる光景に感嘆の息が漏れた。

 森がない。

 山もない。

 走っているのは車だと思われるが、形が奇妙だ。

 何より、地平の果てまで続くと思われる、家。家。家。立派な屋敷が所狭しと続いていた。それも、色がてんでばらばらだ。藁葺きのそれは一件もない。煙突もない。

「なんだ、この世界…!」

「コラ降りろ! 病院で検査して貰え!」

「病院…」

 それは分かった。

 戦いが終わり蝶屋敷が町に溶け込むと、そのように呼ばれ始めたからだ。妻ことカナヲは、自然と、その病院の、院長になった。

『そうか、記憶がないと思われてるんだ、電話…電話が何か分からないから?』

 どうしよう。

 そう思ったとき、

「あ! 炭彦!」

 離れた通りから、聞き慣れた声がした。

『煉獄(れんごく)さん!? いやでも今、炭彦って…』

「おはよう! 炭彦!」

 ぶんぶんと手を振る彼は、確かに記憶の炎柱と似た顔立ちをしていた。いや、そっくりだった。が、雰囲気はどことなく千寿郎(せんじゅろう)の方に似ている。

「おはよう…! ええと…ごめん、」

「ああ! コラ待てアホ野郎馬鹿野郎!!」

「あの制服、キメツ学園のそれですよ、先回りしましょう、先輩!」

「ぬおおおおお!! こうなったらとっ捕まえてやる! このアホんだら!!」

「先輩~~~っ」

 背後に穏やかならぬ会話が聞こえたが、知らぬ振りをして幼い炎柱もどきに飛び跳ねて寄っていった。

「ちょっと屋根から落ちて頭打っちゃって」

「ええっ!? 大丈夫か? ああそれで警察に囲まれてたのか」

「ええと…煉獄さん、だよね…」

「あはは! 桃寿郎(とうじゅろう)だよ桃寿郎!」

「桃寿郎…!」

『やっぱり。煉獄さんの血筋なんだ、ええ? じゃ、ええと…千寿郎くんの!?』

「あれ…千寿郎って名前じゃなかったっけ……」

「ひいひい爺ちゃんの名前だよそれ!」

 わはは! と再び快活に笑った彼は、ばしばしと背中を叩いてきた。正確には、背負った鞄を、だが。

『ここ、未来だ…!!』

 ようやく、事態が飲み込めてきた。

『夢? それにしてはあまりにも』

「な、炭彦!」

 桃寿郎が話しかけてくる。

 思わず、

「俺、竈門って名前で合ってる…?」

「わはははは!!」

 とうとう桃寿郎は、腹を抱えだした。

 その様子から、合ってるのは合ってるのだと分かる。「炭彦」というのは、間違いなく自分の子孫なのだろう。

『カナヲが産んだ一人っ子は、血を繋いでくれたのか…!』

 何世代も。

 これほどまでに美しく、光に満ちた世界が訪れる「現代」まで。

「…炭彦?」

「…ごめん」

 こぼれ落ちそうになるものを、慌てて拭った。

「嬉しくて。とても。ああ、間違ってなかったんだなって…」

『不死川さんも玄弥も、あの鱗滝さんに似た人も…きっと。みんなみんな、生まれ変わったり血を繋いで、この世界にいるんだ…! 懸命に生きてきた証が、この、未来に…!』

「やっぱり、ダメだ…!」

 溢れるものを止めることができずに、炭治郎は、思わず立ち止まり、号泣した。

 理由も聞かず、桃寿郎がそっと抱き締めて、背中…いや、鞄をぽんぽんと叩いてくれる。

『煉獄さん…!』

 それがまた、一層、心に染みた。思わず桃寿郎に抱きつき、声を上げて泣きじゃくった。



・参・


 腕が上がらない訳や、痣の寿命を知った。

『俺、このままどうなっちゃうんだろう?』

 炭彦は、縁側に腰をかけ、庭で遊びつつ薪を割る伊之助(いのすけ)や善逸(ぜんいつ)、米を炊き始めた禰豆子(ねずこ)を見つめた。

 せっかく炭治郎の気分が良いのだからと、皆を見渡せる場所で夕飯の支度をしてくれているのだ。

「はい、炭治郎。先にお薬」

 赤子を背負って、カナヲが姿を現した。

「ん。ありがとう」

 薬湯を受け取って、一気に飲み干した。苦かったが、炭治郎爺ちゃんのためだ。

 共に縁側に腰を落ち着けて、長閑な光景を瞼に焼き付ける。西日が山の端を紅く染め、そろそろ烏も寝床に帰る頃だった。

 少しずつ、意識が飛んでいくようだ。

「炭治郎?」

 カナヲの麗しい声が聞こえたと思ったら、瞬く間に、おぶった息子の甲高い声が木霊した。けたたましく泣き始めた我が子に、庭の面々が驚いて作業をやめる。一斉に、駆け寄ってきた。

 ぼんやりとしていく視界に、彼らの涙ぐむ顔付きを見た。

「お兄ちゃん!」

 叫んだのは禰豆子だった。

『ホント、燈子さんそっくり。こっちの燈子さんはとても優しくて、穏やかだけど』

 善逸や伊之助も何やら叫ぶが、もう、聞こえなかった。

 瞼がゆっくりと閉じられていき、辺りは真っ黒に…なるかと思われたが、白い。何もない、光の空間に放り出されて、炭彦は、ゆっくりとその場に二の足で立った。

「…影がある」

 足元を見て、思わず呟いた。

 さっと上を仰いで、太陽に似た光の珠を見た。

「なんだろう、あれ…」

 一歩踏み出すと、そこから辺りに色が付いた。

 蒼穹と、流れる雲。足元は水溜まりのような…、

「違う…湖?」

 湖面を歩いているかのような感覚になった。

 どこまでも、遠く果てしなく、空を映した水面は続いている。

 奥底から、力が沸き上がる様だった。全身を巡り指先が震えて、思わず両手を広げて見る。左手も動いた。

「温かくて、懐かしい感じ…」

 仄かに光る我が身を知った。

 ふと、眼前に迫る気配に気付いて、顔を上げた。

「!」

『炭治郎爺ちゃんだ!』

 市松模様の羽織。

 大人びた面立ちだが、カナヲ婆ちゃんに、歳は一つ下だと聞いた。今年、二十五になるのだと。

「炭彦?」

 まるで鏡を見るようだ。

『そっくりなのは、隔世(かくせい)遺伝かも知れないな~』

 そんな事を思いながら、歩み寄ったご先祖様にぺこりと頭を下げた。

「はい、炭彦です。炭治郎…お祖父ちゃん?」

「ん。ごめんね? びっくりしたろう」

 今日一日のことを思い返して、炭彦は苦い笑みを零した。

 身体の自由が利かなくて、思うほどには探検できなかったことを残念に思う。

「小さい頃にさ、何度か来てるんだ、婆ちゃん家」

「そっか…」

「炭治郎爺ちゃんが生きてた頃と、あまり変わらなかったよ? 景色。山が深いくらいかな」

「そうだね、俺はびっくりした。町は、景色が違いすぎて」

「はは! 迷わなかった? 爺ちゃんこそ困ったんじゃない? あまりにも都会過ぎて」

「そうなんだけど、煉獄さんに…桃寿郎くんに会ったからさ。最初に。お蔭でいろんなところを案内して貰ったよ」

「そっか! よか…ええ!?」

 満面の笑みが慌てた顔になった。

「爺ちゃん、学校は!?」

「あ~、えーと。行くには行ったけど、午前中で後はサボっちゃった」

「何言葉覚えてんの。午後の授業出てないの!?」

「明日怒られるね、ごめんね」

「あ~~~~! 帰ったらまず母さんに怒られてカナタに小言言われるよお!!」

 頭を抱えて天を仰ぐと、炭治郎がさもおかしそうに笑った。最初は申し訳なさそうだったそれも、奇跡的なこの状態を思えば、

「ま。いっかあ」

 炭彦も笑う。

 炭治郎が言った。

「きっと死ぬ前に、神様がご褒美をくれたのかな」

 数歩歩み寄って来、自身の耳に手を当てる。そこには、家に飾られているはずの、見慣れた耳飾りがあった。

「それ! 家に飾ってあるよ!?」

「うん。元々はね、竈門家の物でもないんだ、これ。縁壱さんが…きっと、導いてくれたんだろうな。色々」

「縁壱さん? 色々?」

「今日に繋がる全て」

 その意味は、よく分からなかった。

 ただ、家に語り継がれている鬼退治の話やその組織のこと、時折善照が話す昔話や桃寿郎に受け継がれている炎の舞や剣の型に、片鱗はあった。懐かしい記憶だ。

 ふと、炭治郎の身体が光った。そろそろ別れの時間だと、すぐに察した。炭彦は慌てて、

「ね、爺ちゃん。一つ聞いていい?」

「うん」

「家に伝わる二つの型」

「二つ?」

 炭治郎が首を傾げた。その理由が分からなくて、詳細を告げる。

「あ。うん。一つは『ヒノカミ神楽』。もう一つは、『花の舞』だよ」

「!」

 炭治郎が嬉しそうに破顔した。

「そっか、うん。カナヲの型も伝わってるんだね」

「あ~。それが聞きたかったんだ、そっか。『花の舞』は婆ちゃんの方なのか」

「色々話せなくてごめんね。もっと時間があったら良かったのに」

「ううん。婆ちゃんから聞いたよ、出逢った頃や、善逸達との冒険」

「冒険…」

「ありがとうって伝えた。別の意味に捉えられちゃったかも知れないけど、それが一番、しっくりくる言葉だったから」

 炭治郎が、瞼を伏せて、何度か頷いた。優しい面に、何故だかほっとした。

『きっと、爺ちゃん、今日、死ぬんだ』

 そうして、理解した。

 神様の、ご褒美――――。

 未来へ来ることは、彼にとって、きっと何か、大切な理由があったのだろう。

 身体がうっすらと消えかかって、炭治郎が言った。

「炭彦。何があっても、己の血に負けてはいけないよ」

「…え?」

「寝ることも悪くない。しっかり休んで、出逢った人達の声を良く聞いて、そして――――鬼…」

 最後の言葉は、良く聞こえなかった。

『己の、血?』

 不思議な言葉だった。

 何故、炭治郎爺ちゃん達の血を受け継ぐ自分が、それに負けてはいけないのだろう?

『そもそも、負けるって。どういうこと? 何に?』

 それが、分からなかった。

 蒼穹を見上げる。

 来るときにははっきりと見えていた光の球が、少しずつ、小さくなっているような気がした。消えかけているような気がした。

 そうして自分も、足元から光となり始めた。

『爺ちゃん。最後。「鬼」って。…そう、言わなかった?』

 良く聞こえなかった最後の言葉を懸命に思い出そうとしているうちに、目が覚めた。家の、ベッドの上だった。



・肆・


 縁側で目を覚ました。

 驚いた、涙に濡れる複数の顔を見て、困ったように微笑んだ。

「心配かけて、ごめんね」

「お兄ちゃん…!」

「炭治郎…」

「伊之助」

「お。おう!」

 小刻みに震える猪の面に、そっと手を伸ばした。つんつんとした獣の毛並みに愛おしさを覚えて、にこりと微笑む。身体は力なく、カナヲに寄りかかっていった。

「!」

 ぺたんと乙女座りになった彼女に支えられ、やんわりと笑みを返した後、

「アオイさんと仲良くな」

「!」

「喧嘩するとどっちも謝らないから、心配だよ」

「だ、大丈夫だ! ちゃんと謝る。喧嘩しないように気を付けるから!」

「うん、うん。そうだね。伊之助は優しいんだから、きっとすぐ、伝わるよ」

「炭治郎…!」

「善逸」

「ん…! 炭治ろ~~う!」

「禰豆子のこと。頼むな」

「うん、うん…!」

「お兄ちゃん…!」

「もう、それだけ。出逢ったときから禰豆子のこと、護ってくれて…ありがとう、善逸。あの時の優しさ、俺、忘れたことないよ。これからも、絶対、忘れない」

「炭治郎…!」

 号泣して抱きついた善逸の頭を、しっかりと抱き締め返した。感謝の気持ちを込めたとき、一層、彼の顔がぐしゃぐしゃになって、禰豆子と顔を見合わせる。

 妹とは、もう、数え切れないほどの絆を確認してきた。

 人に戻ってからも、言葉を交してきた。伊之助や善逸のことも、申し訳ないくらい頼んできた。

 この日のために。

 頷き合って、全てが伝わった気がした。

「カナヲ」

「ん…」

「出逢ってくれて、好きになってくれて、ありがとう」

「!」

「カナヲと紡いだ優しい時間、忘れない。鬼になったときも。助けてくれて。信じてくれて。ありがとう。あっちに逝ったら、しのぶさんにもお礼、ちゃんと伝えてくるね」

「炭治郎…! 私。私の方こそ…! ありがとう、沢山の想い、ありがとう…!」

 感極まると、彼女は、言葉がなくなってしまう。

『いつものことだね…』

 気持ちの整理を付けながら言葉を紡ぐのが、難しいからだ。

『だけど。そんな間も、俺は…好きだったな。カナヲは優しいから、それがいつでも感じられてた…』

「みんな。ありがと…」

『炭彦。出会えて良かった。信じるよ、俺…。俺の中に残ってしまった鬼の血。覚醒しないこと。君の周りにいるその時代の仲間達が、きっと、君を導き護ってくれること』

「いい、人生だった……」

 西日を見つめた。

 真っ赤な斜陽が、濃い影を落とし始めている。

 山の端に隠れていく太陽と共に、炭治郎の瞼が少しずつ、落ちていった。

 仲間達の、家族の声が聞こえたが、それが何よりだと思った。

『神様。未来を、ありがとう』

 父さん。

 母さん。

 そうして兄弟達を一人一人思い描き、名を呼び始めたとき。

 辺りは、漆黒の闇に閉ざされた。

 再び目を開けたそこには、

「「「炭治郎!!」」」

 かつての仲間達が、敬愛する柱達が、笑顔で集っていた。



残照・完

『残照』・本編・: テキスト
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