水龍天雅
~龍は水天に舞うが如く~
・参・
かつての仲間が、藤襲山(ふじかさねやま)に集った。
あちこちで再会を喜び合う声が響く。
御館様から、各隊士達に「奉納の舞」の話が行ったのは、一月前のことだ。演者となる柱や最終決戦で戦い抜いた炭治郎ら若手には、更にその一月前に、鴉が飛んでいる。
義勇も例に漏れず、寛三郎には承諾の一言を添えて御館様へと返したものだが、まさか、これほどの鬼狩り達が集まるとは思ってもみなかった。
隠(かくし)達も、かつての身なりで集ってきている。皆、笑顔だった。
義勇は自らその輪へ溶け込むことはなかった。思い思いに笑顔を交わす仲間達を見ているだけで、十分だった。
少し離れたところで宇髄一家が善逸と話す様子を見、うち、まきをがこちらに気付く。何事か叫んで大きく手を振られ――こちらにはその内容は聞こえなかったものの――天元たちがこちらを見た。
明るい表情が飛んでくる。
思わず義勇も微笑んで、控え目に手を振り返した。
「義勇。皆と顔を合わせてきたらどうだ」
小さく笑みを零しながら、傍の先生が言った。
「いえ…俺は」
そうか。と言葉少なに受け止めてくれるのも、有難い。
御館様へ挨拶を済ませてしまおうと歩を進めたとき、
「鱗滝さん! 義勇さん!」
背後から懐かしい声が聞こえて、義勇は声の主を見た。同じように鱗滝も振り返り、
「炭治郎!」
「お久しぶりです! お元気そうで何より」
飛びついてくる禰豆子を抱き留めながら、「主もな」と、先生が頷くのを見る。お面の下から笑顔が溢れてくるようだ。
義勇の表情も自然と柔らかなものになって、二人に挨拶をした。
「炭治郎は今日の奉納、最後だったな」
鱗滝が言う。
緊張した面持ちになって、胸に手を当てた炭治郎は、大きく息を吐いた。
「はい…でも」
こちらを交互に見遣って、満面の笑みになる。
「俺の前に義勇さんが舞ってくれるので。勇気をもらえます!」
「炭治郎…」
「はは! 義勇には重くのし掛かったようだぞ?」
「え!? あ、いえそんな!」
師匠と弟弟子の笑声が重なって、義勇も思わず笑みを零した。
不意に、かつての仲間達の姿が脳裏を過ぎっていく。
『胡蝶、伊黒、甘露寺、時透、悲鳴嶼さん、煉獄…』
見渡せば、そこかしこに、彼らの姿が見えるような気がした。
笑い合い、讃え合い、支え合い。命の燦めきを、尊さを、教えてくれた、仲間(皆)――――。
義勇は、炭治郎と別れた後は実弥と合流し、肩を並べ、鱗滝と三人で、御館様へ挨拶をしに行った。
一人、また一人と、奉納の舞が終わっていく。
昼休憩を挟んで後半を迎えたところで、いよいよ義勇は、舞台袖に移動した。
午後の舞手一番は、天元だ。
彼もまた片腕で、器用にかつての技を紡いでいく。
「綺麗だな…」
麗しい弧を描く音の呼吸に、隣の実弥が呟いた。
「…ああ」
応えて、共に音柱の技を見つめた。
「こんな風に、柱達の一つ一つの技を見た事ってあったか?」
「いや…ない。そんな余裕もなかった」
「だよな」
「こうして会話することも…」
思わぬ一言だったのだろう、実弥がこちらを向いた。
義勇も遅れて彼を見る。表情は変わらなかったが、一際高い歓声が上がって天元の舞が終わったことを知ると、実弥は満面の笑みになった。
「見てろよ! 次は俺だ」
「不死川…」
ああ、と短く頷いた顔が、仄かに綻んだ。
舞台に上がる『殺』の背中。あの頃は気付かなかったことが、今になって色々と分かる。
天元とすれ違い様、実弥は彼と高々と片手を打ち合わせた。軽快な音が一つ鳴り響いて、辺りはまた、歓声に包まれる。
戻った天元には、
「お疲れ」
「ああ。やっぱり片手はきっちいなあ! 平衡感覚がちょっと違うんだよな」
「確かに。けど、綺麗だった」
「! そうか…」
それきり、また、義勇は舞台を見つめた。天元も隣に並び、誇らしげに前を見る。そうして鳥を飾る炭治郎も、舞台裏に寄ってきた。
時に激しく、時に優しい風が辺りに吹いていった。激しいばかりかと思っていた実弥の技は、あの頃であったからこそのものだったのだと知る。
元より風は、季節の移ろいを顕(あらわ)し、送り行くものだ。対象が鬼であれば激しくもなるが、人々にであれば、恵みの風となる。
『きっとその違いを、不死川は知っているんだろうな』
知らず、義勇は刀の柄に手をやった。
今日何度目かの、歓声が上がる。
「冨岡」
天元に呼ばれ、反射でそちらを見上げた。
頼もしい面が強く頷くのを見て、義勇も一つ、首を縦に振る。
実弥は義勇の左手側に寄って戻って来、
「!」
片手を上げた。
天元とそうして掌を合わせ打ち鳴らしたように、義勇も手を挙げる。交わした掌と掌の間に、傾き始めた陽(ひ)の光を見た。
『遙か時は、戦国の世…』
舞台の中央に立つ。
『日の呼吸から、この水の呼吸は産まれた。風や、炎と同じように』
「今、それを返すよ。感謝を込めて」
大きな歓声の中、義勇は、片手で鍔(つば)を押し、押した手で抜刀し、構えた。
目を瞑り、呼吸を紡ぐ。
皆が息を飲む気配を感じた。
誰もが一度は見たであろう、拾壱ノ型、「凪」が辺りを一瞬で静寂へと帰した。水滴が一つ、水面へ落ちる音を皆が聞き、静まり返る。
義勇はそこから、畳を擦るように足を運んだ。
技を紡ぐと言うよりは、能のように、足を運び刀を返す。一振り刃が翻る度に、豊かな水量の帯が流れて波濤が響いた。
――――「義勇はさ」
大岩に乗った錆兎が片膝を立てて言った。
彼の右肩に寄りかかるように背を預けていた真菰が、ばたつかせていた足を止めてちらりと首を傾ける。
そこが二人の定位置で、いつでも彼らは見下ろすようだった。
だが、悪い気はしなかった。
時には自分も真菰と対になるように、彼の左肩に寄りかかるようにして岩に乗ったものだ。そうして、互いに互いの背を預けた。
「流れるような水の技が得意だよな。参ノ型とか拾ノ型とか」
「そうかな?」
真っ直ぐな意見に、よく救われた。参考にもしたし、時にははにかむこともあった。
その度に真菰の笑顔が弾けて、華が綻んだように辺りが明るくなった。
「言えてる! あたしも好き。義勇の拾ノ型!」
同じ水を扱うのでも、それぞれに得意な技が違っていた。お互いに無いものを補うようで、三人手合わせすれば違う技の出し合い躱し合いで、笑みが零れた。
先生からは、
「まるで兄妹よのう」
「じゃ、錆兎が長男で真ん中が義勇だね! あたし一番下!」
「上も下も無理ばっかりするから、俺は大変だよ」
「あはは!」
「あたしからしたら、お兄ちゃん二人の方が無理ばっかりだよ!」――――
『あの頃』
義勇は三度目の生々流転を放った。
『俺は、二人がいたから頑張れた。二人がいなくなって、世界が閉じたように感じてた』
「でも…」
『本当は、共に戦う仲間が傍にいたのにな。周りが見えなくなっていた』
「まるで、」
と、舞台袖の実弥の声が聞こえたような気がした。
「誰かと一緒に舞ってるみたいだな…」
この後に控える炭治郎が、隣で、
「錆兎と真菰です。きっと、義勇さんに会いに来たんだ」
「錆兎、真菰?」
天元が繰り返すと、炭治郎が短く二人を紹介してくれた。
『皆にも、分かるのか。二人のこと…』
義勇の頬に、一筋、伝うものがあった。
『錆兎。真菰…』
真菰が繰り出す水流飛沫の合間を、義勇の生々流転が流れていく。天からは錆兎の慈雨が降りそぼり、舞台に光が差すと虹が現れた。
雲の晴れ間に、幾つもの水龍が登っていく。
その背に二人が乗っているようで、義勇は、最後の一太刀を天へ向けて放った。
「ありがとう…」
出逢ってくれて。
傍にいてくれて。
「遙か昔の、始まりの剣士に伝えて欲しい。平和な世の中になったって。もう、大丈夫だって」
『うん!』
『ああ!』
二人と太陽に一礼すると、辺りから一斉に歓声が上がった。
『水の御技を伝え続けた、数多の剣士達に。…ありがとうございました、お疲れ様でした…!』
義勇は深々と、頭を下げ続けた。
生きている間は、この技を奉納し続けようと、心に誓った。
炭治郎のヒノカミ神楽が終わり、藤襲山にはまた、深い夜が訪れようとしていた。
皆思い思いに仲間達と語り合う中、御館様が準備してくれた宴へと傾れ込んでいく。
義勇は鱗滝と共に柱達の集う席に着いて、
「先生」
酒の酌をしながら話しかけた。
鱗滝がそっと面をずらす姿に皆が息を飲み、一斉にその場に、会話が溢れる。皆が皆、先生の面を見たことなかったのだろうと、義勇はくすりと笑みを零した。
「!」
笑った!
と誰かが言った。恐らく天元の嫁の一人だと思われたが、それが誰だったかまでは咄嗟には気付かない。
だが、互いに酒を酌み交わし、炭治郎達も合流すると、宴は一気に盛り上がった。
その様を見ながら、もう一度、「先生」と義勇が隣に話しかける。
鱗滝はくい。と猪口(ちょこ)を傾けた後、柔和な面をこちらに向けた。
「…遅いなんてことは、ないのですね」
「……何事にもな」
「今からでも、皆とわかり合えたら。俺…確かに。少なかった気がします、自分の気持ちを伝えるの…胡蝶に。あ、蟲柱に、よく言われたんです。言葉が足りないって」
「あの頃も、お前をちゃんと見ていてくれた者はいたと言うことだ」
「!」
「遅くない。大丈夫。お前は一人じゃない」
「! はい…!」
鱗滝の返杯を、義勇は一度額まで上げて瞼を伏せた後、一息に飲み干した。
皆の笑顔がとても眩しく映る、宵の口だった。
水龍天雅・完