斑雪埋めし時渡
・弐・
今日の浅草(あさくさ)は、いつにも増して人通りが多かった。
祭り囃子があちこちから聞こえ、出店が軒を連ねていた。浅草寺(せんそうじ)への上りと下りで道は半々に分かれてはいたが、どちらもごった返している。行き交う人の群れは、義勇(ぎゆう)の歩みも自然と緩やかにさせた。
『来る日を間違えたかも知れない』
感傷に浸るだけなら、別に今日でなくても良かったのだ。
『戻るか…』
どうしようかと思案し始めたとき、
「!?」
思いも掛けない人を見つけた。
『蔦子(つたこ)姉さん!?』
そんなはずはない。
だが、見間違えるはずもない。
咄嗟に駆け出した。若干顔色を変えて、懸命に後を追った。
『速い…!』
人の波など諸共しない。まるですり抜けるようだ。
姉と思しき人との距離は開くばかりで、背中はあっという間に人混みに紛れた。それきりかき消えて、霧消してしまう。
呆然と立ち竦んで、思わず、
「姉さん!」
叫んだ。
比較的大きな声だったはずだのに、それも雑踏に消える。祭り囃子がやけに耳障りだった。
「…」
完全に見失ってしまった。
四方を見渡してみるが、どこも人の壁が視界を阻む。一寸先すら確認し得ず、義勇は、暫くその場から動けなかった。
邪魔だとばかりに、何人もの人が、義勇にぶつかっては押しのけて、通り過ぎて行った。
「はれ?」
と、林檎飴を口に頬張りながら、蜜璃(みつり)は小首を傾げた。
座り込んで出店の小物入れを吟味していたしのぶが、
「どうしました? 甘露寺(かんろじ)さん」
見上げてくる。二人とも、珍しく着物で帯刀はしていなかった。
紫と桃色の華やかな振り袖姿は、通りを行く人の目を何度も奪う。が、二人とも、そんな眼差しには全く気付いていなかった。
視線を追うように立ち上がっては同じ方向を見たしのぶに、蜜璃は、
「あれ、冨岡さんじゃない?」
林檎飴を出して、ぶんぶんと振りながら指さすように言った。
「本当ですね…」
しのぶが驚いたように言葉を紡ぐ。蜜璃も笑みが零れて、つい、
「珍しいわね~! こんな人混み、苦手かと思ってたわ」
思ったことがぽろっと口を突いて出た。
「いえ、苦手だと思いますよ」
しのぶの表情が怪訝そうになった。
「針供養に来たとも思えませんし。なんか…様子が変じゃありません?」
「あ。走り出した」
二人は顔を見合わせた。
元より相手は口数が少なく、奇行が目立つと思われがちだ。今回も類に漏れず、突然駆け出した彼に言葉を失った。
「行きましょう!」
先に反応したのはしのぶだ。
慌てて蜜璃も走り出す。しかし、下駄に着物だ。思うように走れない。裾を捲ってしまおうかと一瞬頭を過ぎって、足元に伸びた手にははっとして、引っ込めた。
代わりにどうしても、悪態が出てしまう。
「なんで…! 通りと逆行するかなあ!」
「仕方ありません、あちらに回り込んでる間に見失いますよ」
「それはそうだけどっ」
義勇の姿が小さくなる。まるで人をすり抜けるように駆けていく彼に、二人とも
『おかしい』
同じ事を思った。
『着物のせいかと思ったけど。違うわ、冨岡さんの足の速さが異常!!』
「冨岡さん!」
思考を巡らせた脇で、しのぶが叫んだ。きっと同じ事を考えたに違いない。呼び止めた方が速いとでも思ったのだろう。
が、届く様子はなかった。
「すみません、通して下さい。すみません」
すれ違う人に何度も謝り倒し、掻き分けて進む。離れたところで立ち止まった義勇の姿が目に入ったときは、流石にほっとした。
「冨…」
吐息が漏れて声を掛けようとしのぶが一歩を踏み出したとき。
「「え?」」
疑問が重なった。
蜜璃はしのぶと顔を見合わせて、また、彼の方へと視線を戻す。
「うそ…」
義勇はいなかった。
忽然と、視界から消えた。
「鬼? なわけないわよね…」
「ええ。昼間ですよ」
「ど。どどどどどうしよう、しのぶちゃん!」
混乱して、しのぶの両肩を掴んだ。
「報告した方がいいの!?」
「待って、甘露寺さん。落ち着いて」
「だって、何かあったら!」
「冨岡さんの事です、刀は差していましたし、た。多分、大丈夫…」
しのぶの声も、語尾は小さくなっていった。何分、初めての経験だからだ。自信がないのであろうことは、容易に分かる。
右往左往して口元に手を当てた自分に、しのぶが言った。
「気休めにしかならないかも知れませんが、鴉に探してもらいましょう。彼らの方が早いです」
「そ、そうね!」
「夜まで待って、何の連絡もなかったらいよいよ…」
「うん、うん、わかった! あ~もう!」
蜜璃は膝に両手を突いた。
「冨岡さんてば!」
言いかけて、片手に握りしめていた割り箸を何気なく見遣る。はっとした。
「あ~~~!!」
「どうしました!?」
今度は何事、と、慌てたしのぶに、蜜璃は上体を起こし、割り箸を眼前に掲げた。
「林檎! 林檎落とした!! どっかに!!」
ぴえん。と口がへの字になると、しのぶの目が丸くなって、一瞬後、思い切り笑声を立てた。
「しのぶちゃ~ん!」
「ふふふっ! どこかお店入りましょうか。まずは腹ごしらえです」
「賛成! 丁度お昼になるしね」
「はい」
蜜璃は先を歩き出し、横丁へと向かう。数歩進んでは振り返り、
「…しのぶちゃん?」
まだ義勇が消えた場所を見つめていた彼女を呼んだ。
「あ。ごめんなさい」
「ううん」
行き先が分からない以上、無事を祈るしかなかった。