未来へ
・弐・
割れた硝子をきよたちが手際よく始末する。
一息ついたところで、すみが傍らのしのぶを見上げた。
「しのぶ様、お怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
やんわりと微笑んでは、しのぶも、手で拾える限りの大きな欠片を拾っていった。
「何回言っても聞きませんし…今度は窓に電気でも流しておきましょうか」
「冗談に聞こえません~」
なほの手が止まり、しのぶが「ふふ」と笑う。
三人勢揃いしてしのぶを囲んでは笑みが零れた。
「もうあと細かいの掃くだけですから。しのぶ様はどうかお仕事に」
「そう? じゃ、お願いしますね」
「「「は~い!」」」
頼もしい返事に、しのぶはにこりと笑って後を任せると、卓上に置いておいた冊子を手にした。
棚に寄り、彼女らの邪魔にならないところから再び作業を始める。薬剤の在庫を数えては、時折目線以上に掲げて瓶の底を見たりした。中身を目で確認して、消費期限を確かめ、冊子に記載する。
漏れがないように丁寧に一棚を片すと、しのぶは小さな吐息を漏らした。肩から緊張が抜けて、何気なく室内を見渡す。
三人は、既に部屋にいなかった。
集中していて、いつ出て行ったのか、全く気付かなかった。
『残り、一棚ですね。案外早く終わりました』
取りかかろうかと冊子を捲った時、
「お帰りなさ~い!」
きよたちの明るい声が流れてきた。
「つ~かれたよ~おぉぉおお! 禰ぇ豆子ちゃあぁ~~~~ん!」
頑張ったんだよ、俺! と続いた言葉に、しのぶは思わず口元に手を当て笑声を立てた。
あの様子だと、怪我はなさそうだ。
『鴉から届いた伝言は単独任務でしたし、少し不安でしたが』
彼らは確実に成長している。それがとても、嬉しい。
『念のため。確認しておきましょう』
しのぶは冊子を残る棚に置くと、部屋を出、声のする方へ向かった。
「お帰りなさい、善逸くん!」
笑顔で皆の輪に溶け込んだ。
翌朝、しのぶは日が昇る直前に起きた。
いつもより人が多く泊まっているせいか、屋敷には熱量がある気がする。自然に笑みが零れるのに任せて、彼女は箪笥から手拭いを取り出すと庭に出た。
『今日は忙しくなりますね。頑張らないと!』
伸びをして肩をほぐすと、東の空が白みかけているのが見えた。
早朝の新鮮な空気を沢山取り込んで、身体を起こす。
「胡蝶」
「…冨岡さん」
しのぶは微かに目を丸くして、声のした方を見た。
「おはようございます」
「おはよう」
「わざわざ泊まってくれたんですか。準備のために」
佇む義勇の側へ向かいながら、問いかけた。目が覚めれば一番にここ集まるのは、仕方ない。
「炭治郎に頼まれたからな」
しのぶは囲いの縁に手拭いを置くと、井戸に桶を落とした。豪快な水の跳ねる音に続いて、
「…ありがとうございます」
義勇の言葉に礼を返す。
立ち去る様子のない彼を一瞥してから、しのぶは、顔を洗い始めた。
何度目かの水音の後で、
「誕生日おめでとう、胡蝶」
手拭いを顔に当て水滴を吸わせながら、彼をちらりと布の影から見る。
「今言います? 顔、洗ってるんですけど」
思えば、髪だってまだ軽く一つに束ねただけだ。よもや水柱が、ここにいるとは思ってもみなかった。
「任務が入った。言えて良かった」
『まさか。待ってたなんてこと…ないですよね?』
問いかけるように視線を投げるが、彼の表情が変わることはない。ただ、
「…それは。ありがとうございます」
ぶっきらぼうな口調になって言うと、ふ…と、義勇の顔が綻んだように感じられた。
見間違えたかと、知らず手が下がる。
驚いた表情を見せては彼はもう真顔で、視線を逸らされた。
「時々」
とても小さな声だった。
「どちらが本当のお前か分からなくなる時がある」
「…」
「だが。泊まって良かった」
「…間(あいだ)が抜けてます。そこ、大切なとこでは?」
くすりと笑みが零れて言うと、義勇がこちらを向いた。
小さく胸の奥が跳ねる。緩やかな風が流れた。
「いや。結局、どちらも胡蝶なんだなと」
「…」
義勇が刀の柄に手をかけた。旅立ちにはっとしたのと、
「無理だけはするな」
彼の声が届いたのとが同時だった。
軽く地を蹴って飛翔した彼に、
「気を付けて! 冨岡さん!」
慌てて声を投げる。
微かに首を回した義勇の眼差しが、何か、物言いたそうに見えたのは気のせいだったか。
しのぶは何とも言えない笑みを浮かべて、ほんの少し首を傾けた。
診察の受付はアオイとカナヲに任せて、炭治郎は、駆けつけた鬼殺隊士の対応に当たった。
『なんか凄いな…』
集まる贈り物の量に、目を丸くする。
昨日義勇と共に整えた机の半分は、もう、色とりどりのそれらで埋まっていた。中には、隠やアオイたちへの感謝の品もある。
『しのぶさんが普段、どれだけ裏方に気を配って力を注いでいるか…』
分かる気がした。
『それに。善逸や伊之助も』
二人にもそれぞれに知り合いが出来ていた。自分が村田さん達と知り合い色々話すように、彼らにも、任務を通して人の輪が出来ているのだ。
『きっとこうやって、一人一人の命の糸が一枚の大きな布を織り込んでいるんだ。未来のために』
最前線で命を張って戦う柱達はもちろんだが、鋼鐵塚やしのぶ達のように、支える人達の忍耐と苦労がなければ、鬼殺隊は成り立たない。
『しのぶさん、いつも笑顔で。時々匂いが辛そうにもなるけど。本当に、凄い人だ…』
午前中のうちには、炭治郎は、実弥が「元気か」と挨拶しに来るのを見た。玄弥と行冥が大きな包みを抱えてきたのにも応対した。
『悲鳴嶼さん、なんだかとても嬉しそうだったな。しのぶさんの頭、泣きながらぽんってしてた』
きっと、自分には知り得ない絆が二人の間にはあるのだろうと、その時のしのぶの顔を見ては思ったものだ。きっとあの時の表情は、この先も忘れ得ないだろうと感じた。
昼前になると、蜜璃が小芭内と二人で訪れ、豪勢な手作り肉料理を届けてくれた。
「忙しい時は栄養摂らないとね!」
両手に拳を握って満面の笑みになった恋柱の笑顔は、小芭内の面をも軽く綻ばせたほどだ。
二人は診察室をちらりと覗いて、手を振って帰っていった。きっとそれにも、しのぶは、嬉しそうに手を振り返したことだろう。
午後には、花束を抱えた無一郎と、天元達が姿を見せた。
無一郎が小走りで寄って来、
「何を選んだらいいのか迷っちゃった…」
手を翳して耳打ちしてきたのが印象的だった。
「喜んでくれるかな?」
「もちろん。きっと!」
思わず、肩を寄せて一緒になって笑みを零した。
しのぶは天元とは、一時吉原潜入の件で揉めたそうだが、来訪時の笑顔を見る限り、もう確執はないのだと気付いた。まきを達も、柱達が挨拶を交わす間はアオイの手伝いをしてくれた。
主立った面子を迎えては見送り、炭治郎は、夕刻やっと一息ついた。
四つの長机を一つに纏めたそれは、これ以上の隙間はないほどに沢山の贈り物で埋め尽くされ、
「炭治郎!」
「紋次郎! お疲れだぜ!!」
それぞれに、同じように隊士達を出迎えてくれた善逸、伊之助と肩を並べて見た。
贈り物が放つ人の優しさと温もりが、なんだか目頭を熱くさせるようだった。