未来へ
・壱・
当時、柱は義勇を含め六人いた。
内一人は、水柱が誕生した後引退し、一人は、籍だけ置いたまま姿を見せなかった。実質四人という、厳しさだった。
担当する警備地区は今より二倍あって、休む間もなかった。
柱達は、柱合会議以外にもなるべく顔を合わせ、任務で東京を離れる時には、警備地区に穴が空かないように、よく調整したものだ。
その指揮を執っていたのが、岩柱の悲鳴嶼行冥だった。
今でも皆の尊敬を集める行冥だが、当時も既に中核だった。
己が後から入ってきた柱の面々より、先の柱達と割合打ち解けているのは、この経緯があるからだろうと思う。
柱の数が増えるに付け口を開くことは少なくなっていき、理論の纏まった行冥の案には異を唱えることもなく、受け止めるだけとなっていったのだ。
ひたすら、任務を遂行するに留めた。
初めて『彼女』に会ったのは、柱になってわりとすぐだったと思う。
「冨岡くん」
いつもの調整会議が終わって、去ろうと立ち上がった時だった。花柱の胡蝶カナエに呼び止められた。
「何か」
「少し、時間ある?」
確認は取るが、ない。と言って、意志を尊重されたことなどない。
物腰や言葉の柔らかさとは反対に、有無を言わせない、割と強引なところもあるカナエだった。
何と言い訳しようかと思案している間に、了承と捉えられてしまったようだ。連れ出されて仕方なく後に続くと、
「姉さん」
弾んだ第一声はどこへやら、自分を見て、あからさまに顔を顰めた妹、しのぶの姿が見えた。
カナエが傍に寄っていき、
「ほら。しのぶ」
彼女の背中を軽く押す。ますます眉間に皺を寄せた彼女は、
「お礼ぐらい一人で言えるわよ! わざわざ連れてこないで」
つん。と顔を背けた。
『…面倒くさいな』
思わずそんな一言が脳裏を過ぎって、無表情に呆れが浮く。
カナエが苦い笑みを零しながらこちらを向いて、
「ごめんなさいね、冨岡くん。この間の任務では妹が世話になったみたいで。ありがとう」
「…ああ。そんなこと」
「!」
気にはしていなかった。
『柱として。当然のことをしたまでだ』
ところが、しのぶは目をこれでもか、と見開くと、「ふん!」と鼻息荒く背を向けその場を去った。
『なんなんだ…』
カナエが「もう」と肩を竦める。
「あんな妹だけど、根はとても優しいのよ。どうか、仲良くしてやってね」
「……は?」
耳を疑った。
『今の態度を見なかったのか?』
言う相手を誤っているだろう、と思った。
恐らく、顔には出ていたと思う。カナエの表情が申し訳なさそうになったからだ。
彼女は一度、小さくなったしのぶの背中を見てから、
「ごめんね、どうか。お願いね」
念を押してきたのだった。
『今思えば。あれは…遺言のようだった』
義勇は、長机の端を持ち炭治郎と息を合わせると、引き摺らない程度には持ち上げて、今日何度目かの机の移動を終えた。
室内の中央に、長机を四つ組み合わせて出来た、更に大きな長方形の机を見つめる。すぐ脇に炭治郎が手を叩きながら寄って来、
「なんかすみません、義勇さん。結局手伝って頂いて」
感謝がない交ぜになった声で言った。
「いや、構わない。本当に机を合わせておくだけでいいのか?」
「はい。しのぶさんが、それで十分だって」
「こういうのは、本人のいないところで準備するものだと思っていたが」
「そのつもりだったんですけど、伊之助が」
言いかけたところで、
「は~はっはっは! しのぶぅ!」
離れた部屋の窓硝子が豪快に割れる音に続いて、伊之助の声が鳴り渡った。
「蕗(ふき)の薹(とう)取ってきたぜえ! 歳のか、ず…」
語尾が消えた。
恐らく、怒りが二重になったしのぶに睨まれてのことだろう。
伊之助にしてみれば、先だっての豆まきで知った、「豆を歳の数だけ食う」が頭を過ぎっただけのことなのだろうが、女性にそれはない。
炭治郎が思わず苦い笑みを零すと、遠く、
「アオイに天麩羅(てんぷら)にして貰う~!」
結局、自分の好物になる様が口を突いて出たのを聞いた。
炭治郎がこちらを向いて、
「あんな調子で、バラしちゃったんですよね」
「…ずいぶん懐いてるな」
「そう言えば…そうですね。明日のしのぶさんの予定も知っていましたし」
「そうなのか?」
「担当地区の町の人達に、蝶屋敷を開放する日らしいですよ。しのぶさん曰く、診察しながら情報収集するらしいので、こちらとしてはそれが目的だって話でしたけど」
義勇は暫く彼を見つめた。
表情が変わらないせいだろう、炭治郎が小首を傾げて見上げてくる。
何とも言えず、直球になった。
「祝う暇、あるのか? あいつに」
「…」
炭治郎の顔が不安そうになった。次いで、「確かに」と、どこか納得したような面持ちになって、二人、整えた長机を見る。
『あいつも分かっていたから、これだけでいいって言ったんだろう』
むしろ笑顔は敢えて…などと、言いかけたこちらより一瞬早く、猪頭が視界に入った。蕗の薹を抱え、台所に全速力で向かう伊之助の姿が、出入りの扉を横切ったのだ。
呆気に取られて意識を奪われた隣で、
「こら! 伊之助!」
炭治郎が蒼白になってそちらに駆けて行った。
「義勇さん、すみません! あ、お手伝い、ありがとうございました!」
戸口で振り返って言ってから、
「今日は人が多いんだから! 走ったら危ないだろ!」
叫んだ炭治郎も駆け出して、伊之助を追って行った。
「……」
閑古鳥が頭の中で鳴く。
長閑(のどか)な山郷の風景の向こうから、蝶屋敷に響く明るい声が次第に大きく届くようだった。あちこちから、隊士達の賑やかな笑声が響く。
義勇は静かに窓辺に寄った。
如月(きさらぎ)の、まだ少し肌寒い空っ風が部屋に吹き込む。顔に影を落とした前髪が攫われて、僅かに身を竦めた。
が、耳に届く仲間達の声は、じんわりと胸に灯りを点すようだ。
『慕われているんだな、胡蝶』
知らず、顔が微かに綻んで、義勇は、明日の誕生日前から入れ替わり立ち替わり屋敷を訪れる隊士達の姿を、窓辺からしばらく見つめた。
カナエがいた頃とはまた違った華やかさが、今の蝶屋敷には、あるような気がした。