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カイト

・参・

 実弥(さねみ)は、蝶屋敷に着くとそっと扉を開いた。中の様子が分からなかったからだ。

 突如、笑いと会話の雨が耳に降り注ぐ。たまたま外の様子を見に玄関に来ていた千寿郎(せんじゅろう)と鉢合わせた。

「不死川(しなずがわ)様! お待…っ」

「しーーっ!」

 知られたくなかった。こんなに大事にする気はなかったのだ。

「…ひまりは」

 小声で尋ねると、千寿郎は察した様子で台所に案内してくれた。

 戸口から顔だけで中を覗き込むと、向日葵(ひまり)とアオイが笑いながら、大皿にご馳走を並べているのが見えた。

 その脇に、頼んだいちごのけえきがある。

「あら。実弥様」

『抜け目ねェ…』

 即座に気付いた彼女がにこりと微笑んだ。

「お前なあ!」

「間に合って良かった!」

 開口一番詰りかけた言葉は、向日葵の安堵の表情で引っ込んだ。彼女がけえきを抱え、「どう?」というように微笑むと、ばつが悪くなる。

 頼んだのは、こちらなのだ。

 彼女が言った。

「もうすぐ炭治郎(たんじろう)くん達が玄弥くん連れてくるわ。禰豆子(ねずこ)ちゃんがさっき、先に戻ったから」

「僕、しのぶさんに伝えてきますね!」

「じゃ、私は運び始めますね」

 千寿郎とアオイが言って、方々へ散っていった。

 実弥はそれを仏頂面で見送って、大きく肩を落とした後気を取り直した。

「ひまり、これを」

 抱えていた包みから、中身を取り出す。そっともう片手の平に乗せて見せた時、向日葵が感嘆の息を漏らした。

「すごい! 綺麗…!」

「これ、それに載せてもいいか?」

「! もちろん。真ん中に置きましょう?」

 彼女は何を言わずとも、これが意味することが分かるようだった。驚いてすぐ側の彼女を見た時、「ん?」と小首を傾げた様にどきりとする。

「いや…すまねェな」

 彼女のころころと笑う表情が、この上もなく胸に染みた。

『なんで日が暮れてまで蝶屋敷行かなくちゃ行けないんだよ…帰れなくなるじゃないか』

 玄弥(げんや)は道中、何度も溜息を吐いた。

 送り出された際の行冥(ぎょうめい)の言葉が、脳内で渦を巻く。

『もう鬼は食べるなとか言われたら、どうすっか…。分かってんだよ、分かってはいるけどさ!』

 再び、重たい息が漏れる。

 この場を離れるべく言い訳を考えてもみるが、戻れば戻ったで、行冥に叱られるだろう。それも、嫌だった。

 前にも進めず後にも退けず、炭治郎の後をただ追ううち、蝶屋敷に着いてしまった。

『覚悟を決めるか』

 玄関を潜ると、一際明るい。各部屋は電気が消えているところを見ると、自分の到着だけを蟲柱(むしばしら)は待っていてくれたのだろう。

 それはそれで、申し訳ない気持ちになる。

『誰がなんと言おうと、俺は兄ちゃんを護るんだ』

 静まり返った玄関で、玄弥はブーツを脱ぎながら決意を新たにした。

「こっちだよ」

 先に上がった炭治郎が言う。指さした方向に、

「は? 診察はこっちだろ」

 反対方向を指した。

 炭治郎は笑って、

「そうだね。でも、今日はこっち」

 手を取り強引に引っ張り出した。

「ちょ…」

 転びそうになる足元を慌てて動かして、開いた距離を縮める。

「なんなんだ…」

 怪訝に思ったことは呟きに出て、広間の入口まで来ると、扉の前を譲られた。

「さ、開けて」

 先程までとは打って変わって、少し大きめの声で炭治郎が言った。

「はア?」

 ますます疑問が湧いてくる。顔を歪めてしばし炭治郎を眺めるが、彼は優しい笑みを浮かべたまま譲らなかった。

『なんなんだよ…』

 二度目の呟きは心の内で吐いた。仕方ない、と、扉に手をかけて開いた時、

「「お帰り~! 玄弥!」」

 複数の声と共に電気が付き、目映さに咄嗟に顔を背けた。その耳に、

「「「お誕生日おめでとう!!」」」

 祝いの言葉が降ってくる。

 ゆっくり目を開けて室内を見ると、紙吹雪が舞っていた。見上げると、出入り扉の両脇で、椅子に乗ったきよたちが降らせている。

「???」

 突然の事で、訳が分からない。

『誕生日?』

「おめでとう、玄弥。今日、誕生日なんだろう?」

 思ったのと、炭治郎の言葉が重なって、「ああ…」と、ようやく理解した。

 立ち尽くしていると、彼に背中を押された。前につんのめりながら、部屋に入る。

 割れんばかりの拍手が轟いて、あんぐりと呆けてしまった。

「な、んで…」

 わざわざ。と、思った。

 部屋を見渡す。

 窓や壁には一面に、折り紙の輪っかやくす玉が飾られていた。

 天井からは、無数の紙飛行機が吊されている。どれも思い思いに揺れて、穏やかな時の流れを紡いでいるようだ。

 卓上には沢山の料理が並べられており、その机を挟んで両側に、皆が並んで、出迎えてくれていた。

 正面、誕生席の後ろには、横断幕のように布が取り付けられている。窓に立て掛けた蔦の木枠は三つ編みされており、所々毛糸で締めているところを見ると、それも手作りなのだろう。

 何より、その布地には、見慣れた筆遣いで豪快に、

『祝!! 生誕!』

 と書かれている。

『悲鳴嶼(ひめじま)さん…!』

 達筆すぎて、自分にしか読めないのでは? と思うと、笑みが零れた。

 固まったまま動けずにいると、しのぶが、

「玄弥くん」

 何やら白い塊を持って歩み寄ってきた。

「君を想う、君の大切な人から」

 ぱっと見、見たことのない食べ物――きっとお菓子なのだろう――だった。いちごが乗っているから辛うじてそうだと分かるだけで、白いふわふわとした物が奇天烈だ。

 それでも、贈られた物なら受け取らねばならず、盆に載ったそれをしのぶから譲り受けた時、

「!」

 目を見張った。

 中央に、小さな、だが、確かに見覚えのある模型が飾られている。

 爪楊枝を削って更に細く、骨組みを作り、銀色の和紙を貼り合わせた四角い面。四隅に糸が取り付けられ、纏め引いた先に、糸巻きまで付いている。

 凧だ。

『兄ちゃん…!?』

 夢で見るあの日々が、怒濤のように打ち寄せた。

「なんだよ、そんなに嬉しいかあ!?」

 知らず頬を伝った物に、伊之助(いのすけ)が言った。

「準備した甲斐があったってもんだぜ!」

 皆から、笑みが零れた。

「じゃ、改めて!」

 炭治郎が皆に声を掛けた。

 彼らは頷いて、一斉に、

「「「誕生日おめでとう! 玄弥!!」」」

 声を合わせた。

「あ…、ありがとう…!」

 後から後からこぼれ落ちる涙を拭いきれぬまま、玄弥は、とびきりの笑顔を見せた。

「良かったわね、お兄さん?」

 彼らの様子を隣室から盗み見ていた二人のうち。向日葵は、壁により掛かりほぅっと一息ついた実弥に話しかけた。

 折しも、玄関の方から、「遅くなった!」と一際大きな声が轟いて、

「兄上!」

 と、千寿郎が出迎えに行く足音を聞く。

 遅れて到着した声の主に実弥も我に返った様子で、こちらを向いた。割と険しい表情だった。

「聞こうと思ってたんだ、なんで、こうなった…!」

 比較的大きな声に、向日葵は咄嗟に肩を竦め、人差し指を口元に当てた。しかし、隣の喧噪はより大きく、こちらには誰も気付かない。

 実弥をもう一度見ると、顔は笑顔だが目は笑っていない。

 流石に苦い笑みを浮かべた。

「ええと…」

 首を傾けながら、考える振りをした。

「多分なんだけど」

 はよ言えと言わんばかりに、目で先を促される。

「けえきの作り方が分からなかったから、私は千寿郎くんに相談したのよ」

「…で?」

「で、多分ね?

 千寿郎くんは、一緒に食べに行ったことのある蜜璃(みつり)ちゃんに相談してくれて、

 蜜璃ちゃんは、伊黒(いぐろ)様が紹介してくれたお店だからって多分話をしてくれて、

 伊黒様は、その洋食屋さんに話を通してくれて…」

「っ…あの二人も知ってんのか!」

「あ…あはは」

「で、なんで蝶屋敷なんだ…!」

「ううんっっとおお…、

 洋食屋さんが贔屓にしてる材料屋さんは高かったのよ。だから、また千寿郎くんに相談して、

 千寿郎くんはアオイさんなら、いつも病食用に大量に買い込むからって相談してくれて、

 たまたまその時炭治郎くん達がいたのかな? で」

「あっという間に…」

「ええ、そう」

 そうして実弥は大きく肩を落とした。が、何事かに気付いた様子でまた勢いよくこちらを見向くと、

「悲鳴嶼さんは!? なんで巻き添えに…!」

 一番不思議だろ、とおまけが付いた。

「多分…しのぶ様じゃないかしら? 夜、玄弥くん勝手に連れ出したら怪しいじゃない」

「な。なるほど…」

 納得した時、杏寿郎(きょうじゅろう)が姿を現した。

「あ。ひまり。ここにいたのか…ほら、和菓子」

「ありがとう、杏寿郎様。任務前にごめんなさい」

「いや、構わん。むしろゆっくりできなくてすまない、もう行かなくては」

「はい。お気を付けて、杏寿郎様」

「うむ!」

 こちらの様子を凝視していた実弥の瞳が、杏寿郎のそれとかち合った。

 見つめ合うしばしの間に、

『会話できてるのかしら?』

 と、思わず笑みが零れる。

 それにむっとしたのか、実弥が杏寿郎を指さしながら言った。

「こいつはあれだな。お前だな? 直接言ったんだろ」

『あ、そのこと?』

「はい…すみません」

 素直に謝ると、実弥が観念したように笑った。

 杏寿郎も安心したのか、「じゃ、行ってくる!」言うと、手を振る自分に手を振り返して、部屋を後にした。

 両手を腰に当てた実弥が、ぼそりと言った。

「…ありがとな、ひまり!」

 まさかの一言に思わず彼を見る。

 実弥の表情にじんわりと胸が温かくなるようで、

「はいっ!」

 向日葵も、最高の笑顔を見せた。

 祝の宴は明け方まで、延々と続く。

 蝶屋敷は、温かく華やいだ笑顔に包まれた。

カイト・完

『カイト』・参・: テキスト
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