カイト
・壱・
正月は嫌いだ。
だが、任務に就いていれば季節なんて関係ない。
冬枯れた山奥は廃村まで鬼を追い詰めて、
「玄弥(げんや)、行ったぞ!」
悲鳴嶼(ひめじま)さんが叫んだ。
銃を構えて気を鎮める。
『才は無いけど、悲鳴嶼さんは俺を傍に置いといてくれる。恩は任務で返すしかない!』
回り込んだ先に逃げてきた鬼が、こちらを見てにやりとほくそ笑んだ。
「刀を構えていないからって、舐めるな!」
逃げてくる鬼の動きをよく見る。
集中すると、対象の周りが黒く反転した。すこーぷを通して的を見るように、急所を中心に十字の線(らいん)が入るようだ。
やがて動きが緩やかに見え、取り巻く風が白い帯をなし始めた。風が導く軌道に、南蛮銃の高さと角度を調整する。頭で考えるより早く、細胞が反応する感じだった。
引鉄を引く。
腹に響く音を耳で確認するのと同時に、弾が飛び出た。自身が見る一連の挙動はゆったりでも、鬼には一瞬だ。
刹那、
「が、が、があぁぁぁアぁ!」
撃ち込まれた弾に絶叫を上げ、鬼がもんどり打つ。のたうち回る度に、大地が揺れるようだった。
一歩を踏み出し、抜刀しながら駆けた。
鬼は、頚を斬らねばならない。
玄弥は思い切り、刃を振り下ろした。
その、十日ほど前。
年の瀬も押し迫る頃、実弥(さねみ)は、帝都からはだいぶ離れた峠の茶屋にやってきた。場所的には、荏原(えばら)に程近い。煉獄(れんごく)の好い人と噂される女性が勤める茶屋だ。ここの茶菓子は絶品と、恋柱の素直な感想も流れに流れた為に、店も彼女も、鬼殺隊内では覚えが良かった。
自身にとっても、彼女は大切な友人だ。それはもう、古い付き合いになる。
息を切らして暖簾を潜り、
「ひまり!」
店に飛び込むなり叫んだ。
が、目の前を、ごった返した人の列が阻む。何事かと掻き分けようとすると、
「おい兄ちゃん」
頭一つ分くらい背が高く、がたいのいい大人が舌打ちをした。
「蕎麦食いたいならちゃんと並びな」
ドスの利いた声だ。
ただ、それで怯むような玉ではない。むしろ傷だらけのこの人相だ、きっと相手が…と思っている内に、案の定、気圧された様子で隙間ができた。
滑るような足捌きで店内に滑り込む。
「あ。実弥様! いらっしゃい~!」
矢庭に、明るい声が響いた。向日葵(ひまり)だ。蕎麦を乗せた盆を三つ抱え、とびきりの笑顔で出迎えてくれる。割烹着に三角巾という出で立ちではあるが、華のある笑顔は見た目の地味さを補ってあまりある。きびきびと働く姿に皆も笑顔で、盆を捌く姿には全く器用だと目を見張った。
「今忙しいの。待てる?」
「ああ…」
『そういや昼間は蕎麦屋だったな、ここ。悪いことしたな…』
「じゃ、奥の座敷で待ってて。一段落したら行くから!」
軽くあしらわれ、実弥はぽり…と頭を掻いた。年末の間の悪さも相俟って、思わず、肩を竦めた。
「ごめんなさい。お待たせ」
向日葵は身支度を取りながら奥の座敷へ戻った。そこは、茶屋で働く仲間達が、昼餉や休憩を取る場所でもある。
どことなく居心地の悪そうな実弥を見ては内心でくすりと笑い、
「どうしたの…、血相変えて」
話しかけた。
突っ掛けを脱いで敷居を跨ぐと、円卓前に座った。蕎麦茶を淹れる。
すぐに香ばしい香りが立って、一息ついた気がした。つい、表情が緩んだ。
二つ淹れ、湯飲みの一つを実弥に差し出すと、彼は短く礼を言ってくれた。
「忙しい時間帯にすまねェな。実は、これ」
隊服から、折り畳まれた紙が取り出される。
渡され開いてみると、
「これ…」
描かれている物に目を丸くした。記憶を弄って、少しばかり自信がないまま単語を紡ぐ。
「けえき? よね…?」
「作れないか?」
「ええっ!?」
向日葵は飛び上がるようにして顔を上げた。
ここは茶屋。和菓子屋だ。菓子作りの心得がない訳ではないが、洋菓子となると話は別になる。
実弥が更に言った。
「実は、誕生日が近いんだ」
「…誰の」
「弟の」
しばしの間が開く。
『頼める場所がきっと他にないのね…お兄ちゃん(実弥様)』
向日葵はうーん…と、段々前屈みに身を縮めながら呻いた。
「蜜璃(みつり)ちゃん達と食べたことはあるけど、作り方までは」
「無理か………」
実弥が大きく肩を落とした。
『この人は…もう!』
思わず苦笑した。
正直、彼の鬼殺隊内での評価は知らない。最初はただの――毎月おはぎを一定数買っていく――、風変わりな剣士さんでしかなかったのだ。
それが、聞けば、鬼殺隊内では泣く子も黙る『風の柱』だとかで、向日葵は思わず、「この人が?」と首を傾げた。
怖がられている事実も知らなければ、こんな風に、逢う度ころころ変わる表情に、すっかり気のいい友人扱いだ。こんな顔をされると、絆されてしまう。
『仕方ないなあ…』
「…いつなの?」
「! 来月。…七日」
「はあ!? もっと早く来なさいよね! もう年末よ? お店そろそろ閉まっちゃうじゃない」
「す。すまねェ…」
向日葵は長く息を吐いて、腰に両手を当てると実弥を睨んだ。少しずつ小さくなっていく彼を見ては笑みが零れて、
「分かったわ」
瞬きしながら軽く頷いた。
「何とかしてみます」
「! 恩に着る!!」
実弥が勢いよく、両手を拝むように合わせた。高い音が鳴って、目を固く瞑る彼を見て、
『さて。どうしよう?』
頭を抱える。
『蜜璃ちゃんはなかなか捕まらないだろうし。まずは、千寿郎(せんじゅろう)くんに相談ね!』
「忙しくなるわ~!」
腕をまくってにこりと笑うと、実弥が申し訳ないような、だが、とびきり嬉しそうに笑った。
――――「兄ちゃん! 凧揚げやろうよ!」
畑仕事が一段落すると、妹たちはよく、自分らの服の裾を強く引いた。瞳がきらきらと輝いて、その身には大きすぎる凧を両手に抱えている。
所々、障子紙で補強された跡の見えるそれだ。かつては白かったであろう凧は、継ぎ接ぎの数だけ、思い出が詰まっているようにも見える。
母が身を起こし、額の汗を拭いながら、
「少し休もうかねえ」
と、腰をさすった。満面の笑みだった。
「やったあ!」
飛び跳ねる妹たちに、様子を見ていた兄が、
「しょうがねェなあ」
口ではそう言いながら、笑みを零した。
「ほら。貸してみな」
凧を手に取りながら、糸巻きはこちらに渡してくる。
風を読むのが上手な兄は、いつでも凧を持つ担当だ。
『それでも、いいや』
糸を四、五間分ほど解いていく。
解く側から、兄が駆けて距離を取っていった。妹たちが跳ねて興奮する様に、心持ちが伝わるようだ。
母も畑から出て、畦道を辿り傍に寄り始めた。
ふと、糸が張る分の距離を取った兄が、凧を背一杯掲げた。視線をそちらに戻し、兄が風を読む呼吸に全神経を集中させる。
「今だ、玄弥!」
言いながら、凧を手放したのと同時に、糸を軽く引く。
突如、ぐん! と、凧は風に乗った。見る間に高々と上がって行き、糸巻きの糸を更に解して延ばす。
一息に、凧が蒼穹に舞い上がった。
「たっかーあぁあい!!」
「兄ちゃん! すげぇすげえ!」
再び跳ねる妹たちを見ては、思わず笑った。
兄も笑顔で駆け寄ってくる。
「よく飛ぶねえ」
傍に寄った母も、見上げて感心したように言う。
思わず、
「兄ちゃんが作ったんだぜ!」
自慢げになった。鼻息が荒くなる。
「兄ちゃんは器用だからねえ」
母も嬉しそうに言って、兄の頭を撫でた。
面映ゆそうに笑みを浮かべた兄が、とても、誇らしかった。
「…ちっ」
見慣れた天井が目に入って、玄弥は舌打ちした。目を瞑り、光を遮るように腕を翳す。暫くそのままで動けなかった身を無理矢理起こし、膝を立てた。
『この時期は、いつもこの夢だ』
だから、嫌いなんだ。正月は。
また思うに至って、膝を抱えた。苦虫を噛み潰したような面を、そこに埋める。
そのままあっという間に、夜を迎えた。